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サマリー画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか【アート・エッセイ】31〜35

第三十一回


画廊巡りをして、評論を渡すことを始めて十年近い年月がたちました。

 様々な意味で、時が流れていることを感じざるを得ません。画廊というのは、様々な意味で出会いの場所です。同じ画廊に繰り返し行っていると、オーナーとも顔見知りになり、距離が近しくなり、関係性も深まっていきます。
 
 また、そこによく来られるお客さんとも、幾度か顔を合わせるようになれば、話もはずむようになります。また別の画廊で、会うこともあります。

 

第三十二回


 画廊でお会いした作家さんに、感想の評論を渡しているんですが、その方が、招待状やネットの情報などで、次の展示をされていることがわかったらできるだけ伺うようにしています。実際には、仕事の合間を見て伺うので、忙しい時や、遠い場所にはなかなか足を運ぶことはできません。

 それでもアーティストは、ある程度、同じ画廊で発表するので、馴染みの画廊に行っていれば、繰り返し見ることにもなります。

 ある時間を置きながら、その人の作品を見続ける。アーティストは、ある意味、商品を作るわけですから、基本的には期待されるものを作っています。ですから、毎回、予想外の突然変異したものが出てくるわけではありません。

 それでも小さな変化や工夫をしていますから、驚きや発見があります。これが、数年にわたると、作家のモチーフや技法の成熟や、飛躍や停滞を感じることもあります。

 作品との邂逅から、時を渡るような思いをする時、継続することの大切さを教えてくれます。


第三十三回

 日本の美術文化は、西欧とは、かなり違うと思っておいた方がいいようです。以前も触れましたが、パリには貸し画廊というのがなかったそうです(最近、あるようですが)。
 作家は、美術品という〈商品〉を生み出す〈工房〉もしくは、〈工場〉で、それを仕入れて、市場に流すのが〈画商〉というふうに考えた方がいいかもしれません。
 極端なことをいえば、〈工房〉のなかで、誰がどのように作業をしていても、かまわない文化かもしれません。〈工房〉の名前と信頼が、守られれば、いや高められれば、いいともいえます。

 日本では、かつての伝統工芸のあり方が近いかもしれません。

 普通の人が思い立って、絵描きになるなんて話は、まず、信じがたいようです。

 美術の本場は、向こうでしょうが、どちらがいいとは、いえるものでは、ありません。



第三十四回

 三十二回で、アーティストは、ある程度、同じ画廊で発表すると書きました。画廊にはランクのようなものがあって、小画廊、中画廊、大画廊とでもいうようなものもあります。業界の話ですから、あまり詳しいとは言えないのですが、分かる範囲で説明しておきます。

 そもそも、展示の形態は、企画展示というのがあって、画廊のオーナーが主体で企画を行い、集めた作品を売るものです。作家が主体となって場所をお借りして個展を開くのとは異なります。

 前者の場合は、商品をお店が集めて売るわけですから、オーナーが販売の主体となります。商店街のお店のようなものです。
 後者の場合は、商店街の空きスペースを借りて期間限定で、生産者が商品の販売をするようなものです。産地直送に形式的には近いでしょう。その変形として、作家集団が、大きめの場所を借りてグループ企画をすることもあります。これは、地域の農協や漁協が、ビルの一階や催事コーナーでやることにも近いです。
 中画廊から大画廊に、またがるような位置に百貨店の美術コーナーというものもありますし、貸画廊というようなものは、作家に場所を貸すもので、小画廊の領域になります。幕張メッセや東京フォーラムというものも、プロヂューサーに場所を貸す、大きな意味では貸画廊の一種かと思われます。




第三十五回


 三十二回で、アーティストは、ある程度、同じ画廊で発表すると書きました。三十四回では、画廊企画と、貸画廊の違いを少し説明しましたが、続きです。

 前は画廊の運営者の立場から説明しましたが、今回は、作家の視点から 分かる範囲で説明してみます。(細かいところは誤解もあると思います)

 美術を志すものが、大学卒業した後、作品を販売していきますが、いいものを作っていても、それを人に、社会に見せなければ、始まりません。
 アーティストというのは、基本的には個人業種でどこかに所属しているわけではありません。
(ただ、ある画廊やグループと専属契約していることもあります)
 だから、どこかで自分を宣伝していかないとならないわけです。

 卒業展、もしくは二科展などに出品していくわけですが、市場的な視点からすれば、ある意味、見本市みたいな要素もあります。そこに、可能性のある作品を生み出す作家を探しに来ている人もいるでしょう。
 二科展などのグループ展は、ギルドというか作家組合みたいなものが、会員の協力のもとで展示、見本市を開く、そういうものでしょう。その中から
世間や市場に認められるものが出てくるわけです。ただ、そこに会員として所属することは、緩さ、キツさの違いはあれ、ある種の派閥に属することにもなります。そこで一生懸命に頑張れば、どうにかなるというものでもないようです。
 結局は、作家としてどのように生きていくかということになります。

 自分を世間に導いてくれる一つの道が画廊ですが、画廊企画というのは、簡単に言えば、画廊がプロデユースする興行のようなもので、商売になる作家を呼んでくるわけです。この時は、経費からは基本的に、画廊持ちですが、絵が売れた際は、画廊と作家であらかじめ決めておいた比率で売り上げを分配します。

 貸画廊のシステムは、インディーズのバンドが、ライブハウスをお金を出して借りて、そこで演奏する、そんな感じです。ですから、会期中、お金を出してそこを借りるわけです。絵の売り上げは、画家が多くとっていると思います(それぞれの画廊における実際は、それぞれでしょうが)。
 この賃料というのは、調べてもらえばわかるでしょうが、そんなに安いものではなくて、一週間で五〇万は軽くかゝると思ってもらってもいいでしょう。
 絵はそう簡単に売れるものではないですから、その部分の経費をどこかで準備しながら、自分を宣伝していかないとならないという、そういう世界で彼らは生きています。

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