ゆう(自分に水をやる)
ようやく子育てが終わりました。たぶん。とりあえず大人になってくれて、結果オーライ・・・かな?今ようやく落ち着いて、いろんなことをふり返ります。
思い出は 色と匂いと手触りと味と
なんとなく過ぎていく時間をちょこっと覚えておく
食べていくためにお仕事に行きます。楽しいこと、つまんないこと、色々あるけどここで吐き出します。
昭和の思い出つぶやきます。 音楽やファッションなど、ボチボチと。
子供の頃からずっとずっと絵を描くのが大好きで。 ひとよりもほめてもらえることがちょっと多くて。 だから絵を描くことに救われて来て。 絵を描くことが仕事になればいいなと思っていた。 でも、私にとってはそれはかなわない夢だった。 とてもとても遠回りをして生きてきた。 いま、もう一度絵が描きたい。 このあとの人生で、ひとつでも多く思い通りの絵が描けたなら。 そしてひとりでも多くの人がそれを見て立ち止まってくれたなら。 今度こそ夢を夢じゃなくするために、自分を思いっきり吐き出していき
今年も残すところ後わずか、年が明けるとムスコの誕生日がやってきます。 1999年1月14日にムスコは生まれました。「誕生日が成人の日の前の日なんて覚えやすいね」なんて話したのを覚えています。残念ながらその翌年から成人の日は連休の構成要員として、日程をふらふら彷徨い始めました。それにしたって来年は1月8日って、ちょっとやりすぎじゃないですか。そんなに国民の正月休みを長くしてどうしますか。景気回復がたいして望めないからせめて休みだけでも、なんて休日の数が増えたわけでもないし…、あ
朝ドラ「らんまん」が終盤を迎えている。 「らんまん」はこれまで私が観てきた朝ドラの中で、一番好きかもしれない。 他にも、ときめき、ワクワクし、泣き、笑い、「明日まで待てない!」と思った朝ドラは多かった。 感情の振れ幅は例えば「おちょやん」の方が大きかったかもしれない。 痛みがとてつもなく大きく伝わるドラマだったから。 でも、「らんまん」は何よりも「居心地が良い」ドラマだった。 ずっとその世界に浸っていたくなる様な。 それはひとつのことだけをブレずに追いかける主人公たちの姿が描
今日は資源ごみを出す日で、年に一度の立ち会い当番であった。 朝6時過ぎに収集場所に出向きゴミの種類ごとのカゴを並べて、近隣住民がゴミをだしに来るのを待ち受ける。 当番の時期は一年の内で少しずつずれていくはずだけど、思い返せばずっと冬に当たっている。 動いているうちは良いけれど、時間が経つにつれてメチャクチャからだが冷えてくる。 足先から手の指先から順に体の表面、内部へと冷たさが広がっていく。 その場で足踏みしてもジャンプしても無駄な足掻き。 そのうち風も出てきてもう最悪であ
昨年10月に、パソコンにカフェオレをぶちまけて充電できなくなってしまった。 すぐにアップルさんに持ち込んだところ、キノコのようなヘアスタイルの優しそうなお兄さんから「修理するのと新しいのを買うのと同じくらいの金額になります」と全然優しくない宣告を受け、肩を落として帰宅した。 他の修理屋さんにも聞いてみたが、「診断するだけで有料、直るとしても5、6万かかるしそのまま良い状態が続くとも限らない」とつれないお返事。相対的貧困層の私にとっては悩むところである。 「開いて逆さまに置いて
あまりにもプライベートなことで抽象的な表現しかできないけれど、去年の終盤から今まで精神的にどうにもがんじがらめになってしまっていた。 自分ではどうしようもない出来事。 人が相手なので思い通りにいかないのは当然なんだが。 ならば自分の意識を変えればいいと、本来ポジティブ思考の私はいろいろ試してみたものの、どうにもうまくいかない。 自分の意識さえコントロールできないことに嫌気がさし、自己嫌悪に陥ってさらに精神状態は悪化するばかり。 前向きになるのなんてカンタン!って思っていた
おはようございます。 今日もいつもの朝だけど、昨日とは別の一日が始まります。 あいにくどんよりしていますが、これから晴れても雨が降っても、今日も今日を生きていくのです。 今日はまた、私にとって新しい一年でもあります。 またひとつ歳をとりました。 幸か不幸か、実は何も変わっていないんだけどね。 どんどん人生が残り少なくなってはいくのですが、できることなら時間を無駄遣いしないように、貪欲にでも軽やかに、面白いことを追いかけて過ごして行けたらいいなあ。 人生最後の日に、 「や
先日買い物中に、突然背中に痛みが走りました。 すぐに痛みがきえたのでほっとしたのも束の間、帰宅して夜になったらちょっとでも動くと激痛が走るように。 うええええ、どうしよう。 一歩も動けない。 ムスコのゲーム用の座椅子を拝借、痛みで大声を出しながら少しづつ動いて、ようやく少しだけ楽な姿勢を見つけ出しました。 当然その夜はほとんど眠れません。 ネットで調べると、ギックリ背中なるものがあるらしい。 正式には「筋筋膜性疼痛症候群」、筋肉や筋膜の組織が破れてしまういわゆる肉離れの状態ら
私は郵便局の電話受付の仕事をしています。再配達、不着、苦情、なんでもござれ。そして、もちろんお客さまからの相談事も賜ります。 一人暮らしの高齢者からの相談をよく受けます。 「足が悪くて集合ポストまで取りに行けないので部屋まで届けて欲しい」 しばしばそんな相談をうけますが、残念ながら対応することができません。 どなたにも公平に配達するという理由からです。皆の希望に添い、集合住宅で一軒ずつ部屋まで配達していたら、あまりにも時間がかかりその日の配達は終わらなくなっちゃう。でも「
終活の一環として部屋を片付けている私、本日は古い本の中からこんなのを発掘しました。 フーテンというと寅さんを想い浮かべる人が多いでしょう。 でも私にとってはこれ。 永島慎二作「フーテン」。 瘋癲(フーテン)とは 1 精神の状態が正常でないこと。 また、その人。 2 通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日を送っている人。 昭和40年代、社会からはみ出してしまった若者たちが街にたむろし、ボーっとその日暮らしで生きていた。 彼らはフーテン族と呼ばれていた。 そんな人達を
わからない わからない なにが言いたいのか なにが起こっているのか わからない... と思いながらも観続けたのは、映像の美しさと俳優陣の演技の素晴らしさと見事な演出のせいだろうか。 状況を説明するようなセリフも無く、抑えた演技で、3つの時代の3人の女性たちの時間が次第に絡み合っていく。 伝わってくるのはただただ、何物かに縛り付けられている心の痛み。 その痛みとは、 自分の居場所が無い不安定さ 本当の自分でいられない危うさ 自分以外の誰かには埋めることのできない虚無感 だ
現在のNHKの朝ドラ「ちむどんどん」がTwitterを賑わせていた。 内容に納得がいかない視聴者が多すぎて”#ちむどんどん反省会”なるハッシュタグがトレンドに上がっていた。 これまでも反省会タグはあったけれど、毎回トレンド上位というのは初めてとのことらしい。 私もその納得がいかないひとりで、今ひとつ登場人物の心情がうまく伝わって来ないっていうか、起きる事柄だけを追っかけているだけに思えてしまうというか。 好きなシリーズのときは毎日「朝から泣かせるなよ〜」と言いながらも満足して
惑星探査機はやぶさがリュウグウから持ち帰った石や砂から、23種のアミノ酸が見つかった。その中にはタンパク質を構成するアミノ酸も含まれ、地球生命の材料が宇宙から到来したのではないかという説を補強する成果である。 というニュースを聞いて、宇宙つながりで子どものころに読んだSF小説を突然思い出しました。 タイトルも作者も不明。 小学校の高学年のころ学校の図書館で借りまくっていた、児童向けのSF全集の中の一冊。 もしかしたら有名な小説なのかも。 それは宇宙探索隊の物語。 地球外
23年と半年ほど前。 私たち夫婦は、もうじきこの世に生まれ出るわが子の名前を考えていた。 全くの白紙からの共同プロジェクトである。 夫も私(当時)もデザインの仕事をしていたので、イメージプランを立てるのは慣れているはずなんだけど、こればっかりはどうすりゃいいのかわからない。 ふと、高校時代のことを思い出した。 大好きだった社会の先生が教えてくれたこと。 「名前は”音”によってその人の性格を左右する」 生まれてから何度も呼ばれる自分の名前。 聞いて育つうちに、名前の最初の
今日は姑の弟である叔父の葬儀に参列した。 91歳といえば大往生。 親戚中みなその最後を自然に受け入れて、淡々と進む葬儀だった。 最後の喪主の挨拶は、叔父のこれまでの行いの優しさを表す言葉の数々。 ほんとうに優しくて、明るくてニコニコと穏やかな人だった。 控えめだけどいつも周りを気遣ってくれる人だった。 そんな叔父さんだったからなのか、参列者も悲しい中にも穏やかな気持ちでいられてとても暖かい葬儀だった。 叔父さんは、多くの人にたくさんの優しさを与えてくれた。 優しさを受け取
2020年に公開されて賛否両論だった映画『ミッドサマー』をようやく観た。 ※詳細はなるべく書かないつもりですが、まだご覧になっていない方はご注意を。 アメリカの主人公を含む学生たちのグループがスェーデンに旅をし、90年に一度行われる祭りに参加する。 その祭りというのが、牧歌的にスタートするものの実はカルト的で死者も出る(というか、あえて出す)ような奇祭だった。 異変に気がつきながらも次第に巻き込まれていく主人公たちの様子が、ファンタジーのように(可愛らしく、美しく)そしてホ