超複製技術時代の芸術展@GYRE ①

難しかったけど面白かった展示。

超複製技術時代の「超」がどこにかかっているのかやや不明瞭だが
全く同じものをいくらでも複製可能であるデジタルアートとそこに価値を付与しうるNFT技術をテーマにアートを考察する展示。

アートのありかたを根底から揺るがす新しい技術を前に(そしてNFTアートへのバブリーな投機熱を横目に)、最前線のアーティスト達がそれぞれのやり方で解釈し、皮肉り、利用し、問いかけ、モノにしようとする様子を垣間見たかもしれないと思う。

副題は「分有、アウラ、超国家的権力 NFTはアートの何を変えるのか?」で、これもパッと見では何言ってんだ…?という感じだが
展示をひととおり見た後で振り返ると、なるほど、その通りであった。(説明はできない。)

そもそもの理解が浅いため最前線の人達の言うことについていけないのは当然なのだが、よく分からないなりに色々と考えさせられた。
ので、その断片たちをメモ。



第1室
・「所有のありかたが変わるよね」の部屋。イントロとして、初心者にも比較的わかりやすい問題提起がなされていたように思う。

・購入者にNFTのデジタル作品と物理的な絵画のどちらかを選ばせる作品。一旦両方を所有させた上で選ばれなかった方を破壊するのがミソ。私ならどっちを選ぶだろう。何となくモノの方を選ぶ気がする。本質的ではないが、形あるモノが壊されるほうが嫌なのかもしれない。

・ジェフ・クーンズのバルーン・ドッグの3Dプリンティング+NFTの証明書。モデルは無償公開で3Dプリンタさえあれば誰にでも同じものが作れるが、NFTの真贋証明書を購入することで「高価なアート作品」となる。のか?アートの価値はどこにあるのか。既製品を転用した作品に焦点が当てられているのも面白い。(が面白さの言語化は難しいので省略。)

・所有がテーマの部屋なのだが、経年劣化を想定した作品や二度と同じ状態に戻らない動画タイプの作品があったため「有形/無形」「変化/不変」の違いによって価値がどう変化するか、みたいなことを考えてしまった。
・こうした対比的な特性のうち、一見デジタル側の特性らしいことが、少し見方を変えると非デジタル側の特性に思えたりそうでなかったり、混乱。

・例えば「不変」。個人的には「不変」は非デジタル側の特性のように感じられる(紙の本よりもweb記事のほうが変更が容易なので)。が、形あるものは朽ちたり壊れたりすることを考えると「不変」はデジタル側の特性かもしれない。となると、会場にいくつかあった動画作品たちは「不変性」をひっくり返そうとしたものだった?のか?

第2室
・「そこにアウラはあるんか?」の部屋。

・「アウラ」は馴染みがないが、ある本でいわゆる「オーラ」の意味で使われているのを見たことがあり、そう読みかえても良いなら少しわかりやすい。本物を本物たらしめるもの。
・何かの記事で坂本龍一が言ってたのを読んだ記憶もあり、こちらはあまり理解できないまま読み飛ばしてしまった(が、確か「1回性」に近い意味で使っていたと思う。)

・ルー・ヤンのビデオゲーム(ややグロ)はちょっと気になる世界観だったが、この部屋のテーマとの関連はあまり掴めず。(あと、デモ機をちょっと触った限りでは操作性が悪すぎるのと文字が多すぎると思う。)

・森万里子は難解過ぎてよくわからなかったが、私の中では「トムナフーリ」の人なので(やっぱ素粒子とかが好きなんだなこの人)という雑な感想に落ち着いた。

・今ハンドアウトを見てて気づいたけどソル・ルウィットじゃん…。先週近代美で作品を見たけど新鮮な気持ちで(NFTでもデジタルでもないけどGYREの展示との関連を感じるなぁ)とか思っちゃった。ってか解説に「NFTによる芸術の期限として位置づけられる」とあるがそうなのか。アルゴリズム絵画なのはわかるがNFTとの関連がいまひとつわからない

・「アウラ」の意味するところは何となくわかるものの、第2室の作品たちがアウラについて何を言わんとしているかがよくわからん。
・この部屋についての解説文にも疑問が残る。アンディ・ウォーホルの成功は、複製によるアウラの増幅を示すだろうか?


ふー何かだいぶ長くなってしまった。疲れたのでとりあえず終わり。
第3室のメモは気が向いたら書きます。

展示は終わっちゃったけどサイトはまだあるぽい(んだけど、デジタルの数字がバーっと舞う凝ったエフェクトのせいで見づらい)


超複製技術時代の芸術展 @ GYRE
2023年3月24日(金)~5月21日(日)

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