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距離感

距離感について考えてみる。
多分、書き終える頃は、距離感ではない話に着地するような気がする。

が、とりあえず、まずは距離感についてから始めようと思う。

私はここ数年で、距離感を感じるスキルが身についた。
これはとても喜ばしい事であると思っている。

かくいう今も、距離感!距離感!いけね!近づきすぎた!距離を持て〜い!
と感じて、避難中です。

避難の形は色々あります。
今日みたいに、心理的な距離の取り方が一番多いかな。
物理的にも客観的にみても、様子は変わっていないが、私の心の中に変化が起こっている。

まぁ、たまには、物理的な距離を取らないとダメなこともあります。
が、多くの場合は心理的な、心の中での距離でどうにかできるようになりました。

はっ。。。!距離感!と思い出すキッカケもだいぶ分かってきました。
多くの傾向としては、例えば人から言われた言葉や、LINEのメッセージなどを受けて、自分の頭と心の中で、ネガティブな解釈をつらつらつらつらと始めた時。

その時はもう、できる限り迅速に距離を取ること。と、決めています。

例えばね。
「まぁ、いいんじゃない?」と、LINEが来たとする。
これは、事実だけを挙げると「まぁ、いいんじゃない?」と言うLINEが届いたと言うだけの事なのですが

え。まぁってなに・・・?実は不満なの?
え、なに、なんか上から??え?
とか、考えるようになるんです。

そうしたら、もう、そこから距離を取るサイン。
全く違うことをする。それがいい。

おすすめなのは、まず、その場を立つこと。
トイレに行くのでも、ちょっと外の空気吸うんでも。

不思議なもので、目に入るものが変わったり、
室内の温度が変わったり。そういう変化だけでも、自分の中の景色と状況が変わる。

外的な刺激で、自分の内面は乱される事もあるけれど
外的な刺激によって、その乱れが流されていくこともある。

つくづく、外的な刺激に弱い。
外的な刺激に流されて生きているのだなぁと思います。

どっちにしても刺激を受けちゃうなら、
いいように、外的刺激を使えるといいよね。

でも、こうなる為には、外的刺激に犯されて、自分なんてものがどこまでも無くなった経験をして、やっとできるようになった距離感の工夫。

もし、解釈の波に揉まれて、なんだか良くわからないが、ストレスが溜まっていたり、不安や、不満が溜まっていたら、距離の取り方、試してみて欲しいと思います。

「それは根本的な解決になってないよ〜」
とか言う人がいたら、
「お前のそのアドバイスが、根本的な解決を妨げてるよ。おバカさん。」
と、心の中でつぶやいて、さっさと退散してくださいね。

多くの場合、そう言うツッコミを入れてくるのは、
誰でもない、自分。って言う場合が多いよね。
自分にやたら厳しい自分からも、しっかり距離をとって欲しいと思います。

世の中に、人生に、劇的な変化が起こる事もある。
でもそれは、日々の積み重ねがもたらすものなんだろうと、40歳を過ぎて分かってきた。

だからね、今この瞬間に奇跡を起こさなくていいのだと思います。
今ここから逃げて、距離を取る。その英断で、心を過剰に傷つけず、無駄なことにエネルギーを割かずにいる訓練。それが距離を取ると言うことなのではないでしょうか。

まぁ、、、無駄って究極はないんだろうけれど、なんでも拾って、なんでも良いことにしようとするのも、なんか窮屈だよね。

あと、逆に、距離の取り方だけ覚えて、逃げまくるのも、なんか、ちょっと困っちゃうよね。

さらに言うとさ、バランスばっかり保ててる人も、なんかしゃらくせ〜よね。

今日は距離取っとくのが良いかも。今日はガンガン攻めてみたら良いかも。いや、今日はバランスとっちゃうよ〜。いろんなスタンス使い分けて、トライアンドエラー。自分にあった方法を見つけられるといいね。

その時には他人様軸、社会軸不要だから。
あなたが今、どんなスタンスでいたいか。それに素直になって欲しいなと思います。

あら珍しく、寄り道せず、最後まで距離について話せたわ。
今日は私は、逃げの姿勢でゆっくりのんびり。

それも一生懸命、生きているってことさ。

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