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献体のご帰還



 65年連れ添った最愛の夫を、あの世ならぬ新潟大学の医学部へ、献体として送り出してから3年近い月日が経った2月の或る日、大学から、献体帰還追悼式の案内が届いた。

 夫亡き後の3年は、あまりに雑事の多さと環境の変化で、故人を懐かしく偲ぶというような優雅な時間は、殆ど持てなかった。
 けれども、いざご帰還を知らされると、俄かに、介護に明け暮れた日々や、それから遡る色々な懐かしい出来事が思い出されて、しばらくの間、いつもとは違う私になっていた。

 どんな風に?

 私は、あまりおセンチな女ではない。自分を"Mrs. Should have"と自称するくらい、過去を振り返っては後悔ばかりしているような人間だ。

 夫の性格は、後悔や弁解が大嫌いな人だった。その故かどうかは別として、夫の帰還を知らされた途端に、私の中から後悔が消え、楽しい思い出ばかりを求めてアルバムを繰り、未整理のセピア色の写真に眺め入る数日を過ごした。

 夫は、以前から、病院で延命治療に繋がるような医療には反対だった。それで、入院を勧められてもそれには従わず、在宅介護を選んだ。
 24時間付きっきりの看護は、夜中に何回も起こされたり、パルスオキシメーターの数値を常にチェックしたり、なかなか大変な労働ではあったけれども、10ヶ月もぴったりと側について過ごしたことなど一度も経験しなかったから、むしろハッピーな時期だった気もする。

 アルバムを繰っていると、私を昔の全て楽しい記憶へと誘う。苦しかったことも、辛かった日々の営みも、皆どこかへ消え去って、私は、なんと良い星の下に生まれたのかと思ってしまう。

 人生最後のご奉仕を済ませた夫の遺骨が帰ってくる!

 新潟大学から頂いて、我が家のある千葉県に帰る途中に、彼の両親をはじめ、ご先祖さまたちの眠る魚沼の墓地を安住の家として、納めることにしている。

 多くの人々に親しまれた歌
「千の風になって」によれば、

  私はそこにいません
  眠ってなんかいません

確かに遺骨はそこに安置されても、彼の心は、今まで通り千の風になって自由に飛び回り、家族を護ったり、導いたり、自分の理想としたことに向かって邁進するのだろう。











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