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砂漠の真ん中で泣いてるんだろう。

ここは砂漠、オアシスはどこだ。目視できる場所には見当たらない。 涙を流してみたら、心の傷は癒えるのか。 一滴も無駄にできない水分それでも流れた。 必要なものは分かっている。夜を越える温もり、物理的なものだけじゃない目には見えない温かさ。 食料はある。着るものもある。家もある。 だが休まる場所はないのだろうか、贅沢病が蔓延る世間は自分のことばかり考える。 景色は歩いても同じ、季節は巡るのに。 心を満たす水は何なのだろうか。 ふと考える。 ここは砂漠。1人佇む。 不思議と

    • ぼちぼちいこか。

      最近の私の口癖だ。 割と自分に言い聞かせている気がする。 元々感情のコントロールは苦手で、すぐに表情に出るタイプであったが、後天的になりたい自分になれるように努力してきたおかげもあって、落ち着いた口調や物腰の柔らかさを人に言われるようになった。 だって 落ち着いた大人ってかっこいいじゃん。 でも最近思う。我慢して落ち着いている風を装っているのって落ち着いてないよねって。 それって感情を抑え込んでるだけじゃんって思うようになった。 そういう大人が多いし、そういう人が我

      • 楽に生きていい。

        楽に生きれたらとっくにそうしてるわ! と怒られるかもしれない。 では、何故楽に生きることができないのだろうか。 その原因は人間関係が殆どであろう。 つまるところ自分がどう思われているか? ということや、自分の社会的立ち位置を保持するために日々人間関係を気にしているということの窮屈さが楽に生きることのできない原因のひとつなのかもしれない。 まず考えなければならないのは、この人間関係の悩みというのは、衣食住がある程度の保証されている上に成り立っている高次の悩みであるということ

        • 自分と生きていく。

          日常は本当に色々ある。  腹が立つこと、納得できないこと、不安なこと。  いつも心が穏やかにいたいとは思うが、現実問題それは難しい。 昔は自分に腹が立たないようにしよう、不安にならないようにしようと自分に言い聞かせていた。つまりは無理矢理に感情を押さえつけていた。ということだ。 感情を押さえつけると一時的には、その場を何とかやり過ごすことができる。しかし、ふとした時に押さえつけた感情が表に出てくる。 過去に押さえつけた感情というのは、どこかで振り返りその感情と向き合わなけれ

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          希死念慮との向き合い方

          若者の4割は死にたいと本気で考える希死念慮を持った経験があるという。 その半分ほどは誰にも相談したことがないという。 これだけ多く希死念慮を持つ人間がいるのに、そのような感情は人には話さないのだ。 話してはいけないと思っているのか、そのようなことを話す相手がいないのか、話すまでもないのか。 人間関係がうまくいかず悩み、人には相談できない。あの人に自分はどう思われているのか、嫌われてはいないだろうかと考える。 相談相手がいれば、自分の気持ちも整理できるが相談相手が必ずし

          希死念慮との向き合い方

          又吉の話

          どこかでの又吉の演説?みたいなものをYouTubeでみたことがある。 吉本の養成所での話をしていた。 同期入団した人たちは時間が経つとともにどんどん減っていったという。 又吉はそこで思ったことは、みんな自分にかける期待が大きすぎた。ということを話していた。 新生活がスタートし、みなどういう心境で過ごしているのだろうか?緊張反面まだ新人は、仕事という仕事をしていないのかもしれない。 そして、仕事も少しずつ任せられるようになると私はこんなもんじゃないと思うこともしばしば。

          又吉の話

          チョコザップ入会 ともだち紹介コードあり

          先にチョコザップのともだち紹介コードを載せておく。 G4KK2KKK もし入会する人には是非使ってもらいたい。 20代も後半に入り、部活動に明け暮れていた 学生時代からも10年程経った。 学生の時からのいわゆる筋肉貯金は底をついたようで、最近お腹が出てくることや疲れやすいなど中年男性の身体になってきたように感じる。 しかし、毎日ジムに行くほどの時間的余裕もない。 金銭的にも普通のジムでは月7000円程かかるのが普通だ。年間にするとかなり痛い出費だ。 筋力低下が起こると、

          チョコザップ入会 ともだち紹介コードあり

          大事が故に今は一緒に暮らさない

          ある番組で22歳女性と35歳の男性のカップルが取り上げられていた。女性は春から社会人であり、二人でこれからの人生を考えたという。女性は同棲も考えていたが、なれない初めての仕事でストレスを相手にぶつけたくないという思いから同棲は今はしないという選択をした。 大切だと思うがゆえに距離感を考えていく。そういうことがこのカップルにとって大切にするということなのだと思った。 大切にする形というのはひとりひとり違う。 相手のことを知って、大切にしたいと考える。素敵なことだと思う。

          大事が故に今は一緒に暮らさない

          72時間ドキュメントを見て

          この番組を見ると多種多様な人々が同じ国に暮らしていると知ることができる。 何というか自分はひとりじゃないと思うことができる。 この番組は本当に普通の人達にスポットライトを当てている。皆懸命に生きているのだと、境遇に恵まれないながらも前を向いている人たちに励まされる。 日常で駅のホームにいる人達ひとりひとりにも事情があり、物語があるよなぁと思う。 そう思うと自分の物語を自分で作っていく。 そして自分が納得できる人生でもできない人生でも寿命が来るまで生きる。 別に誰に認め

          72時間ドキュメントを見て

          気を遣うことを減らしてみた。

          前職では過剰に気を遣って働いていたなと今になって思う。そうすることでできるだけ周りに敵を作らないようにしていたのだろう。 相手が喜びそうなことを考えたり、配慮をかなり意識をしてやってきた。仕事も率先してやり仕事ができると勘違いされた。ただ頑張って必死にやっているだけなのに。 昔は自分には価値があると思われたかったのかもしれない。その為に人に必要とされるような行動や言動をしていたように思う。 それは周囲の人からは喜ばれていたかもしれないが、自分の意志と言動が離れている自分に

          気を遣うことを減らしてみた。

          やれることをやるしかない。

          運も実力のうちと昔は言ったが、最近は実力も運のうちと言われることも増えた。 生まれた環境や本人にはどうすることもできないもの、つまりは運で実力は決まるというものである。 正直大方は当たってると思う。それが現実だ。政治家のこどもは政治家、一般家庭のこどもは普通のサラリーマンになることが多いだろう。 運ですべてが決まるのか?どうだろうか。 身分制度が根強く残る国に生まれれば、その与えられた身分を一生背負うことになることもあるだろう。 しかし今の日本には身分制度はない。生まれ

          やれることをやるしかない。

          物事を知るということ。

          この世界の片隅にという映画を観たことがあるだろうか。この映画に出てくる主人公のすずさんは広島に生まれた絵の上手な少しボーっとした女の子である。時代背景は戦前から戦中、終戦である。徐々に戦争が日常に入り込んでくる。しかし生活は続く。ほとんどの人たちが自分の身内を戦争で亡くしている。 主人公も不発弾により義姉の子どもを目の前で亡くし本人も利き手である右腕を失った。 物語の終盤にすずさんが「ボーっとしたうちのまま死にたかったな」と独白する。 この映画は戦争の影響を半ば強制的に受

          物事を知るということ。

          ルールって何だろう

          ルールって何だろうと大人になって改めて考える。ルールとは、社会が成り立っていくために必要な共通認識で何が良いことなのか、何が悪いことなのかを考えて、生活することなのかもしれない。 社会には様々な価値観がある。しかし、皆がある程度心地よく暮らすために守っていこうね。というものがルールなのだろうかと考えた。 ルールと言うと法律より曖昧で法的拘束力のないものである。なのでルールから逸脱しても警察のお世話になることは稀である。 最近は、警察に捕まらなければ何をしてもいいということ

          ルールって何だろう

          忙しい日々の中で。

          毎日意志とは反し重い身体を起こし、どこか不満げな浮腫んだ顔に冷水を浴びせる。冷たいと感じている暇さえない。 心はどこか憂鬱で地に足がついていない。 この世界なんかぶっ壊れてしまえばいいのにと半ば本気で思っている。 そんな人が大半だろうと勝手に思っている。 電車をホームで待つ。身体障害者が人で混み合うホームで転倒する。ホームでうずくまり立てなくなるサラリーマンが車椅子に乗せられていく。人身事故のアナウンス。自分の存在を誇示したいのか騒ぐ高校生。そういうものを見えない聴こえない

          忙しい日々の中で。

          ひろゆきの考え方が広まると。

          もう4〜5年前にひろゆきのyoutubeをよく見ている時期があった。ひろゆきは当時ナマポいわゆる生活保護を最悪貰えばいいじゃんということを話していた。 その時の私は仕事が大変ででも辞めたら生きていけないしと考えており「最悪生活保護があるのか!」という考えを知った時に気持ちが少し楽になったことを記憶している。 最悪生きていけるじゃんって思った。 しかし考え方によっては働かなくても生活保護で生活できるじゃんとすがる人間も増えたのではないかと考えてしまう。 「なにかデータとかある

          ひろゆきの考え方が広まると。

          別の依存先を増やすということ

          自分の部屋とももう14年の仲だ。この部屋とは学生時代、そして社会人時代の苦楽を共にしてきたと言っていい。この部屋は建築物の 一部であり空間である。愛着をもっているのは壁でもなく床でも天井でもない。ただこの場所にある自分だけの空間に愛着を持っているのだと感じる。それはただそこにあるだけ、存在しているのみである。しかし私達はそのようないつも同じ場所にあるものに安心するのではないのだろうか。安心できる帰る場所があるということが外に出ていくお守り代わりになっているのではないのだろうか

          別の依存先を増やすということ