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自然の音と人間が作る音

 近頃、 人の話す言葉の聞き取りが悪くなって不便なので、 補聴器を調達したら、単によく聞こえるという話ではなく、思いがけない一大発見があった。
 それは、文明の発達した現代人は、殆ど人間が作り出した音の環境の中で生きている、ということだっだ。

 最も身近な所から見れば、ラジオやテレビの声は、スピーカーを通した音だし、食事の時、お皿とスプーンが触れ合う音も、人工音だ。

 太古の世界には、この類の音は、木を切り倒す時に触れ合う石器の音などの他には、人間が作ったものから発する音は、極めて少なかっただろう。

 ベートーヴェンは、森の中の散歩を好まれたと言われている。落ち葉を踏んで歩く小道では、石畳にコツコツと当たる靴の音もせず、聞こえるものは風の音、木の葉のさやぐ音や、鳥の鳴き声くらいと想像できる。

 人々は、自然の中では聞くことの出来ない美しい音を作り出そうと、工夫を重ねた。  ヴァイオリンやピアノなど、自然の素材を使った色々な楽器。 そして遂にはストラディバリウスや、スタインウェイなどの名器の誕生。 これらが、優れた演奏家たちによる絶妙な美音となって、人々の耳に届く。
 更に進んで、録音という機器を通して、再生装置さえあれば、どこでもそれを聞くことができる。

 現代に生きる私たちは、この作られた音の中にどっぷりと浸かって、生きているようなものだ。

 健康な耳ならば、自然の音も人工音も、何ら意識して区別することはない。しかし、補聴器を耳に入れるということは、自然の音をシャットアウトして、マイクを通した音だけの世界となってしまう。
 私は、二六時中そのような環境に住むなんて、耐えられない。

 レコードやCDのみで音楽を楽しんでいた人が、ある時、大きいコンサートホールで生の演奏を聴いて、音色のあまりの違いに驚愕したそうだ。
 ホールでの音の響きも、精密に考えられた会場の音響効果など、技術の進歩の賜といえる。
 機器に頼らない音楽を聴こうとすれば、今では自然の中で歌われる肉声くらいなものか。

 話は補聴器から逸れてしまった。大体、メガネを始め、コンタクトレンズも、入れ歯や補聴器なども、夜以外は常時装着して、慣らす努力をするように勧められる。
 確かに、慣れるとか、使いこなすとかいうことは、それらの器具によって新しい視界の、または音の世界に入って、より快適な生活ができるということなのだろう。
 でも、私にはそれが難しい。如何に高価で精巧に作られていようとも、補聴器から聞こえる音は、 所詮スピーカーを通した音なのだから、そんな世界だけに住むなんて考えられない。

 今のところ補聴器は、会合などで外出するときだけお世話になるけれども、帰宅してそれらを外すと、本当にホッとする。ああ、街中の喧騒から逃れた世界は、何て静かなのだろう!と。

 高齢になると特に高音が聞こえ難くなるそうだ。 そこで、若者にだけ聞こえる音を流して、夜遅くまでたむろして騒ぐ近所迷惑な群れを追い払う機器も、 実際に活用されているとか。

 蚊の羽音が聞こえなくなった無防備な状態は困るけれども、使いこなそうとして嫌な環境に耐えるよりは、本当に必要な時だけ、 補聴器のお世話になればいいのかもしれない。




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