ケインズの巻 後半

 ケインズの美術品コレクションですが、具体的にどんな作品を集めていたかというと、セザンヌ、ブラック、マティス、ルノアール、スーラといった巨匠やダンカン・グラント、ヴァネッサ・ベルといった仲間の作品です。
セザンヌを1点もっているだけでも相当の価格上昇が見込めるのですが、こうしたラインナップを見るとますますケインズのコレクションが巨匠クラスの高騰しそうな作品、つまり資産性を重視して集められたとみなされるのは当然のように思えます。それも一面の真実ではあります。

 しかし1つ疑問が残ります。もしケインズが美術品を投資目的で購入していたとすると、作品がある程度価格上昇したときに、売却しているはずです。しかしそうした記録はいまのところ報告されていません。いくら目を利かせて安く購入し、のちにそれが高くなったとしても、売却しなければ投資にはなりません。10万円で買った絵があったとして、それが10年後に100万円になったとしても、売却しなければ依然として「10年前に10万円だった作品」でしかありません。そして1946年にケインズがなくなった時も、前半で述べたようにコレクションはすべてケンブリッジ大学に寄贈されています。
このことからケインズが美術品を購入した動機として投資、投機は、それが全くないとはいいきれないものの少なくてもメインではなかったのではないかと思われるのです。

 では、本当の動機は何か。それはシンプルに美術が好きで金銭で計れない価値を見出していたということです。

 さきほどコレクションにダンカン・グラント、ヴァネッサ・ベルといった仲間の作品があったことを記載しましたが、これらの画家の名前は美術史のなかでもそれほど有名ではありません。彼らは後期印象派のイギリス人画家で「ブルームズベリー・グループ」というグループの一員でした。これはケンブリッジ大学の先進的な学生のグループで、姉妹である画家のヴァネッサ・ベルと小説家ヴァージニア・ウルフを中心に、やはり小説家のE・M・フォースターや文芸評論家のデズモンド・マッカーシー、芸術批評家のクライヴ・ベル、そして日本でも著名な美術評論家のロジャー・フライが参加していました。

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ロジャー・フライ

 特にロジャー・フライはマネ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホといったポスト印象派の展覧会をロンドンで企画してイギリスの美術界に大きな反響を巻き起こしました。ケインズもこのグループの一員だったのです。
(日本人にはイギリスのハイクラスの人たちの生活はイメージしづらいのですが、育ちのいいインテリによるグループという意味では、学習院の学生の集まりだった白樺派に近いかもしれません。)

 ケインズは美術に関してはロジャー・フライから大きな影響を受けていたようで、セザンヌやルノアールのコレクションも彼の影響が考えられます。当然それは美術的な価値評価や趣味が合ったからでしょう。

 さらに興味深いことに、ケインズは経済学者として有名になる以前、美学的考察「美」、「メロドラマを書きませんか?」、「ヘンリー王か、ルパート王子か?」、「科学と芸術」といった論文を発表しています。論文としての精度は高くはなかったようですが、経済学だけでなく美学・芸術論への関心が高かったのは事実です。

 1936年の『雇用・利子および貨幣の一般理論』の発表によって経済学者として評価され、のちにイングランド銀行理事やブレトンウッズ連合国通貨会議への参加といった経済の専門家としての活動しますが、1938年の論文「芸術と国家」では芸術の公共性に着目し、芸術の供給と消費を奨励することが国民の誇りになり、社会の富の豊かさを示すと主張しました。そしてケインズは最晩年に政府とは一定の距離を置いて運営される芸術支援組織アーツ・カウンシル・オブ・グレートブリテンを設立して初代議長に就任しています。

「芸術と国家」
https://genpaku.org/keynes/misc/KeynesArtandState.pdf


 ケインズの中で経済学者であることと、芸術の愛好家であることは矛盾することなく、またどちらか一方が他方を支配することなかったと言えます。それどころか芸術には、経済政策と同様に社会変革の機能を認めていたといえるでしょう。

 以上の傍証から、ケインズが美術品に求めたのは投資ではなく、ましてや投機ではなく、美術本来の価値だったと思うのです。現代の日本でも、アートを投資として売買することを否定はしませんが、同時にぜひこうした芸術的価値を忘れずに尊重してほしいと思います。

2021年4月1日

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