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修士(情報学)取得予定のわたし、プログラミングができない

こんばんは。ちかと申します。

情報系を目指す方の助けになるなら良くて、失望になるかが心配だけれど、こんな院生もいるんだよ、のご紹介。
(心の声、多めでお届けします)


私は、理系を自覚して10年以上、情報系の学部を卒業し、就職でなく大学院を選択して1年半が経った、しがない理系大学院生である。

学部の紹介は「パソコンカタカタ」、もう少し詳しく言うと「電子デバイスの中身を学んだり、コードの勉強したり、データをいじったりする」、研究の紹介は「システムを作って評価実験をする」。明らかに、プログラミングを連想することをしているし、そう聞かれたら否定をしないで生きてきた。

こんな、THE!な環境に身を置いていてあまり自覚したくなかったことだが、私はどうもプログラミング…特にコーディングができない。情報系を名乗り始めて5年以上、これからも情報系出身と謳う身分での切ない気づき。(我ながら勇気がある)

ちなみに、コーディングとプログラミングの違いについて↓

簡単にいうと、私はプログラミングの一工程であるコーディング(=実際にシステムになるコードを書く段階)ができないので、プログラミング(=プログラム作成の全て)もできないのである。
コーディングができないってことは、プログラムがどう成り立つかを本当には理解できていないということだからね。あな、おそろし。



実の所、自分では以前から薄々気づいていた。就活でいただいた内々定の職業が悉く「プログラミングをしてくれる人はそばにいるけど、実際に自分はやらない部署」であること。研究で書かなくてはいけないものは先延ばしにして最後に着手していること。無意識に避けてきたのは事実だし、適性があるというよりないと言った方が話が早い。
でも、まさか情報系でプログラミングができないなんてプライドもあるし、じゃあ何をやっているの、と思われそうで言えなかった。

しかし、最近になり学部時代から漠然と思っていた事実を、やっと自覚することとなる。

きっかけはかの恋人だ。
どの恋人かというと、情報学で大学院まで進学し、研究でももちろんコードを書き、学部時代にはサークルの費用を管理するマイページを1から構築して、ディズニーに行くためにチケットのキャンセル待ちのシステムを作って、来年からエンジニアとして生業を持つことになっている私の恋人である。
理想の情報学生とはまさに彼のこと。論理的で合理的、「プログラミングしかできない」と謙遜だか自慢だかわからないことを言う、自他ともに認めるプログラマーだ。(ちなみに、全然プログラミング以外のこともたくさんできる)

私と比べるにはあまりにも相手に失礼だが、それでも、さすがに「情報系の学生」で一括りにできてしまう私たちだ、そばにいて改めて思う機会が莫大に増えた。

「この人、ほんとうに好きでやってるんだ」って。

だって昨日何やっていたか聞くと、研究かバイトか趣味かサークルと返事が来るが、その実前3つはプログラミングである。研究を嫌がるときは「発表資料を作るのがめんどくさい」と言い、さしてストレスに感じないというときは「いまはコード書いてるだけだから」と言う。
また、趣味でプログラミングしようと思って、挙句にそれのコードを書くなんて私からしたら正気の沙汰じゃないが、彼にとっての心の安寧こそそこにあるらしい。だれが家族旅行の新幹線の中で暇だからという理由でコーディングをするというのだ。スマホのゲームみたいなテンションで言わないで欲しい。


一応、情報理工学を専攻して学部卒業までこぎつけた名誉のために言うが、プログラミングをしたことはあるし、コーディングもしてる。思った通りのものができたら嬉しいし、試行錯誤が楽しくないわけではない。プログラミングの醍醐味とか、楽しい部分とかはそれなりに知っているつもりだ。コーディングをしていて、思ったような想定のシステムが思ったような形でできた時、手作業では到底できないことを私の作ったシステムがやってくれた時などの味わいは確かに癖になる気持ちも分からなくもない。
でも、そもそも概念をちゃんと理解している自信があまりない。何よりもその「時間をかけたことに対して得られた成果で楽しい」が、私の人生のなかの楽しいランキングの圏外に位置する。「やっと解放された!」がいちばんの感想になる。(いま取り組んでいるものからもさっさと解放されたいなあ)

どちらかというと、私はどんなシステムを作ったらどんな人にどう影響するのか考えたり、自分の意見を可視化して他の人と交換をしてより良いものを模索したり、スケジュールが間に合うように計画を立てて采配を振ったりする作業の方が、遥かに、そう、遥かに楽しい。もしも万が一プログラミングをしなくてはいけないのであれば、せめてコーディングをするのではなく、設計やテストをしていたい。

いまのプログラミングも、研究のためじゃなかったらとっくに辞めているし匙を投げている。
特に、恋人がプログラミングができる人だから私も頑張ってみたいと思ってやってるからメンタルも崩れていないが、もしも今の恋人がいなかったら毎日泣きながら黒い画面を見ていることだろう。泣きたい気分にはなってるんだから(恋人ありがとうねえ)

逆に、私は文章を書くのが一等好きだけど、恋人は「手紙とか書けない」、簡単なメッセージでさえ「考えるのにめちゃくちゃ時間がかかる」という。彼は私が日記で文章を書くどころか、他に大量にメモを残したり考えたことをあらゆる媒体のあらゆる形態に走り書きしていることを知らないし、noteに書いて世の中にデジタルタトゥーを残していることをきっと信じられないと思っていることだろう。(私は手紙欲しいんだけどなあ。無理かなあ。)

そう、これが「適材適所」といわれる所以。人には向き不向きがあるものだ。
恋人にも「プログラミングができない」と言ったら「そうなの?」と肯定せずにいてくれたけれど、その後「プログラミングよりも私にはもっと向いていることがある」と泣き付いたら「それはそうだね」って言われた。(改めて、こんなワンシーンでも恋人は本当にやさしい)


そんなわけで、色々と脱線したが、私はプログラミングができないことを満を持して認めることとした。

理工学生と言う肩書きを背負っていても数学ができない人がいるように、情報学生と言う肩書きを背負っていてもプログラミングができない人がいる。でも、大丈夫。ちゃんと職も手に入れたし、今のところ傍目からみたら順調に、情報学生6年を終わることができそう。研究だけが、ちょっとやばい。

私にとっても、憧れで決めたのが学部の段階でよかったと思う。別の学部に入って、うっかり就活で「プログラマかっこいい〜流行りだし〜」と新卒でプログラムに関わる、特にコーディングをする部署に入社していたら、悲しくて辛いことになっていただろう。「情報系」と一口にいってもコードを書かなくても情報系の職種にありつけ社会に貢献できることも知って卒業できることも、未来に希望を持って確実に「私にとって楽しそう」な将来像が描けることも、学部で飛び込んでおいたからこそだ。自分の選んだ場所を、私なりに200パーセントちゃんと踏みしめて味わえている自信がある。よかった。

だから何が言いたいかって、向いている学部じゃなくても、ちゃんと将来のためにはなるよってこと。もちろん、入社するときに間違えたっていい。どのタイミングでもいい。
どんなときも、自分の選択が間違ってることなんてなくて、遠回りしたり、もっと自信を持って「これが好き」と言えるようになる準備になる。
どんなことも周りよりできないなら、他に向いているものに出会うチャンスだ。


それはそれとして、わたしはプログラミングができない。
研究、本当にどうしよう!!!

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