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魚を飼う

 塩辛にして、お酒の肴にも、ご飯のおかずにも美味しい赤ひげ(オキアミの仲間)を、立派な水槽に入れて飼うなんて、思いもよらなかった。

 それがなんと、67年もの時を経て、還暦近い息子が、私たちの結婚当初と似たような光景を、古家の居間に再現したのだ。

 昭和30年代の始め頃、熱帯魚を飼うのが流行り始めていた。新婚の、まだ家具も大して無いような家に、夫はフル装備の大きな水槽を構えて、当時人気のエンゼルフィッシュを始め、派手な色のグッピーや、幻想的なネオンテトラなど、いろいろな熱帯魚を泳がせていた。

 華やかなお魚たちが、ひらひらと藻の間を縫って泳ぐ様を見ていると、浦島太郎にでもなった気分だった。

 しかし、息子の構えた小ぶりの水槽の中身は、一番手のかからないペットとしてエビを選んだというのが面白い。

 子供の頃の彼は、亀を飼っては逃げられたり、窓際に迷い込んだカマキリの子に、毎日生の餌を捕まえてきてやったり、何かと小動物と付き合ってはいた。
 このたび、長い地方勤務から古家に戻って、気持ちに余裕ができたのだろうか、腰を据えて好きなことを始めたのだろう。

 今のところは、エビたちも住みやすく、鑑賞するにふさわしい環境作りに工夫を凝らしている。餌となる苔を育てる緑や赤の藻を繁らせたり、オブジェをいくつか置いたり。

 息子が、恒例のホノルルマラソンで走るために、彼の留守中、私が面倒を見ることになった。一週間の役目は、粒餌を3回やるだけだから、なるほど手が掛からない。
 けれども、ちびエビたちは、達者かしらと、1日に何回も水槽の中を覗いてしまう。
 何しろ小さいから、藻の陰に隠れてしまうと見えないし、目の前に泳いで来たのだけ、あ、居たいた、という感じ。

 その泳ぎ方を眺めていると、不思議な疑問が湧いてくる。エビは甲殻類で、魚ではない。私たちがスーパーや食卓でお馴染みの海老は、硬い殻ごと折り曲げた形をしているのが多いし、なんとなく赤いというイメージが強いが、今、目を凝らして眺めているエビたちの泳ぐ姿は、まさにお魚だ。

 大きくしたら、派手な紅白の鯉に似てるのや、真っ黒でゴミと見間違えそうなのや、透明で頭と尾びれの輪郭しか見えないのもある。どれも真っ直ぐに体を伸ばし、胸びれや長い尾びれを器用に動かしながら、優雅に泳いでいる。ルーペで見ればもっと楽しめるということか。 
 この様は、新潟県加茂の水族館で見たクラゲをも連想させた。

 新潟の池で飼っていた鯉たちと同じで、性格もいろいろ。攻撃的でいつも喧嘩速いのや、隅っこにいて餌を食べるのも遠慮がちなのや。

 人間に限らず、どんな生き物にも個性があって、皆、それなりの生き方をしている。
 金子みすずの「みんなちがって、みんないい」なのだ。

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