ワタシ「ヘルスキーパーやってます。」

「ワタナベさんって今なにやってんの?」
そう聞かれると、いろんな答え方があります。
「サラリーマンやってます。」
でもいいし、
「マッサージ師やってます。」
でもいいです。
「相変わらず、酒飲んでます。」
ちょっとトリッキーですけど答えになってないこともありません。   

「ヘルスキーパーやってます。」
これがワタシなりには最もしっくりくる答えなんですけど、
相手にはちょっとわかりずらい。
「ヘルス、キーパー?」
ってオウム返しで数センチ首を傾げて数ミリ顎が前に出てきて、
(なにそれ?)
って感覚が滲み出ちゃうのを感じとる場面が多いです。
あまり馴染みのない職業の名称ですよね。

主に大企業と言われるような会社が
社内にマッサージルームを設置(保健所に登録)する。
視覚障害のあるマッサージ師(国家資格者)を雇用して、
その会社で働く社員を対象にしてマッサージ施術をするという仕組み。

このマッサージルームを「ヘルスキーパールーム」と呼んで、
マッサージを行ってる視覚障害者を「ヘルスキーパー」と呼ぶんです。
なので、ワタシは冒頭の質問にあっさりと
「ヘルスキーパーやってます。」
と言えば良いわけですが、
(ん?)って顎を突き出されたのを確認したら、
上に書いたようなことをウダっと説明しなきゃいけない。

このヘルスキーパーという職業であり社内にマッサージルームを作っちゃうという仕組みは、
戦後間も無くからで永きにわたって確立された視覚障害者の働き方のひとつなんです。
また、障害者雇用という義務を有する企業の雇用促進策のひとつであり、
企業が社員の健康に寄与するとした福利厚生施策のひとつだったりします。
髪を三つ編みにするには自然にはそうなるはずはなくて、
例えばお母さんなのか友達なのかの手によって編まれるように
行政と企業と視覚障害者とで丁寧に編んできたかのような、
そんな歴史のある仕組みなんですよね。

ワタシは視覚障害を受け入れることをきっかけにして、
(鍼灸マッサージ師になろ)
そう決めて専門学校に通い始めて資格を取得しました。
この(なろ)って決断した時から国家試験に合格して(ホッとした)時まで、
(ヘルスキーパーやろ)
なんて1ミリも思わなかったんです。
や、知らなかったんです。
や、知ってたもしれないけど見てなかった。
三つ編みという歴史ある髪のアレンジは知ってたけど、
興味はないからしたこともなければ気にもしない。
まったく身近じゃなかった。
そんな感覚が近いかもしれません。

それがいざ、障害者になることを受け入れるという気持ちだけの問題でなく、
生物として一定の障害があることを生活の中で受け止めざるを得なくなったとき、
ヘルスキーパーという三つ編みの仕組みに心が向いたんです。
興味を持ったんです。
(てか、)
(あの三つ編みってアレンジ、)
(美しくね?)
(良くね?)
って。

でも、自分がヘルスキーパーになるなんてことは、
まだその時も1ミリも思ってませんでした。
国家資格を取得した後に編入した視覚障害者が学ぶ鍼灸学専攻の大学で、
三つ編みのようにアレンジされた働き方、歴史、現状にギュギュギュっと触れて、
洗練されて進化してるべき三つ編みのようなヘルスキーパーの仕組みが、
思いの外に世間に知られてなくて、
忘れかけられてたりしてて、
どうもほつれかけてないか?
ザンバラになっちゃうんじゃないか?
そう感じたことも興味を持った要因でした。

三つ編みってちょっともう古くない?
三つ編みって何気に面倒だよね、
三つ編みより今の流行りはこっちだよ。
そんな風を緩やかに感じ取って
(古いかもしれないけど、)
(面倒かもしんないけど、)
(流行りはそうかもしんないけど、)
なんか、三つ編みって、やっぱり、
(良くね?)
(美しくね?)
って、
思って。
風が強くなっても揺るがない編み方があるんじゃないかって、
思ったんです。

そんな思いを深めてから、
今日までたったの1年しか経ってないのですが、
1ミリも思ってなかったワタシの立ち位置は今、
「ヘルスキーパーやってます。」
ってとこにニュッと立ってる。

去年の今頃は、
ヘルスキーパーの未来に繋がる、
さらには視覚障害者の社会参加に繋がることに貢献出来るような研究をしようって
大学生らしいことしてたんです。
そこには、あるべき未来を共創してくださる指導教員にも恵まれて、
「さぁ、研究だ。調査開始だ。」
ってことで研究デザインは仕上がってた。
そこで、そんな時に、
1ミリだけかもしれないくらいのちょっとのちょっとだけ、
心が動いたんです。

(自分でやりたい。)
って。
1ミリだけかもだけど明確に動いて。
動いちゃったらゆらゆらしちゃって、
ゆらゆらしてんのは気持ち悪いから、
(外から学術的にとか言ってないで、内から実践的にやれよ)
って動いた側の自分の理屈と、
(や、せっかく大学に編入したんだから卒業まで大学生ちゃんとやんなよ)
って戻そうとする自分の理屈とでワタナベ裁判が行われ、
(働くことでもって未来に繋げるという方法がワタナベには相応しい)
というワタナベ裁判長の判決が下されて、
大学を辞める。
そして、ヘルスキーパーとして働く。
という道を選択した。

いま、ワタシが働いている会社に入社したのは、
その指導教員の紹介でした。
「ワタナベさんにもってこいの話が出てきたよ。大手銀行が新規にヘルスキーパールームを起ちあげるんだって。まずは1人だけヘルスキーパーを雇用して、上手くいくなら数を増やしたり、グループ会社にも広げたいって意向らしい。ワタナベさんに打ってつけって話だと思うんだけど興味ある?」

面接は去年の年末。
入社は期初の今年4月。
2ヶ月の準備期間を経てヘルスキーパールームを6月にオープンして昨日で丸4ヶ月。

たったの4ヶ月なんですけど、
実践してみてるからこそ確かに言えるというか、
言いたいというか、
言っていこうというか、
ヘルスキーパールームという三つ編みのアレンジって、
しっかりと丁寧に編んであげれば、
やっぱり美しい。
やっぱり良い。
そう思えて、

同時に現状の問題も未来への課題も、
やってみなかったら感じ得なかったであろう
ザラついた手触りであったり、
何気ないところのささくれが傷んだり、
なんてことを感じたりで。

「ヘルスキーパーやってます。」
そう伝えてもウダウダと説明を加えなければならない立ち位置から、
1ミリでも前身する力になれたら良いなって。
新人のサラリーマンで、
新米のマッサージ師で、
古株の酔っ払いは相変わらずで、
今はヘルスキーパーを一生懸命やらせてもらってるワタナベです。


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