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障害者【しょうがいしゃ】

いやー、ブログの投稿もご無沙汰しちゃいました。
言い訳だけで原稿用紙5枚くらいの作文書けそうですが
小学校ん時の夏休みの宿題じゃございませんので、それはやめといて、
サクッと言うなら、
「大学、なんか、忙しい。。」
って感じでして。

今日でちょうど1週間なんです。
授業が始まって。
8時50分から始まる1限目には7時25分に家を出て、
17時50分に5限が終わってから家に着くのは、19時30分。
ゴリゴリ仕事してた時は、そんな時間に家に着こうもんなら、
「てか、なんかあったの?」
って奥さんに心配されるくらいの早い時間だったはずなんですけど、
午前で終わることの多かった専門学校の生活に慣れてやがるブッたるんだ今の体内時計と、
初めての先生の初めての授業を5連チャンで受けるという脳の疲労とココロの緊張感やらで
5限終わるともうヘトヘトなって、
そっからのなんやかんやの帰路を経て家にたどり着くと、
「てか、なんかあったの?」
って心配されてもおかしくない状態だったりするのですが、
ビールをごく!っとやってジャイアンツが勝ってようもんなら、
すぐ復活しちゃうあたりはなかにカワイイやつで。
あ、ワタシのことです^^;

今日は
「視覚障害学」というのと
「障害補償演習」というのと
「点字の理論と実際」というのと
5限のうち3つに障害【しょうがい】にまつわる授業を受けてきました。

で、
ふと授業中に
障害者【しょうがいしゃ】ってなんだ??
って疑問が湧きました。
カッチョ良く言えば、
障害者の定義【ていぎ】ってなんだ?
何をもってして障害者なの?
逆からなら、何をもってして障害者ではないの?
そんな疑問。

こんな疑問が湧くのも常々に思うところで、いわゆるなところの、
健常者【けんじょうしゃ】ってくくりで生活してる人の中にも、
障害を抱えてる人っているよな。
って思う背景があって。

今、ワタシの実家の母は腰が痛くて何かに捕まらなければ歩けないし、
炊事やらが出来ないし、
いろんな病気やケガで当たり前だったことが当たり前に出来ないってことが
視覚に問題なかったワタシにも何度かあったし、
人それぞれになんらかはあるし。
病気やケガじゃなくても、
誰かと比べられたりしたら圧倒的に劣る能力ってのもあるし。
それが生活の中での障害になるときあるし。

(あれ??障害者ってなんだっけ??)
って疑問。

リアルな授業中だとチャっと手を上げて質問とかしないくせに
Google先生には
「障害者の定義」
ってチャチャチャって親指動かして質問してみると、
法律で定義されるところの障害者は
だいたいこんな感じ。

知的、精神的、身体的だったりで障害があるために
継続的に日常生活または社会生活に
相当な制限を受ける者。

なんだそうです。
Google先生が導いてくれた最も上に出てきたやつを疑いなく信用するなら、
この定義の中の「継続的に」ってのと「相当な」ってのが定義たる所以なのかな。
って理解をしました。
継続的ってやつは、
「ちょっと治るってのは難しいね。それと付き合って行こう」
ってので、
相当のってやつは
「こんな基準ってやつが行政では決まってて、」
的なやつだなと理解をしました。

これに当てはまる人は障害者だから
法律に定められたように支援しなければいけない義務みたいなものが発生して、
みんなで助けてあげようね。
ということなんだろうなと。

これはこれで有難いよなって、これに当てはまる自分を通して、
障害者として別の意味で理解をします。
理解はするんです。

でも、
どうも、
ちょっと気になるのは、
障害者じゃないけど、
日常的に社会的に障害がある人っていくらでもいるし、
でもそれが、
継続的じゃなくて、
相当じゃないと、
障害者ではないし、
障害者なんて言われたくもないけど、
実は
障害がある者なんですよね。

これ
似てるけど違いますよね。
でも、
違うけど結構と似てますよね。


今日、
そんなでこんなで、
ワタシは大学にまでやってきて何を学ばんとしてるのか?
そんなことを考えたり思ったりしたんです。

継続的ではないし、
相当じゃないかもしれないけど、
ある側面では、
障害者【しょうがいしゃ】でもあるんではないかとも考えられる健常者に関わってく中で、
継続的で相当だから障害者として
いろんな人に助けてもらってるワタシが、

どうやって助けてあげられるのか?
どうやって役に立てるのか?
どうやって喜んでいただけるのか?

障害を受け入れざるを得ない継続的で相当な障害者が、
実は、
本当は痛かったり辛かったりなんだけど、
痛みを出さずに、出せずに、
辛さを隠して、隠さざるを得ずに
受け入れ難い障害を抱えてる方々になんらかの安らぎの方向への影響を
与えることができないものか?

なんてことなのかなって。

教室の中はみんな障害者なんです。
でも、
みんな、
大学で学びを活かして、
また自らのパーソナリティを生かしていつか世に出た時に、
誰かの役に立ち、誰かの力になる。
それは間違いないだろうなと。
そんなことを考えたり感じたりすると、
障害というやつは障害者だけのものじゃなくて、
みんなのものなんだろうなって。
そういう想像力を持ちたい。
そんな学びのあった、
1週間。
忙しいんですけどね。
クタクタなっちゃうんですけど、
充実しています。


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