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【画廊探訪 No.166】タタラを踏んで、吹きあがらせる明日への炎――石見神楽・惠木勇也作品に寄せて――

タタラを踏んで、吹きあがらせる明日への炎
――「面の界」ギャラリー桜の木企画
    石見神楽・惠木勇也出品作品に寄せて――

襾漫敏彦

神楽に魅入られた者達がいる。

 神楽とは、これからを踏み出そうとするいまに、その土地で暮らしていた人々の全ての体験や記憶といった過去が、激しく流れこんで顕れる創造。舞い手は、失われた人々の想いを取り憑かれるように引きうけて、次の世へと手渡す架け橋となる。

 惠木勇也氏は、石見神楽の面師である。彼は神楽の舞い手を務めていたが、神楽の面に魅せられるように神楽面のつくり手になった。石見神楽の面は、粘土でつくった型に、石見地域の伝統技法で製作される手漉きの石州和紙を、幾重にも幾重にも押し重ねて固めて作られる。粘土を崩して残った面は、薄い木の板のような強度が保たれている。


 乾漆づくりのようにつくられた素の面に、装飾が加えられていく。顔の肌が塗られ、髪や髭が植えられていく。そして最後に、修正なしの一発勝負で、眉や髭が描き加えられる。

 多くの人が集まり、物がもち寄られ、人が動いて、ひとつの神楽が成り立っている。そこで行われているのは、繰り返された工程であり、それこそが伝統である。我執を離れた伝統に身をまかせるとき、人は過去と一体化して、根元の姿に出会えるのかもしれない。
 無意識に近い夢幻にあらわれる感情が集まり昇華して、神世に申し上げる神楽の世界が展開する。

 惠木は、神楽のそのような本質が、身体に染みこんでいる。そのうえで、彼は面師となった。彼は教わり学んだことを踏み返すように和紙を押し固めていく。衣装をまとうように、面、全体を塗っていく。一度しかない筆での描線、それは舞手の一振りである。やり直せない一振り、それこそ過去から未来への今であり、伝統が伝えられる為の創造なのである。


面の界、四人による七福神

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フェイスブックの御面屋 惠木舞工房サイトです。

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惠木勇也取材した動画です。


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