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境界(きょうがい)ラジオ

ある時、退屈で微睡んでいた悪戯妖精・トックリは、強い無念の波動を拾った。
タガ・ヒロシという壮年の男が今際の際に嘆いている。
彼は、悪化した臓器の移植が間に合わず、力尽きようとしていた。
彼には、自身がこの世で他者に何ら善を為してこなかった、という思い込みがあり、そのままで終わる人生を、どうにも受け入れられないのである。

トックリは気紛れに、瀕死のタガを架空のサロンに招き、こちらが設定した一つの役割を与えるので、気が済むまでそれに携わらないか、と提案した。
タガは縋るようにして同意した。
彼の肉体は消滅し、使えた部分は秘密ルートで、必要な人々にまわされた。

タガはマネキンのような仮の器に宿り、次のような仕事に従事した。
失意のまま人生を終えようとしている、様々な境遇の人の魂を楽にさせてから、冥府へ送り出す、というものである。
具体的には、彼ら一人一人とカウンセリングのような形で対面し、彼らの全意識を、ラジオ型の容器にアップロードする。
その器の中で、精神的苦痛を幾分緩和された魂は、仮のラジオとして、過去の楽しかった記憶を元に、自ら番組を構成し、パーソナリティーとして、寛容の霧立ちこめる空間に向け、自由に語り、好きだった歌や映画音楽などもかけ放題できる。
自らを告白し、認知することで、濁りは浄化され、心は安らかに解放され、やがて昇天可能となる。
引き取られる個々の肉体の利用可能部分は、やはり特殊ルートで、トックリの指定する方面へまわされる。

こうしたシステムが無欠に公平であるかどうかは関係ない。
タガは、自らを納得させるものが欲しいのだ。
そして、それはシックリ行き始めていた。
他者の、ボロボロに傷つき果てた魂が、ラジオとなって、ポツポツと自分の言葉を発し始める。
各々、楽しかった日々の生命力を取り戻したかのように、活き活きと語り、時には笑う。
そうしたものを耳にして、心動かされぬはずがない。
生前の自分は、横柄で、他者を蔑ろにしがちだった。
悲しき人々の心が楽になってゆくことに関われている今、漸くささやかな満足感に辿り着けている。

どれほどの魂を冥府に送り出した頃か、タガは、借家で孤独死寸前だった不遇の男を、自らの架空ルームに招き入れた。
男の氏名を確認した時、タガは胸が詰まった。
許されるなら、男の魂の前で土下座したかったが、私情を自由に挟めるようには出来ていない。

男の名は、スガ・ヒロキという。タガの学生時代の友人だった。
時を隔て、不幸のどん底の状態である彼と接することは辛かった。
昔、タガは友人づらしながら、彼を助けたり突き放したりした。
悩みの根源である家庭のことを聞き出しながら、ロクにアドバイスも与えず、彼自身が僅かな打開策を得ようとするのを、こっそり邪魔したこともあった。
彼が何とか心の支えとしたかった異性の存在を知ると、それを遠ざけもした。
彼の悩める面影に子供じみた反感を持ったのか、或いは、似た名前の存在への、不当な憎悪があったのか、今に至ってもタガは自身の歪んだ行動の理由を完全に解き明かせずにいる。

タガは、これまでの対象と同様、ラジオへのアップロードを提案し、それを丁寧に勧めた。
スガ・ヒロキの虚ろな心は、タガの言葉をボンヤリ受け入れ、素直に従うしかない。
タガにはそれが堪らなかった。

スガはラジオとなった。そして、様々な記憶を懐かしみ、吐き出すための番組を始めた。
タガは引きも切らない新規の対象と向き合いながらも、スガのラジオを可能な限り聴いた。
スガは愚直に思いを語り続けている。

「私には、懸命に生きていた若い時代への、遥かなる恋慕があります」

「美しかった何もかもが今は遠く、取り返しがつかないけれど、確かにあったことを、力一杯叫び、その種子をどこかの空間にまでとばしたいのです」

スガはそう訴え、せっせと思い出の流行歌などを折り込んでゆく。
同じ時代を生きたタガにとっては、彼の話も彼が大切にしていた歌も、全てが胸に染みた。

休む間もなく語り、曲を流していたスガが、ある時不意にこんな事を口にした。

「傷ましくも輝かしかった頃、ある友達が何かと心弾む話題を教えてくれたことを思い出す。
良い話し相手だった。
青春時代の楽しかったことは、思えば、悉く彼が彩ってくれている。
彼をどれほど頼りにしていたことか。
互いに名前が似てたから、僕は特別な親近感を持っていた。
ひどく懐かしい。
彼に今でも心からの感謝を伝えたいと思っている」……

タガは一瞬、自分のことではない、と考えたが、スガが続けてかけた曲は、二人ともに好きで、何度か口ずさみ合った、日暮しの「い・に・し・え」だった。
余りのことに、タガはハラハラと涙を流す。
マネキンだから涙は出ないはずだが、それでもタガは泣いた。

ある一定の期間が過ぎ、タガは、スガであるラジオの前に立ち、
「そろそろご先祖の待つ彼岸へ飛び立たれますか」
と声をかけてみた。
ラジオはしばし答えない。
怪訝に思ったタガに、ラジオは意外な心境を吐露するのだった。
彼はこう言う。

「ラジオとなった私は、内側の膨大な喜怒哀楽と、それらに寄り添ってくれた歌たちとを、大きく解き放てました。
ところが、そこに、共感されたり、感謝されたり、無数の反応が来るのです。
あなたのラジオは、自分の壊れた心にも、そっと掌を添えてくれる、
この枯れた胸に、一滴一滴水を与えてくれる、
そんな通信が私の意識に入ってきます。
幽冥界からか、それとも現世の人からの声でしょうか。
私は十分安らいだし、このまま冥府へと進むべきなのかもしれません。
でも、それ以上に、今誰かの心の救いに、僅かでも役立てるのであれば、このままラジオとして、迷い苦しむ魂を、ほんのひと時でも楽しませて差し上げたい、というのが本音です。
どうか、聞き入れて頂けませんか」

タガにとって、ラジオとなった人々に反応が返ってきた話など初耳だ。
つまり、スガラジオの言葉にのみ、自身を浄化するだけではなく、それを拾う不特定多数のリスナーに届き、彼らの心の苦悶を和らげる、一種の効果があるのだろう。
これは彼の特別な才能である。
そして、それが誰かの役に立つのであれば、生かしたいと思うのも無理はない。
誰しもが、エゴであろうと、他者の役に立った充足感を欲する。
その願いを叶えてやりたいと思ったタガは、自分の受け持ちを作ってくれた妖精・トックリに呼びかけ、相談してみた。
すると、
「色々設定をリニューアルしよう」
と、いう話になる。
驚き、且つ呆れたことに、スガラジオに共感の電信を熱心に入れていた内の一人が、トックリ自身なのだと言う。

スガは、人の形の器に移されることとなった。
シンプルに動けて、簡易な装置を操りつつ、自分が望むがまま、孤独や絶望感に苛まれている生者も亡者も、架空のサロンに招き、その深い苦悩を取り除こうと努め始めている。
また、形はラジオではなくなったが、引き続き、宙に浮かぶ迷子の意識に向けて、自分が選んだ音楽と言葉とを送り届ける番組を、架空の機器と念波で発信している。
安らぎを求める螢火のような想念たちは、
「ノスタルジィに留まらない心の栄養素が貰える」
「干涸らびた私の種がどこかで芽吹くような希望を感じた」
などと、心からの評価を続々と寄せてくれているようだ。

彼は、絶望に消え入るところだった自分を救い、ラジオにアップロードしてくれた「カウンセラー」のアドバイスを守り、「創造主・トックリ様」へ向けて、常日頃ショパンの練習曲と前奏曲を、アダム・ハラシェヴィッチの演奏で流し続けている。
嘗て地獄のような孤独を舐め尽くしていた頃の創造主は、ハラシェヴィッチのショパンに痛みを和らげて貰っていたのだという。
姿も顔も知らない創造主だが、彼が安らげば、きっと悩み彷徨う多くの魂も、救われてゆくだろう。
そんな幻想を、スガはつながりの中に抱くのである。

そう言えば、器が変わって以来、あの親切なカウンセラーとは会話できていないが、どうしているのだろうか。
色々と識り合いたい雰囲気の相手だった。
しかし、それは贅沢というものか。
やり甲斐のある役目を貰った以上、このことだけに集中していれば良い。

ふと、スガは、普段気にも留めない、自分の左腕の肘辺りに目をやった。
ぶつけたところで、痛くも痒くもない仮の器だから、手足のどこであろうと、特に注意を払わずにいた。

黒マジックで「ありがとう」と一言。
そのクセのある文字に、遠い記憶が反応しかけたが、目覚めの際にスッと消える夢の如く、思い出しかけた男の顔もかき消された。

「ありがとう」。この言葉を素朴に伝えられる時、この世は美しい。
誰もが、これを可能な限り取り交わそうと、甘苦く心細い人生を、夢中で駆け抜けてゆくのである。
                                                                 (了)

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