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コメダでフィードバック⑤

久々にコメダでフィードバック

初心に帰って
コメダでまとめる最近のあれこれ。

さっきまで、友人と話していた。
彼の関東の言葉は、私を不思議と安堵させて、
いつもどおりの吹き抜ける風のような爽やかさで、電話は切られた。
私はとにかくジメジメとした女なので、憧れる。
6月生まれの女だからか。
あのカラッとさが、気持ちが良くて、
ちょっとやっぱり淋しくさせて、
好きなんだな。




”あなたにとって銭湯とは何ですか?”という
問いを、Instagramのストーリーで、
フォロワーの皆さんに問うた。

夢、
旅、
記憶、
命の洗濯、
自分と向き合う時間を作ってくれる空間、
人生、

、、、、、、、

熟考しても、熟考しても、
自分のアンサーを出すのは本当に難しくって。

最初に頭に浮かんだのは、米。
あまりにもアホっぽいし、
気を衒っているみたいだし。
でも、考えども考えども、それしか浮かばず。
ああ。

銭湯ってなんだろう。

お金を払ってもらい、お湯を提供する。
温泉のように、自然に湧いたものではなくて、
人の手を加えて、水をお湯にする。

私が好きなのは、人工的に作ったお湯なのか。
それとも、銭湯という場なのか。
人との交流が好きなのか。

間違いではない。
でも、決め手にかける。
軸はどこにも見当たらない。
全然、しっくり来ない。

「“一致感”と”違和感”を大事にする」

という話を読んだばかりだ。

一致感は、メリットはなくとも、
感覚でぴったりと、自分っぽいもの

=今のあなたと合ってる

違和感は、メリットはあっても、
感覚にハマらず、自分っぽくない

=今のあなたとズレてる

感覚だとか、◯◯っぽい、ぽくない、なんて、
自分の感覚を意識してないとなかなか出来ないことだ、感覚主義すぎる、なんて風に言われてしまうんだろうか。
損得勘定で生きてる人からしたら、
こんなのバカって思われちゃうのかな。

沖縄の宿の小さな小さなカプセルのような
ホステルの中で、頭に浮かんだ言葉がある。

私が好きなのは、お湯になること。
共にお湯になる場作りがしたい。

共に湯になり、揺蕩いたいのだ。

“湯になる体験を売る”

私の中で、これがひとつの答え。

そして、
銭湯とは何ですか?という問いに対しての
答えは、やっぱり米だ。

生きている実感を
与えてくれるものであり、喜び。

人の手によって作られて、
多種多様な種類があり、
育て方によっても、
環境によっても、
如何様にも変化する。

日本人のDNAに刻みつけられているもの。
いや、日本人だけに限らず、
人間の本能に喜びをもたらすものとさえ言っても過言ではない。


軸はいつだって、自分である必要がある。

偽、という漢字は、”人の為”で構成されていると、私の星の先生は言っていた。

人の為、を中心にしたら、
偽の人生になるよ、と。

その通りだと、私は知っている。

ああ、そうだ。
自分の行動のパターンを思い出した。

いつだって、言葉が先に来るのだ。

行動はあとで伴えばいい。

現在の私は、その言葉を帯同する未来の私に
必死で追いつこうと走り続ける。

それが私の生き方なんだろう。

烏龍茶、飲もっと。


百恵ちゃんの声が、一段と今日は沁みる!

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