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仕事、家族、社会。Well-beingについて考えてみた。

Well-being。ついにこの言葉が、「会社」という私にとって最も身近なコミュニティにも登場するようだ。

今週社内のとあるメンバーとの会話の中で、このWell-beingという言葉を何度か耳にした。話を聞いていると、どうも会社の上層部の方から呟き出された言葉のようで、今後従業員のWell-being実現に向けた施策などが検討されている様子であった。

直感的に「実に面白い」と感じた。
なぜなら、私は、この言葉を昨今本当によく耳にしていたからだ。

私がWell-beingと聞いて真っ先に脳裏に浮かんだのは、りょうさん。

私が所属するオンラインコミュニティのメンバーでもあり、Well-beingについても研究されている、私にとってはこの分野での第一人者的な存在だ。
いつもりょうさんのnoteから多くの視座をいただいている。

しかし、改めて考えてみると、そもそも私自身これまでWell-beingについて深く考えたことがなかった。単にりょうさんのnoteを読んだり、Well-beingに関連するflierの要約を読んだり、イベントに出たりしていただけ。ずっとROM専だった。

今日はこの機会に、Well-beingについて立ち止まって考え、私にとってのWell-beingの捉え方、実践法などについて書いてみたいと思う。

Well-beingとは?

Well-beingという言葉を分解してみると、「Well」と「Being」という単語の組み合わせでできていることがわかる。日本語に訳すと、Well = 「良い」、Being = 「ある」「存在する」といった意味。

そこから連想すると、Well-beingとは、「良い状態にある」といった意味合いになりそうだ。

調べてみると、Well-beingという言葉は、1948年にWHO(世界保健機関)がその憲章の中で使ったことで、社会に登場した言葉のようだ。意外と昔からある言葉である。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。
https://japan-who.or.jp/about/who-what/charter/

WHOの憲章では、「すべてが満たされた状態」と訳されている。
また、Wikipediaによると、文脈の中で一般的に「幸福」「福利」と訳されることが多いようだ。

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仕事、家族、社会におけるWell-beingとは?

では、もう少し細かく分けて考えてみよう。毎日の生活が幸福、あるいは良い状態にあるとはどういった状況だろうか?仕事、家族、社会、というそれぞれの枠組みで見てみる。

まずは、仕事。仕事が「良い状態にある」とはどんな状況だろうか?
以下のような状態が思い浮かんだ。

・仕事が適度にある(忙しすぎない、暇すぎない)
・仕事の分野に興味がある
・仕事に自分の強みが活かせる
・仕事を通じて他者に価値を提供できる
・仕事を通じて自己成長できる

こんなところだろうか?
思ったことは、どれか1つでも欠けていると、「良い状態」にはあるとはいえない点だ。これら全てをバランスよく併せ持つことが大切だ。

次に家族について考えてみよう。

・家族が心身ともに健康である
・家族に笑顔がある
・家族との時間が一番落ち着く
・家族に「ありがとう」が溢れている

きっともっとある。こんなもんじゃない。言い表せないくらい家族というものは尊い存在だ。でも家族に関しては、仕事のそれとは明らかに違うことが1つある。それは、探す必要がない、そこにあるということだ。

気持ちさえそこに向かっていれば、偏差値の高い大学を出ていなくても、広い家に住んでいなくても、はたまたビジネスで成功していなくても、私は家族におけるWell-beingを達成することができるのだ。

最後に社会についても考えてみよう。

・人間が自然と共存できる世界
・子供たちが無邪気な夢を語れる世界
・大人たちが生き生きと仕事する世界
・幸せが世界レベルで循環している世界

これももっとあるだろう。古今東西、老若男女、人間・動物・自然、そんな全てのモノがwin-win-winな世界がこのイメージだろうか?昨今ではSDGsという言葉で語られるアクションも、この社会におけるWell-beingを達成するためなのだろう。

いずれもとても抽象度の高い話だ。綺麗事といってしまえばそれまでなのかもしれない。でも、これをみんなが達成している社会に、もし私自身がタイムトリップできるのであれば、是非それは見てみたいなと思う。

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Well-beingをどう実践するか?

さて、ここからが一番大事なパートだ。私はどのように個々のWell-beingを追求し、それを実践していけるだろうか?

うーん。。。イメージが湧かない。でもやはりイメージとして持っておくことが大事だろうと私は思う。どんなイメージだろうか?

一言で言えば、「自然体」であることだろう。外見的にも内面的にも鎧を外すというか、自分の「真の姿」と向き合った状態だ。

そんなことを考えていた時、ふと頭に浮かんだのが、ドラゴンボールのフリーザだ。

最初フリーザ(第1形態)は、ザーボンとドドリアを引き連れ、浮遊する物体に乗って登場する。余裕綽々の表情、体は戦闘服に覆われ、頭からはツノが生えている。戦闘力は53万あると自慢し、本気を出さずとも悟飯たちを倒せると言い張る。そんな傲慢なキャラクターだ。

一方で、フリーザの最終形態(第4形態)は、第一形態とは大きく異なる。

特に醜さが際立っていた第3形態からの変化は、大きな印象を私に与えた。それまでのフリーザが持っていたゴツゴツとした容姿から一変し、ツノの無いツルッとした頭部、人体のような滑らかな肉体美のフォルムへへ変化したのだ。とてもシンプル、だが内なる強さを感じる。そんな容姿が彼の「真の姿」であった。

翻って、私のWell-beingを追求することとはつまるところ、普段からこのフリーザで言うところの最終形態(第4形態)でいることではないだろうか?と考えた。

と言うのも、私たちは普段無意識下に、フリーザで言うところの第1形態でいることが、あたかも自分の「真の姿」であるかのように振る舞っているように思うのだ。"できる"自分を演じてみたり、他者と自分をまるでスカウターを使うかの如く比較してみたり、「自分の能力はこんなもんじゃない!」って心の中で叫んでみたりと。

でも本来ありたい姿はそうじゃないんだよなって思うのだ。強いとか弱いとか、良いとか悪いとかそういうことじゃなくて、素の自分と向き合った上で、自らの能力を最大化させること、それこそがあの第4形態のフリーザのように、自然な自分であり続けることなのだと思った。

全身鏡を通して自分と向き合おう

これが、今回私が出した結論だ。

素の自分と向き合うためには、まずは普段から鎧を脱ぎ捨てる習慣を身につけておく必要があると思う。その上で一番手っ取り早い方法が、鏡を通して自分の全身と向き合うことなのだと思うのだ。

まるで鏡がフリーザの最終形態を映し出すかの如く、鏡越しに自分の体を眺めてみる。そうすることで、真に自分がどうありたいのかが見えてくる気がするのだ。

今日は目が疲れているな、胸のあたりがモヤモヤするな、表情がイケてないな、など。眺めると感じることは本当に多い。だからこそ、そのモヤっとしたギャップと向き合って、じゃあこれを解消していくためには何ができるだろうか?と考えてみる。

今日は早く寝ようかな。笑顔を増やしていこうかな、モヤモヤする気持ちを書き出してみようかなと言った具合に。

それこそが、その日のWell-beingな自分をつくり、明日のWell-beingな自分をつくり、そして未来のWell-beingな自分をつくっていくのだと思う。

Well-being。奥の深いテーマだが、少しずつ探究を深めつつ、これからも向き合っていきたい言葉である。

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