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“船のでんきや“にしかできない事をやり続ける 其の一

おかげさまで弊社の販売しているマリンランプは、全国各地のマイホームを新築・リフォームやマンション・アパートのリノベーションを施工中のお客様から注文をいただき発送しています。

最近では、わざわざ遠方から実際のマリンランプを見に来店されるお客様も増えてきました。

新しいのになぜか懐かしい、 懐かしいのになぜか新しい、 マリンランプ

弊社の販売している「マリンランプ」は、昭和40年頃から漁船で本当に使われていた作業灯をアレンジしたものです。

なんだか無骨で船の揺れで人がぶつかったり、風で何かが飛んできても壊れないように仕組みになっているだけのものです。

だから便利なセンサーも取付け難く、とてもじゃないですがオシャレなデザインとは言えません。

ただ言い換えれば、それが設置スペースが限られているため小型化され、よりシンプルなデザインになっているということです。

逆に長所だと思える点は、もともと実際に船で使われているので優れた耐久性や防水性を兼ね備えています。

そして、長い年月にわたり使われ続けたものにしかない独特の存在感を持っています。


使われている素材も真鍮・青銅鋳物なので、その特徴は少しづつ黒っぽく変化すること。設置してからのガード部分の色合いの変化も合わせてお楽しみいただけます。

新築の家に取り付けられたお客様から「これから、うちの家族も同様にどんな風に変わっていくのか楽しみです!」といったお便りをいただきました。そんな風に家族と一緒に成長していける照明器具なんです。
(ゴールドのみ、シルバーはクロムメッキのため変化は少ないです。)

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新しいのになぜか懐かしい、 懐かしいのになぜか新しい、と感じるマリンランプ。 それが、いろいろな方にマリンランプが支持される原因だと勝手に思っているのですが・・・

船のでんきや日東電機

船で使われている船舶照明が人々の暮らしを照らすようになるなんて自分が考えたにも関わらず、何だか不思議な気分です。

今では人気のマリンランプですが、ここまでくる間には人知れずいろんなことがありました。。。

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漁師町の便利屋がはじまり

父の先見の明!?
 
弊社は「昭和26年頃から地元の漁船にバッテリーを販売したり発動機を修理していたのがはじまり。」と先代の社長である父に聞いていました。

父は漁師の家の次男に生まれ若い頃は実家の漁船に乘っていたのですが、肺結核にかかり長期の入院を余儀なくされ漁師を断念しました。その療養中にいろんなことを勉強したらしく、退院後は無理のきかない体になりながらも漁師だった経験を活かして漁船の修理をはじめ、もともと手先が器用な方だったの近所の家庭での困りごとにも気軽に対応していました。 

日東電機工業所

その頃この町には、バッテリーの販売を専門とする金沢の会社の支店として「日東電機工業所」という店がありました。本社から出向された方が経営されていたのですが、父をバイトという形で雇って商売を広げていったということです。

後にいろいろな事情から経営者の方が金沢へ戻らねばならなくなり、父に店を譲りました。こうして父が「日東電機工業所」の社長になったのです。

ただ、なにせ田舎のこと当時は戦後のドサクサではっきりした資料が残っていませんが、平成元年に法人化し現在の名称になりました。

 
嫌なことから逃げても碌なことにはならない!
 
後継者としての苦悩!?
 
私はそんな「日東電機」の長男として生まれ、家業を継ぐことが暗黙の了解のように育ってきました。

201905小満1s

ただ、手先もそれほど器用でもなく行動的でもなくどちらかと言えば家で本を読んだりするのが好きないわゆる内向的な性格でした。数学や物理が苦手で、「何かをやりたい!」という特別なことも無く自分を束縛しているように感じた“家”や“田舎”から逃げ出したくなって大学進学の道を選びました。それも“家”への反発からか畑ちがいの文系の学校へ進みました。

「自分磨き」を意識して
 
在学中は、何かの本で読んだ「何もしたいことが見つからないなら、今はとにかく自分を磨きなさい!」とう言葉に啓発されて、様々なバイトをしたりいろいろな人に出会い話を聞き、とにかく「自分を磨く!」ことを意識しながら過ごしました。

卒業間近かになって今までバイトしてきた中のある会社にお世話になろうと決めて、その会社の入社試験まで受け合格の通知をもらいました。そんなとき、父が若い時の肺結核の後遺症から肺気腫になってまた長期入院することを聞かされました。

嫌なことから逃げても碌なことにはならない!
 
就職の報告と父の様子を見に帰郷した時のこと、今まで進路について何も言わなかった母が「父はこれから人工呼吸器を離せなくなる。貴方は長男なんだからこの店の将来のことも考えてください。この仕事をよく思っていないのもわかるけれど、貴方にしかできないこともある。嫌なことから逃げても碌なことにはならない。後で必ず自分の身に降りかかってっくるから・・・」と言われました。。。

「自分しかできないこと」の決断
 
家業を継ぎました。
 
それからもう一度よくよく考え、内定をもらっていた会社へも謝りに行きました。

大学を卒業後、家業を継ぐために魚群探知機や無線機等を製造販売する会社に就職し昭和63年に帰ってきてこの仕事をするようになりました。

魚群探知機や無線の修理に関しては一通りの技術は習得してきたつもりでしたが、「船のでんきや」の仕事は奥が深く発電機などの取付技術は輪島に戻ってから必死に勉強しました。

船に故障があると夜中であろうと時間に関係なく連絡が入ります。私を頼って連絡があるので眠いと言ってはいられずすぐに駆けつけ何とか出漁できる状態にします。

漁師のお客様の「ありがとう!」の一言を聞いた時この仕事をしていて本当に良かった思います。

 
海事功労者
 
この仕事について30年近く経ちますが、数年前に海上保安庁より「海事関係功労者」という大変名誉ある表彰をいただき今後の励みになりました

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其の二へ続く・・・



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