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なにもしなかった一日が、いつかお役に立つことを信じて

今日は資源ごみを出す日で、年に一度の立ち会い当番であった。
朝6時過ぎに収集場所に出向きゴミの種類ごとのカゴを並べて、近隣住民がゴミをだしに来るのを待ち受ける。

当番の時期は一年の内で少しずつずれていくはずだけど、思い返せばずっと冬に当たっている。
動いているうちは良いけれど、時間が経つにつれてメチャクチャからだが冷えてくる。
足先から手の指先から順に体の表面、内部へと冷たさが広がっていく。
その場で足踏みしてもジャンプしても無駄な足掻き。
そのうち風も出てきてもう最悪である。
ほんの一箇所陽が当たるところができて、みんなでそこにかたまる。
全身おっぴろげでお日様に当たるワオキツネザルを思い出す。
ちょっとあったかくて、嬉しくて涙が出そうになる。
お日様は偉いな。

2時間寒さに耐えて帰宅した時にはもう、手足がまともに動かせないくらいガチガチにからだが固まっていた。
とりあえず洗濯を終えて軽く食事をしたあたりで猛烈な眠気に襲われた。
まだまだからだが温まっていない感じだしもう一度ちょっと寝よっと⋯

で、目覚めたらなんと18時だった。
なんなの、これ。
せっかくの休日にやったことといったらゴミだしだけかよ。

ここのところ、絵を描くことも文章を綴ることもできていない。
別に誰かに求められているわけではないけど、自分の中身を放出できないことは、私にとっては苦痛だ。
だから今日みたいにただ時間を浪費してしまった日なんて、すごい罪悪感に苛まれる。

でも、よく寝て起きてお風呂入って夕飯作って食べて、ほっと一息ついたら、これはこれでよしとしようと思えた。
長ーい人生のうちの今日一日、何事もなく無事に過ごせただけでも御の字なんじゃないかって。
明日が来ないかもしれないと思うと後悔するけど、たぶん来る明日のために今日はパワーをチャージできたって思えば、まあいっかな、で許せる気がする。
なにを許すのかといえば、「なにも生産しなかった自分」を、である。

なにが幸せか、は気の持ちようだ。
今日なにもせずに過ごした私の一日が、巡り巡って誰かのお役に立てるときがきっと来る。
そう信じて明日に備えてゆっくり眠るとしよう。
みなさまお休みなさいませ。












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