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大学生今昔

 目下人気の朝ドラ「まんさく」の始めの頃には、我が国で最初に創設された東京大学の学生たちの様子が描かれていた。
 「まんさく」の中の東大生は、まだ和服姿が多くて、私達が戦前まで見かけた弊衣破帽で街を闊歩していた、いわゆるエリート達とは少しイメージが違う。見かけはどうであれ、とにかく極端に狭い門を突破した秀才たちのプライドは、相当なものだったし、実際にそれなりの実力と使命感を持っていた。

 戦後、駅弁大学と言われるほど、大学が林立した結果、高等教育への門は拡げられ、世界に冠たる高学歴社会が実現した。昨今のホワイトカラーの就職事情を見ると、大学卒は当たり前、 大学教師や美術館、博物館などの学芸員を目指すなら、大学院のドクターまでも要求されるご時世とか聞く。

 今や広き門となった大学の、学生気質はどんなふうに変わっただろうか。
 何も大袈裟に最近の風潮を論じるつもりはない。ただ、大学で教えていた時の経験から、ちょっと印象に残っている風景を拾ってみたくなった。

 credit factory (単位製造工場)という言葉がある。卒業するためには、所定の単位を取得しなければならない。学生の中には、先輩達から情報を集めて、できるだけ点の取れそうな教師ばかりを選び出して時間割を作るのもいるそうだ。

 講義内容が素晴らしければ、 受講を希望する学生数が定員をオーバーしても当然である。片や、内容がどうであれ、評価が寛容だと言う評判に釣られて、定員を超えている講義の抽選に押し寄せる学生もいる。
 どちらも人気教師には違いないが、講義内容が素晴らしいのに、credit factoryの評判を立てられる教師こそ、不名誉で迷惑な話だ。

 教授大先生の中には、評価に大変厳しい方も、勿論おられる。卒業を目前にした或る医学部の学生が、たった1科目の、それも僅かな減点のために、留年になったという噂があった。背後にどんな事情があったかは、第三者の知るところではないが、愛の鞭にしては酷過ぎではないかと同情したものだった。

 片やこんな話もある。中国からの帰国子女を大学で受け入れた時期に、語学力がかなり低い学生がいた。彼は、大学レベルの英語授業で単位を取るのは不可能と思われたので、 英語科の教授会で、或る特定の教師に特別の指導を依頼するという、温情溢れる対策がとられたこともあった。

 試験にカンニングはつきものだが、監督する教官とて、全員に目が行き届くわけではない。ある日、キャンパス内の廊下を歩いていたら、見覚えのある学生に呼び止められた。
 "先生!カンニングした奴がパスして、真面目に受けた僕が、落とされました。不公平じゃないですか!"
  監督不行届を詫びたか、然るべき説諭をしたかは、残念ながら覚えていない。

 ITの発達に伴って、入試でのカンニングは益々巧妙さを増している。知恵比べはどこまで発展するのだろうか。

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