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自分と生きていく。

日常は本当に色々ある。 
腹が立つこと、納得できないこと、不安なこと。 
いつも心が穏やかにいたいとは思うが、現実問題それは難しい。
昔は自分に腹が立たないようにしよう、不安にならないようにしようと自分に言い聞かせていた。つまりは無理矢理に感情を押さえつけていた。ということだ。

感情を押さえつけると一時的には、その場を何とかやり過ごすことができる。しかし、ふとした時に押さえつけた感情が表に出てくる。
過去に押さえつけた感情というのは、どこかで振り返りその感情と向き合わなければならない。
そうしなければ、ふとした局面で過去の感情に振り回され不安定になる。これがトラウマというものなのかもしれない。

ではどうすればいいのか?
それは、その場の感情を大切にしようということである。怒りは、もしかするとあなたを守るためにあるのかもしれない。
子どもが友達に嫌なことをされて悲しかった時に、泣きながら怒る。
あれは、言葉にできない自分の感情を表出することで自分を落ち着かせようとしているのではないのだろうか。

つまり、自分の感情を表出する場を作るということで自分をケアするということが大切なのであると考える。

できれば他人に見られない
他人に介在されない自分だけの世界で「あの時に表出できなかった感情」と向き合うことで精神をケアしていく。

それが現実的な社会で生きていくためのすべの1つであると考える。
日記を書くなりするのが有効であろう。
そこには何を書いてもいい。

そもそも、心など様々な要因で揺れ動き安定とは程遠いものである。安定していると見えている人でさえ感情の起伏の幅が人より少ないだけある。
人間はロボットではない。

であれば、心を安定させるという考え方よりも心は揺れ動くものであるも理解し自己のその場の状態に寄り添うことが健全であるのではないだろうか。

心をコントロールするという考え方もあるが、その時々の自分の感情に寄り添い調子の悪い時は悪いなりにできることをやるというように、安定しないなりにうまく付き合っていくというのが現実的であろう。

過度なポジティブシンキングや無理矢理の自己肯定は自己の感情との不一致、乖離を起こしかねない危険な行為なのかもしれない。

落ち込んでもいいし、自分のことをダメだと思っていい。それでも生きていくと再起を繰り返していく。

七転び八起き。それが自分と生きていくということではないだろうか。

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