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あだ名!? 棲み分け!? 自分とは!?

私にはたくさんの「呼び名」と「あだ名」があります。

・名字(呼び捨て)
・名字+さん
・名前(呼び捨て)
・名前+さん
・名前+ちゃん
・名前+先輩
・名前+子
・名前+ぴ
・部長
・先生
・番長
・ぽん
・ぎろっく
・もっぽ
・ぴん
・右腕
・右足

ざっと思いつくだけで17個ありました。

高校生の時は「ぽん」という「あだ名」が定着しすぎて、全校集会で本名で呼ばれたときに「コイツの本名こんなんなんだ⁉︎」とザワついた上に、私の本名を知らないまま卒業する人が続出しました。

手を洗っていたら、「部長!!」と後ろから聞こえてきて、振り向いたら20人くらいの野球部に包囲されていたこともあります(私は決して野球部の部長ではない)。(そのあと何があったかは秘密…)

仲の良いおじさん達にはなぜか「先生」と呼ばれるし、大好きな先輩たちからは相変わらず「右腕」とか「右足」とか呼ばれています。

最近は自分の本名で呼ばれることのほうがむしろ少ないような気が…笑

そんな私ですが、私はどの「呼び名」も「あだ名」もとても気に入っていますし、ある意味では「棲み分け」のツールになっているように思っています。

人はいろいろなコミュニティーに属する中で、「自分の立ち位置」と「他者との適切な距離感」があり、良好な対人関係を築くためには、ある程度それらを守る必要があると思います。

この2つのどちらかを見誤ると、相手に失礼な印象を与えたり、信頼関係を築くことができなかったりしますよね…。

ですが正直なことを言うと、私はそういった「自分の立ち位置」や「他者との適切な距離感」を常に気にしながら他者と関わることがあまり好きではありません(というかもう疲れました)。

基本的に自分は常に周囲の雰囲気に気を遣い、周りの空気を読みながら生活しています。
でも、そのせいで結構な頻度で無駄に気疲れします。

ただ、唯一「呼び名」や「あだ名」がその気疲れを軽減するツールになっているように思います。

部活の後輩に「名前+先輩」と呼ばれたときには、一瞬にして「怖い先輩モード」に切り替わります。
教授に「名字+さん」と呼ばれたときには、背筋が凍ります。
大好きな同級生たちに「ぽん」と呼ばれたときには、どうでもいい話を何時間でも笑ってできる「おしゃべりモード」に切り替わります。
おじさんたちに「先生」と呼ばれたときには、温かい地元に帰ってきたことを実感して心がポカポカします。
先輩たちに「右腕~」「右足~」と呼ばれたときにはテンションが一気にMAXになります。
(野球部員に「部長」と呼ばれて包囲されたときには、非常に強い恐怖心が湧きました。)

「自分の立ち位置」と「他者との距離感」を一瞬で私に教えてくれる「呼び名」。
私にとってはとても大切なものの一つです。

ですがその一方で、私が小学生の時、クラスで「あだ名禁止令」が出されたことがあります。
本人が望まない「あだ名」が流行し、それがいじめにつながっていたのが要因だと考えられます。

「呼び名」というのが私たちの自意識にいかに大きな影響を与えているのか…。

普段あまり意識しないけれど、私たちが生きる上で「呼び名」は本当に大きな力を持っていて…

「自分」という存在を認めてくれる。
そして、自分の生活に色彩を与えてくれる「他者」の存在を浮かび上がらせる。

人々の想像を超えて非常に大きな力を持っている「呼び名」だからこそ、慎重にならなければならない場面も多くあります。
その一方で、「呼び名」があるからこそ、他者とのスムーズな対話を行うことができ、私たちの生活を豊かなものにしています。

これからも大好きな人たちに、お気に入りの「あだ名」たちで呼んでもらえる幸せをかみしめながら生活していきたいなぁと思います。



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