春日部八幡神社2

春日部八幡神社【埼玉・春日部市】

埼玉県の東部は地図を見るとよくわかるのですが、関東平野のほぼど真ん中に位置していて、大小様々な河川が縦横無尽に流れているエリアです。

この辺りは「中川低地」(なかがわていち)といわれ、西の荒川と東の江戸川に挟まれたエリアで、何と、この二つの大きな川の川底よりも低い土地なんです。

縦横無尽、というのは大げさな表現ですが、太古の昔、浅間山や榛名山の噴火による火山灰の砂が利根川やその支流などを流れ、かつ乾燥した砂が風により河川付近に堆積し「河畔砂丘」(かはんさきゅう)を形成しました。

なんか、ブラタモリみたくなってきました(笑)。

地形や地学の難しい話は省略しますが、要するに、関東平野にはかなり低い土地もあって、水が溜まりやすいために河川や用水路が多いんです。用水路を見て「これは、こっちが川下だから・・・」と見ると、「あれ?北上している?」みたいなこともあります。雨量によっては氾濫しやすく、場合によっては逆流する川もあります。
よく知られている被害でいえば「カスリーン台風」(1947年)の時ですね。埼玉東部から都内東部まで大洪水に見舞われ、大災害となりました。
でも・・・。

春日部八幡神社3 首都圏外郭放水路

↑ 今は、この首都圏外郭放水路があるから大丈夫なんです!
まるで、パルテノン神殿のような”地下要塞”に見えますが、これは巨大な貯水槽です。入ってみると「おおっ」って唸りたくなります。総工費約2300億円のメガインフラですね。
雨量が多い時は、ここに中小河川の水を貯めて、頃合いを見ながら江戸川に排水します。このメガ施設のおかげで、洪水はずいぶん減ったといわれています。

春日部八幡神社1

おっと失礼、春日部八幡神社(かすかべはちまんじんじゃ)の話です。
冒頭で河畔砂丘に触れましたが、この神社はまさに、この河畔砂丘に建てられた神社なのです。今でこそ周囲は住宅地ですが、昔は野原の中にこんもりと砂丘が広がっていたのでしょう。実際、境内を回りながら足元の土を見ると細かい砂であることがわかります。
創建年代と由来は不詳ですが、HPによると鎌倉時代、この地をおさめていた春日部氏が鶴岡八幡宮(神奈川・鎌倉市)を篤く信仰して、この地に八幡神社を作ったことが始まりとされています。

ここからは20.315の想像ですが、恐らく春日部氏はここから鎌倉まで何度も行脚したのではないか、と思います。源氏に仕えた身として。事実、鎌倉街道のひとつ鎌倉街道中道がこの近辺にあったとの説があるからです。春日部から鎌倉までおよそ80キロ。今なら電車で2時間程でいけますが、徒歩なら・・・約18時間。

現在は春日部の総鎮守として、クレヨンしんちゃんとともに市民に愛されている神社といえますね。

【基礎データ】
■創建 不詳 ※1330年代との伝承。鎌倉時代の末期か。
■祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと=神功皇后 じんぐうこうごう)、武内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)、豊受姫命(とようけびめのみこと)
■住所 埼玉県春日部市粕壁5597
■HP 春日部八幡神社

※首都圏外郭放水路は春日部市内にあり、定期的に見学会を開催しています。料金等は首都圏外郭放水路HPをご覧ください。
※埼玉、群馬、栃木、茨城、そして千葉各県の県境にある「渡良瀬遊水地」(わたらせゆうすいち)も河川の氾濫を防ぐために整備されたものです。
※河畔砂丘は旧利根川水系付近、木曽川水系付近にあります。



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