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紅バラの逆襲 ①

ブルブルという振動。ジャーンジャーンと携帯の音。
うるさい、まだ寝ていたいのに。誰。枕元の携帯が何回も鳴る。ぼやけた頭に覚醒が訪れ私は不満だった。

最近まとまった睡眠が取れなかったからハルシオンを3倍飲んで、そして他にも眠れそうな錠剤を飲んで2日くらい眠ってやろうと思っていたのに。時計を見ると寝てから14時間だ。カフェのバイトも予定もなんにもなくて休みを入れていたのでだらだら眠っていたかった。

しぶしぶ着信履歴を見るためにベッドのサイドテーブルにシーツの中から右腕だけ出して携帯を見る。枕がバサッと床に落ちる。

不在着信が8回。全てマネージャーの佐藤からだ。重い頭を起こして水を飲むためにキッチンに行くとご丁寧にダイニングの固定電話にもたくさんの留守電が入っていた。これも全て佐藤からだった。固定電話には私宛てにしか電話はこない。元は亡くなった父の固定電話だからだ。成り行きで同棲している彼は一切固定電話はさわらない。

しばらく休む、って言ったはずなのに。なにかあったのかしら?冷蔵庫からクリスタルガイザーを取り出してキャップを開けながらコップに注いだ。

…マネージャー。響きはいいけど私は彼の素性はよくは知らない。肩書きはモデル事務所のマネージャー、となっているし、佐藤晃司という名前も本名なのかすら知らない。そもそも架空の事務所なのだから。

私はその佐藤からのスカウトでモデル事務所、スタジオアクトレスに所属しているモデルということになっている。
実のところ、モデル事務所とはかりそめで仕事内容は電話で呼び出されて指示された場所、(それは大概高級ホテルだったが)に出向き、一晩男の相手をするというものだった。一般の風俗よりも高額なギャラだけが魅力のいわば高級コールガール。観月、かんげつさくら、と名乗る女性と知り合うきっかけにもなったのだった。所属している女性とはめったにバッティングはしないけれども観月さくらとは顔を合わせることも多かったのだった。

・・・

勤めていた建築事務所からのリストラに遭い、腐って一人でバーでギムレットを浴びるように飲んでいた私に頼んでもいないキールがバーテンダーから私の前に静かに置かれた。カウンターのコーナーの一番奥にいた背広にネクタイ
の中年のサラリーマン風の男。それが佐藤でキールは佐藤が話しかけてくる口実でもあったのだ。
しばし飲みなれないキールを見つめながら。とりあえず会釈すると佐藤は馴れ馴れしく隣のスツールにかけて名刺を渡してきた。スタジオアクトレス?モデル事務所?私には縁のない世界だわ、と訝しげに名刺と彼、佐藤晃司を交互に見てからキールを半分だけ飲んで黙っていた。
うちの事務所にモデルとして在籍しないか?との彼のスカウトの言葉に仕事を失くしたばかりの私はつっけんどんにあしらい、それでも何かしら仕事になれば、とか考えながら黙っていた。
「OLなのかな、スーツ着たまま一人でバーかよ。」
「ええ、一人でバーです。今日クビになりましたけどそれがなにか?」
「なら無職なわけだ。」
佐藤は私の身長やスリーサイズをずけずけ訊いてきた。
「モデル、って。私三十路半ばですよ?たいして背も高くないし。154センチで需要あります?あるならあるで別にかまいませんが。」
「へぇ。まだ20代半ば、ってことでいいよ。独身?髪、長いね?切らないでね?長い髪で小柄ならいいよ。」
「は?」
「明日名刺の代表電話下の番号に電話ちょうだいよ。」
じゃ、とにやけた顔のまま佐藤は店を出ていった。
モデル?なに、あの男。
会計しようとしたらバーの代金は全て佐藤が支払い済みだという。
あー、明日電話しなければならなくなってしまった、と仕方なく自宅に戻り、翌日その代表電話の下の番号に電話をかけたのだった。
一人暮らしの古びたマンションが私の自宅だ。もう両親はずっと前に他界したのだ。一人きりだった。専門学校卒業間近に両親は交通事故で亡くなっていた。とりあえず住む家はある。卒業を控え両親がこの世を去り、心療内科にはかかったがそれにも縁を切ってから建築事務所に就職した。地道に生きてきて不況からリストラされたのだから余計に孤独だった。
ままよ、と携帯を握る。

 スタジオアクトレスです。電話の向こうから無愛想な男の声。
「あ、昨夜のバーで名刺、」
遮るように一方的に電話の向こうの声が話してくる。
「あー、昨夜の彼女ね。俺、佐藤です。うちに来る気になったぁ?」
なんて軽いノリなんだろうか。
「はぁ、あの昨夜はご馳走様でした。」
「名前は?本名ね。あっ、下の名前だけでいいよ?名字は言わなくていいから。」
「は?」
「名前。」
「……ひろみですが。」
「じゃ、み、は外して、と。氷室ってどう?」
「は?」
「芸名みたいなものよ?ダメ?いや?」
「……。」
「ひむろちゃん。そうねー?氷室かすみ、にしておこう。いいねー。小柄だからかすみそう、ってことで。」
「あ、まあ何でもいいですけどなにしたらいいんですか?」
「名刺作るからさあ?この番号から電話するから。呼ばれたら一晩、うまい飯食ってうまい酒飲んで話し相手になればいいんだよ。男の。相手は大枚はたいて来るから失礼のないようにな。電話には出てよね?番号登録したよ?金にはなるからね。」
プツリ、と電話が切れた直後に電話が鳴る。また佐藤晃司からだった。
「電話したらタクシーできて。契約してるタクシー会社のを使え。Eタクシーな。仕事入ったらまず名刺の住所のビル三階に来いよ。名刺渡すから。またな。あっ、髪長いままだからな?勝手に切っちゃダメだからね!」

いったいなんなの?違法じゃない。は。売春?ってこと?男の相手?うまい飯に酒ですって?モデル事務所じゃないの?
ぶつぶつ一人ごとを呟いた次の日の昼間に佐藤から電話がかかってきた。
「氷室ちゃん、とりあえず事務所きて。通勤スタイルでかまわないから。」
「じみなスーツしかありませんけど。」
「あー、いいから。こないだのでかまわないから。」
名刺の所在地のビルまではタクシー使って10分ほどだった。三階。小さな表札。小さな看板が入り口の前にある。     スタジオアクトレス。ローマ字表記だ。

チャイムを鳴らしたら女性の声がかえってきた。
「どうぞ。ロック開けます。お入りください。」
その女性が観月さくら、かんげつだった。
ドアを開けるとすらりとした、私より背が高い女性が出迎えてくれた。髪を肩よりも短めなボブにしている。20代後半か、30代前半か?の薄い化粧。
「佐藤様からお電話いただきました。」
「聞いてるよ。よろしくね。私、かんげつさくら、と呼ばれています。観察の観に月、です。氷室かすみさん、ですよね。私、昨夜から今朝までお仕事でした。小柄な女性で長い髪、って佐藤マネージャーから聞いていたから。」
どうみても普通のOLでどこからみてもどこにでもいそうな優しそうな爽やかな笑顔で観月は手招きした。
「たぶん、今交渉してるのはかすみさんのお仕事だと思うよ。名刺、できてるから。はい。」
白い地味な名刺には深緑の文字。
              スタジオアクトレス
      氷室  かすみ

それだけ印刷されている。
観月は続けた。
「佐藤マネージャーがお客様と交渉して、そうねー。一晩なら10万以上にはなるかなあ。月に三回くらいで30くらいかしら?それ以上もらえたりしますよ。」
「え?」
「ご飯食べて眠るだけの方もいるし。まあ、ね。お酒の相手からそれから、ってこともあるから。」
「あの、かんげつさん、それ、ってあのぅ。」
「割りきることよ。他言は無用だから。嫌ならお断りできるから大丈夫だから。ね。」
涼やかな笑顔で観月はクローゼットを指指した。
コートやドレス、スーツとかあるからこれを着て、って佐藤マネージャーから言われたのを着てね。サイズいろいろあるけど、あっ、左が小さめなサイズだから。一番右にある青いバラのベルベットのドレスはごめんなさい、私専用なの。

流されるように。

コールガール。小柄で華奢なのが売り。そして背中まである長い髪が、氷室かすみであること。がそれが私の仕事になっていく。
奥の部屋から明日の夜8時ですね!と佐藤の声が聞こえる。
「ね。氷室ちゃんのお仕事みたいね!皆さんお客様、お金持ちばかりだから。」
「あの、佐藤さん、って何者なんですか?」
あまりに軽いノリの佐藤に引き気味の私に、
「ああ、元は株式投資で当たって。で。アクトレスを始めた、って聞いているから。他はあまりわからないけど。」
観月はにこにこしながら話す。
佐藤マネージャー。なんて軽薄なノリの男なんだろうか。それでもまた詩人みたいな名前を女性につけるのだな、と妙に感心したりもしたのだった。

(けれどもなぜだか佐藤と観月はもしかしたら、とも感じたのは私のカンは当たっていたのだ。)

仕方ない。


今は仕事を失った身だし、失業保健も使い果たしたら。仮に再就職できなかったら、と私は覚悟を決めた。

つい最近まで地道に図面をひいていたのに。自分が踏み込んだことのない世界で働く。
しかも違法かもしれない世界で。

大丈夫、セレブな方ばかりのはずだから。
観月は続けた。
「あのね、私の名前、満月の夜に佐藤さんに出会ったから観月、ですって。桃子、だから。さくら、って名前なんですって。」
ふうん。そうか、桃子さん、っていうのか。
人懐こい笑顔の観月は桃子、って名前をきちんと名乗りご丁寧に運転免許までチラ、と見せてくれた。私は少し困りながら自分の本名、もきちんと彼女に伝えた。
「あの、私、ひろみ、って言います。他にも所属している女性たくさん居るのですか?」
「うーん、いる、っていえばいるけどね。あんまり顔を合わせることないから気にしないで。仲良くしましょ。ひろみさん。あっ、氷室ちゃん。ね。」

・・・

次の日に初仕事だった。
言われた通りにスーツで事務所に出向く。
深紅のセットアップのセパレートの服を渡され、着替えて上着を羽織る。
「きちんと前金を振り込まれているからね。がんばってきな。夜8時から翌朝8時まで駅の近くの新しいホテルの12階だから。フロントには客から話を通してあるから部屋番号と佐藤、って伝えろ。30もらっているから半分は氷室ちゃんね。8時にはタクシー回しておくから。タクシーにも佐藤です、でいいから。代金はアクトレスの佐藤まで、でいいから。」

・・・

そうか。8時から8時までで15万か。そうか。

ついた部屋で待っていたのは同じくらいの年齢の男でセレブには見えなかったが無口な男でおずおず挨拶をした私に
「初めて宝くじが当たって。100万あるから贅沢したい、ルームサービスがラストになる前になにか食べないか。」とだけよそを向いて話し、タバコに火をつけた。ロングピース。
「吸うか?」
タバコを差し出したその男がまさか自分の男になるなんかそのときは夢にも思わなかったが。
とりあえずルームサービスの食事を一緒にしてあとはこいつと寝るのか、と割りきるしかなかった。

・・・

スタジオアクトレスでは月に何回か仕事がきたのだった。
自分がだんだん堕落していくのがわかったが。スタジオアクトレスの事務所では観月に会うことも多く、いつしか互いの電話番号を交換して私たちは仲良くなった。
互いの誕生日も教えあって観月が私より四つ、歳が下で同じ4月生まれであることに二人で笑った。
そして、佐藤が観月とも男女の仲であり、そして観月にはきちんと別に恋人がいる、アクトレスではパーツモデルをやっているのだと恋人に話していることも聞いていた。
佐藤は彼女に恋人がいることは知っているが彼女の恋人は本当のことは知らないという。大学卒業してからしばらくしてから佐藤と知り合いアクトレスにモデル登録、在籍したという。髪は最初長くしていたがアクトレスで仕事をはじめてバッサリ、と短くボブにしたという。

初めて宝くじを当てた私の初めての客、その男は2ヶ月後、またかすみを、と指名してきた。またそのあと二回。

乱暴な男ではない。口数も少ない。
しかし、彼はわざわざ借金して指名してきたのだと部屋で話し、繰り返されるうんざりする泣きごとを聞いた私は情に流され、わかったわかったとついにはその男とは私的につながり、付き合い、私のアクトレスの仕事をわかった上で事務所には内緒にしながら一緒に暮らすようにもなってしまったのだった。
それは腐りきった惰性かもしれない。寂しさをうめるためなのかもしれない。

佐藤マネージャーには話せなかった。
しかし観月には私はそれを話したのだった。

観月は静かに言った。

そんなこともたまにはあることだから。プライベートだから佐藤マネージャーには内緒にしておくね。

そう。私達には共通の秘密ができたのだから。

月数回。仕事は夜8時から朝8時まで、そしてチェックインからチェックアウトまでをオールと呼んでいたが佐藤の交渉で高額なギャラでいつしか自分が元のOLに戻ることはできないかもしれない不安と短期間でアクトレスから去らねば社会からドロップアウトして40になる、いつしか仕事はこなくなることも理解していたはずだ。
余計なお金は人を堕落させてしまう。自分自身が自堕落になりいつしか自分が本名のひろみではなく氷室かすみになっていく。

足を洗わなければ、とアクトレスからの依頼がないときはとりあえずカフェでアルバイトをしたりもした。

だんだん毎日が辛くなる日々が続く。
客はいろいろいた。そのほとんどが確かに経営者や金持ちの道楽遊びで酒の相手だけで済むこともあればなんにもしなくていいから添い寝していて欲しいだの、いきなり押し倒す初老の男やその男の妻までいたりした。ギャラはよくてもうんざりする。
気に入らないのかずっと黙っている男までいた。
イライラしながら一晩中座っていなければならない。
ならあっさりと帰れ、と言ってほしかった。

同棲している男は夜勤専門の仕事をしているため、すれ違いの生活にもすっかり慣れてしまった。

私はいつしか両親が事故で亡くなった時みたいに眠ることができなくなった。医者からハルシオンやソラナックスなどをもらうようにまた再びなってしまった。
飲まないと眠れないようになってだんだんそれに慣れていく。

観月は青いバラのドレスに着替えながらこう言った。
「あまりお薬は体にはよくないよ。あ、こないだね。氷室ちゃん、いや、ひろみさんのイメージに、ってコーヒーカップ、お誕生日だったでしょ。」

白いマグカップには深紅のバラが金色のハートの中に描かれ、それを有刺鉄線が守っているイラスト、反対側には天使の羽根のイラストがある。

「カップの底にね。名前入れてもらったから。遅れたけどお誕生日おめでとう。赤いバラが素敵じゃない?」

確かに底にはひろみ、と名前があった。オーダーで名前をいれてもらったそうだ。

彼女はよく青いバラのドレスを着ているから深紅のバラのグッズを探したのかもしれない。

「ね。バラが守られてる。だから大丈夫だから。氷室ちゃん、いや、ひろみさんは真っ赤なバラのイメージだから。大丈夫だから。」
「私が?」
「うん、深紅のバラ。」
「そうか、ありがとうね。桃子さんは青いバラだもんね。」
「あ、ドレスかな?」
「うん、青いバラのイメージ。」
私はそのカップを大切に箱にいれて持ち帰った。
観月には悩みがあったのだ。それは彼女が持ち帰れない客からのプレゼントだった。
花束。他、ハイブランドのグッズなど。中には指輪などもあったようで圧倒的に花束が多かった。
「持ち帰れないから。彼になんて話したらいいの。だって、一緒に暮らしているから。こんな派手な花束パーツモデルがしょっちゅうなんておかしいよ。」
「そうか。そうだね。」

・・・

そんな中、眠れなくてカフェにもアクトレスにも休むと伝えてハルシオンを余分に飲んで休んだのだ。

少し余計に眠りたい。毎日がいやになる。

佐藤マネージャーからの不在着信があったのはそんな時だった。

                (②へ続く)





                     

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