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カップ焼きそば文化圏と縄文土器文化圏

ちょっとお腹が空いたけど、何か作るのは面倒だ、というとき。学生時代の部活帰り、家に帰れば夕飯はあるんだけどヘトヘトすぎて家まで持たないよ、というとき。深夜の雀荘、今夜のツキが悪いときに流れを変えるために。

みなさんはどんなときにカップ焼そばを食べているだろうか。そしてそのときにお湯を注ぐのはどんなブランドだろうか? 「日清焼そばU.F.O.」、それとも「ペヤング」? いやいや、断然「やきそば弁当」でしょという人だっているはずだ。カップ焼そばの話になると、みんな意外なほど、自分の「推しメン(麺)」にプライドを持っている。

縄文をテーマにしたこの雑誌でいきなりなんの話をはじめているんだと、いぶかしがる方もいるだろう。しかしこのカップ焼そばのブランドの話は、日本の地域性の話でもあるのだ。
次の日本地図「カップ焼そば文化圏」を見てほしい。この図は「あなたの地域でカップ焼そばと言えば?」というアンケートの結果だ。各メーカーでシェアなどは公表しておらず、この結果は売り上げやシェアをそのまま反映しているものではない。あくまで印象の話ではあるのだが、ここではこのような分布になっている。


東日本では「ペヤング」の印象が強く、西日本は「U.F.O.」。北海道では、北海道以外ではほとんど馴染みのない「やきそば弁当」が圧倒的だ。そして北東北では「焼そばバゴォーン」が人気となっている。ちなみに「一平ちゃん」はアンケートではどの地域でも2位3位が多く、広く人気がある。

このカップ焼そば文化圏を見た賢明な縄文好きな読者は、ピンときているのではないだろうか? そう。縄文の土器様式の分布に似た傾向が見えてくるのだ。
もちろん長い縄文時代、1万年の間に土器の様式やその文化圏は変化し続けている。「一概には言えない」のを前提に次の図、「縄文土器様式の分布」を見てみよう。


まずは右の図、縄文中期中葉。この時期は縄文時代、日本列島全体で一番人口が多かった時期だと言われている。北海道は全体的に押型文系の文化圏、重なる形で道央・道南から北東北までが円筒土器文化圏となっていて、これは「やきそば弁当」と「焼そばバゴォーン」に重なる。ちなみにこの2つは同じ「マルちゃん」ブランドで、どちらも他のブランドにはないスープが付いている。
そこから東日本にはたくさんの土器様式が生まれ、この小さな地図がごちゃごちゃしているが、ひとくくりに(怒られそうだが)大きくまとめるとしたら「ペヤング」文化圏に近い範囲になっている。一方、西日本は縄文時代を通じてそれほど人がいなかった地域で、この地域はそのまま「U.F.O.」文化圏だ。

続く後期前葉の図を見てもらうと、さらに傾向は顕著になり、「やきそば弁当」、「焼そばバゴォーン」文化圏や「U.F.O.」文化圏は大きくは変わらず、「ペヤング」文化圏とその時期に関東を中心に広く分布した堀之内式土器の文化圏が重なってきている。
土器はさておき、カップ焼そばの分布はなぜこのようになったのだろうか、各メーカーにお話を聞いてみた。

なかなか他の地域では見ることのできない「やきそば弁当」と「焼そばバゴォーン」のマルちゃん(東洋水産)の広報さんによると、「2品とも発売当時は全国発売でしたが、シェアの高い地域での販売を継続した結果、今の販売エリアになりました」という。やはり寒い地域、温かいスープが決め手になったのだろうか。
一方、全国で発売され、全国での売り上げもナンバーワンの「U.F.O.」を発売する日清食品では、「大阪発祥ということもあり、西日本、特に近畿では古くから多くのファンの皆様に支えていただいている」とのこと。発売当初は西日本のほうが営業基盤が強かったようだ。ちなみに過去には西日本と東日本で違う味の「U.F.O.」を販売していたことがあったが、現在では全国で統一の商品になっている。
同じく全国で発売されている「ペヤング」のマルカ食品からは、今回は残念ながらお話は聞けなかったが、東日本で親しまれているのは、本社が群馬県にあることが大きな理由なのだろう。
こちらも全国販売の「一平ちゃん」を発売する明星食品でも、地域によって味に違いをつけていることはしていない。「今回あげた他の銘柄に比べ後発の『一平ちゃん』の売りは、『こってりとした濃いソースとマヨネーズ』です」カップ焼そばにマヨネーズは今でこそ定番だが、発売開始当時は画期的な組み合わせということで爆発的なヒットを記録し、「一平ちゃん」はカップ焼そばブランドの一角として名を連ねるようになったという。

さまざまな要因でカップ焼そば文化圏は出来上がり、各地域で親しまれている。もちろん今の文化圏が永遠には続くわけではないだろうし。新しいスーパールーキーが全国統一することだってありえる。〝渡来系〟カップ焼そばだってないとは言い切れない。

言わずもがなではあるが、いくら各社に話を聞いたとしても、縄文土器の様式とカップ焼そばのつながりは見えてこない。まあ、はっきり言ってそりゃそうだとしか言いようがない。ただこの企画で筆者が言いたいのは、その文化圏の類似よりも、縄文時代とひとくくりに言っても、そこには多様性があり、カップ焼そばのブランドと同じように、「おらが地域の自慢の土器様式」があったということだ。
もちろんこの類似が全くの偶然とも思ってはいない。縄文時代の一万年間で醸成された日本の中の地域性というものは、たとえいくつもの時代を経たとしてもそう簡単には消えるようなモノでもないからだ。
土器様式に代表される縄文時代の文化的まとまりは、緩やかに現代につながっているのかもしれないのだ。

さて、あなたはどのカップ焼そばが好きですか?

(このnoteは縄文ZINE6号からの抜粋です)http://jomonzine.com

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