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ワタシの大切なボク-第9話 アトピーと

 「やっぱさ、帰らない?」
と友達は言った。

 東京ドームでの日ハム戦だった。
ジャイアンツ戦では座ったことのないシートが手に入り、野球好きの友達を誘った。
チケットを見せて回転扉を抜けて、チケットに記載されてる通路を探し、そこから球場を一望したときの心の躍動感はいくつになっても小学生の頃と変わらない。
いつものジャイアンツ戦ならそこからドームの屋根に向かって上に登ってくとこを今日はドシドシとグランドに向かって降りていく。
練習中の楽天イーグルスの選手の身体がどんどんデカくなっていく。
テレビで見る選手に声をかければ返事をしてくれるような距離感のところが、今日はここで観戦して良いぞと許されたシートで、
「こりゃ、スゲーな。」
とワクワクを抑えて囁き合って腰を下ろす。
思わずニヤけてしまうが、ニヤけることで顔のどこかが割れる。
図工の授業で自分の顔を水分しい粘土で作り上げて、数日後に水分を奪われた粘土の顔がパキッと割れたようにして皮膚が割れる。
割れたところから黄色い液体が出てくる。
それを友達にはバレないようにハンカチで拭く。
ビール行くべ!といつもは言うところだが、友達はその間を逃している。

 ステロイド離脱療法というものをやっていた。

 ステロイドは良くない。
悪魔の薬なのだ。
止めなければ様々な副作用に悩まさせるのは目に見えている。
こんな人もいるのですよ。
こんな人も。
あなたはそれでもステロイドを続けますか?仕事とあなたの健康、どちらが大切なのですか?離脱するためには服用した量と期間に応じて、それと比例した期間のリバウンドを経験せざるを得ない。
でも、そのリバウンドを乗り越えられた時、あなたはいよいよステロイド漬けの地獄から這い上がり、健全な細胞を取り戻すのです。
これは簡単なことではありません。
とても大変なことです。
しかし、これがその大変さを乗り越えた方々の声です。
みてください。
こんな状態だった方がこうなるのです。
この笑顔なのです。
大変な道のりです。
でもあなたの未来への信念があれば必ずこの方々のようにあなたにとっての本当の健康を手に入れることができるのです。
決断は早いに越したことはありません。
最後はあなた次第です。

さぁ、どうしますか?

やりますか?やりませんか?

 こんなような話を約5時間だったと思う。
聞かされた。
ずいぶん大げさだなとは思いまくったが、ボクがそこにいるのは自分の意志で行ったからで、ステロイドというものから、まさに離脱する療法を行う必要があるのではないか?という自身の問題意識があったから。

 「やります。」
と答えて、前払いの数万円と化学成分の入っていない天然のクリームというやつと、毎日これに入りなさいというウーロン茶風呂のためのウーロン茶のパックを受け取って帰った。
自分なりの大きな決意から逃げないためにと思って、残っている数日分のクスリを使い果たしてから、ウーロン茶風呂に入るようにした。
ウーロン茶が自動販売機で売られ始めたときにはこんなもんに金払って飲む人っていんのか?なんて言いながら伊藤園の陰謀論を作り上げて笑ったりしていたが、いよいよ数万円も払ってウーロン茶の風呂に浸かってる自分は滑稽そのもので笑えた。
思惑通りに数万円払っちまったから続けらるしかないと思ったし、続けるんだろと決意を改めたりもしていた。

 想定した通りに1週間も経てばリバウンドはやってきた。
さぁ掻きなさい。
とばかりに皮膚は張って痒みが襲ってくる。
掻かないように努めていても掻かざるをえない。
痒みに任せて掻けば全身の皮膚を一枚剥がすようなことになるのは想像がつくというより経験がある。
だから、始めはチラチラ掻くのだけど、チラチラによってより熱を帯びて痒みが増して行く。
もう止めようがない。
あれだけの痒さを治めるために掻くという行為がどれほどまでの快感なのかというのは、ボクが知る限り何かと比べようがないし例えようもない。

 そうして掻き散らかした後にウーロン茶の風呂に浸かるのは、これも何かと比べようもなく痛いのだけど、なんとか例えるなら、TVジョッキーの熱湯コマーシャルでパンツ一丁で頭から熱湯に突っ込んだ井手らっきょうのあまりの熱がりようを見て、ビートたけしが引くくらい。
本当に痛いとあんなに暴れないとは思うけど、あれはあれで痛いのかもしれないとも優しくなれるくらいかもしれない。
痛みを我慢して浸かっているとウーロン茶というか湯が馴染んで痛みはおさまってくる。
ただ身体をタオルという繊維で拭けば痛いし、皮膚が乾けば痛い。
だから、乾かないように塗る。そのうちに血とか体液とかの瘡蓋が出来る。割れる。
痒みがやってくる。
掻く。
というのを繰り返す。
それを繰り返して血やら体液やらを出して、出し抜いて離脱するんだという理屈だったと思う、

 ボクの身体の痛々しい状態も服を着ていれば他人の目にはつかない。
だから、わからない。わからないから心配はされない。
顔はそうはいかず、他人の目に触れる。知らない人からは避けられてる気がしたし、知人には心配される。
痒みも痛みも辛かったけど、見た目が良くないのは社会人としてキツい。
会社にも行きたくないと思ったし、出来れば他人の目にも触れたくない。
でも、それは新たな家族を持ったボクには選択肢にはならなかった。

 野球好きのアイツだってボクの顔を見ればびっくりするだろうなぁとは想像できた。
でも、それはびっくりするだけのことだから、ちゃんと説明をすれば良いし、野球も観たかったし、友達の誰かに
「ウーロン茶にさ、浸かってんのよ。」
「でも、なかなかキツいんだよね。」
「までも、ちょっと頑張ってみようと思っててさ。」
なんてことを喋りたかったのかもしれない。

 東京ドームのゲート入り口で待ち合わせをして、会ってみてすぐにわかった。会社の人や知人という立場の人に会うことよりも、知らない人に避けられることなんかよりも全然に、友達がボクに気を使う空間にいるのがキツいということを。
なんでもないようにしていたいが、まるでなんでもなくないし、なんなら装うのは友達に申し訳ない感じだってするし、キツい。
友達が
「なんか、大変そうだな。」
と言ったが気を使うというよりは、触れないわけにはいかない会話だったと思う。

 シートに座って何分くらいだったろう?
15分から20分くらいだっただろうか。

 「あんまり無理しない方がいいんじゃないの?」

 「いや、無理はしてないっていうか、」

 「やっぱさ、帰んない?」

 「そうだよな。ごめん。帰っか。」

 と言ったボクの言葉を合図にしてコンクリートの床に置いた荷物をそれぞれが取り上げる。

 友達の中での様々な葛藤の結論がそれだったのは全く理解出来るし、ボクはその言葉に救われた気がしたとも思う。
シートがあまりに良い席だったことは2人の葛藤をより面倒にはさせたけど、想像していた以上に様々がキツかったから、助かった。

 試合はまだ始まる前だった。

 選手に背を向けて、ドームの屋根に向かって試合前から楽しそうにビールを飲んでる人たちの間の階段を登った。

 登りながら、前を行く友達に申し訳なかったなという思いの色を、明日は仕事を休んで庄司先生のところに行こうという思いの色に変えるように、階段を一歩一歩登るごとに塗りたくって、心の痒みとか痛みを治めていった

【目次】
 第1話 巨人の星と
 第2話 イダパンと
 第3話 口裂け女と
 第4話 弟と
 第5話 兄と
 第6話 7人家族と
 第7話 高校野球と
 第8話 病院と
 第9話 アトピーと
 第10話 先生と

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