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僕が中卒である理由② 最終学歴中学1年。 両親と別れ叔父さん宅へ。 そして就職。

僕が中卒である理由、第二話。
幼い記憶の時から、世間一般の皆さんと大きく違った生き方に
今の僕の人生観が詰まっています。

今日は第二話として、青年となるまでのお話を書いてみようと思います。

第一話はこちら

極貧生活の中、学業は中学1年で終了。そして祖母は老人ホーム、家族はバラバラへ。

中学校へ通う道。日々が辛く、自然と通学しなくなった。

母親の商い、僕が小学生の3・4年生のあたりの話。
それまではうまくいっていたようだったけど、調子に乗って店を改装したことのより、借金苦になり、売上も良くなく、上手く立ち回れなくなっていた。
母はキャッシングにまで手を出してしまっており、時折小学生の僕が代わりに天神まで電車、地下鉄に乗り継いで返済に通っていたほど。(信じられませんよね)

母の男は家に出入りするようになり、居心地は悪いものになってゆきましたが
それでも僕は祖母と、細々と暮らしていました。
そんな時、僕は遊びのお金欲しさに、店の売上金をくすねて、ゲームセンターに行ったり、小学生ながら、野菜屋さんでバイトしたりしつつ、お正月に親戚からお年玉をもらっては、お小遣いも貯めて、好きだったラジコンを買ったり、自分のための生活をしていた。

そして、僕が中学生に上がった段階で、次第に店は開けなくなり、借金取りも来るようになり、地域の評判も悪くなる始末。
居留守を使う生活だったけど、僕も中学校1年で、いじめに遭い、学業についてゆけず、休みがちになります。

生活は荒んでゆき、一家はさらに極貧生活に突入していました。

そして、程なくし、おばあちゃんが痴呆になってしまい、親戚の叔父さんらと
母親は、祖母を老人ホームに入れたのです。
祖母だけが頼りだった僕の拠り所はいなくなってしまい、悲しい気持ちを抱いていました。

祖母が、僕に対して、お前は一体誰なんだい?というようになった時には
とても悲しく、そして不安な気持ちになったものです。

どこか知らないところに、一人で消えてしまいたい。そう心のどこかにあったが、そんな勇気もない自分がいた。


その後、当時僕は自分の生活のために、学校を休んでお肉屋さんでバイトをして(長く続かなかったけど)、悪い友達とつるみ、盗みをして、よく警察に捕まってた。 だけど、必死だった。
 
とにかく食べるために。 母親なんかどうでもよくて、全ては自分のためだった。
そして悪さをしながら、僕は中学校も行かず、引きこもりに。
大好きだったゲームだけが生き甲斐となり、外にも出ずに
自宅にずっとこもってた。

母の男からも罵倒され、殴られ、それでもめげなかった。
悔しさで殺そうかと思ったこともあったが、そんな勇気少しもなかった。
僕は本当につまらない人間だった。

そうして僕は中学校3年になり、1年から学業を放棄して
卒業を迎える時期となる。

学校からは卒業式には出られないが、式が終わったら卒業証書を渡すから
学校まで来いという。
一人で出向き、卒業証書を貰い、僕はすぐに捨てた。

自分なんてどうでもいい。
早く大人になりたいと思ったし、世間が嫌いだった。
母親なんてどうでもなればいいと思っていた。
そんな矢先の出来事、母親は僕を置いて蒸発してしまいます。

親戚の叔父さん宅に居候するも、17歳で一人暮らしへ。

僕が幼いとき、母と七五三に行った老松神社。思い出の場所はいつも神社でした。


最終学歴が中学1年。
こうなった背景は、こんな物語からだった。
だけど、初めから高校に行こうなどという思いは少しもなかった。
お金もない、学もない、高校なんて僕には関係のない世界と思っていた。

世間から見ると、高校に行かないという選択は、一生の中で大きな選択である中の
最も厳しい一歩だと思う。
今の僕はそう感じないが、世間はそう見るだろう。

そんな厳しい道を選んだ僕に待っていたのは、
幼年期からの劣等感、怒り、心の貧しさからの解放だった。

母親の蒸発から、すぐに身寄りのない僕には、祖母の兄弟である叔父さんがいた。
その叔父さん宅に居候することになった。

綺麗な和室、僕にとって信じられない生活だった。
誰にも邪魔されない、誰にも影響を受けない、学校もない、そんな僕は
働きながら、家賃を叔父さんに支払う代わりに住まわせてもらうことで
人生で初めて自分らしい生き方をスタートさせることができると思っていた。

そう、思っていた。
だけど、それこそ、心と向き合うことができた出来事の始まりでもあった。

初めは、街の弁当屋で働いていた。
だけど、その弁当屋に、中学校を卒業した同級生たちが冷やかしに
来ることもあり、徐々に働きにくくなる。
気にしなければいいのだろうけど、劣等感の塊の僕には

あいつ、中学もろくに卒業もできないヤツだろ?
こんなところで働いて、人生終わったな
そういう眼差しで見られていた。

僕の心の中は、悔しさでいっぱいになっていった。
その思いが爆発したのは、働き出して数ヶ月後のこと。

天神にあるラジコン屋さんによく出掛けていた時
ここで働けないかと相談したことから、街から抜け出すきっかけが出来た。

叔父さんにお世話になり、その叔母さんが特に僕を可愛がってくれていた。
お世話になりながら、この町ではないところで働くことができることになり
僕の視野と世界がまた一段と広がることになってゆきました。

仕事への情熱、思いの変化。僕はようやく自由になった。

天神のラジコン屋さんは、とあるビルに入っていた。
そして、休み時間などに、同じビルの中のパソコン屋さんによく遊びに行っていた時のこと。

その店長さんが、ウチで働かないか?となんと声をかけてくれた。
僕はラジコン屋さんで色々と思いちがいもあり、問題があった関係で、
すぐに返答、パソコン販社にバイトで仕事を鞍替えした。

その後、すぐに正社員化されて、僕自身に一人の人間としての価値が出始めた瞬間を感じたのです。

その時、仕事が楽しく、そして思いがいくつも芽生えていった。
誰もいなかった友達も出来てきた。
そうして、お世話になっていた叔父さん、叔母さん宅から、出て一人暮らしをしようと決心した。

そして、決心の時、僕には彼女が出来た。
その彼女こそ、嫁さんであり、人生を大きく前進させてくれる出会いが待っていたのです。

91年ごろの職場の写真。
Appleや、Fujitsu、Sharpなどの担当をしていました。相当のオタクと化してましたが、とても充実した日々を感じ始めていました。


その当時、16歳。 嫁さんとの出会い、一人暮らしの始まり。
何もかもが過去の僕からの脱却となる、とても重要な一年のお話しは
第三話で一旦完結します。


叔父さん、叔母さんからの勘当、僕が帰る場所全てが
なくなった瞬間の背景にあった物語とは・・・・

第三話へつづく。

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