勝手にしやがれ(はい、勝手にしました、私の20代。)

JPBが亡くなった。

ジャン・ポール・ベルモンド。88歳だった。

9月6日のことだから、少し日は経ってしまっているのだけれど、久しぶりにnoteに書きたいなと思ったのは彼のことだった。

私はその時19か20だったと思う。

大学の図書館で、空き時間を潰すのに、色々な映画を見るのが好きだった。あまり何も考えずに、インパクトのあるタイトルに惹かれて「勝手にしやがれ」を観ることにした。

白黒のフランス映画、1959年、、、、退屈じゃなければいいけれど、と思いながら。当時はヌーヴェルバーグも、ベルモンドも、ジーン・セバーグも、何も知らなかった。

常々思うのだけれど、なんの知識も下調べもなく、ふっと構えずに観た映画、ふらりと立ち寄った靴屋で大音量でかかっていた曲、ガイドブックもろくに読まずなんとなく選んだ旅行先、、、、は、時々ものすごい勢いで「持っていかれる」。

逆に、綿密に下調べした旅行がやや退屈だったり、全米中が泣いた!と大ヒット中の映画があんまりねぇ、、、だったり、わざわざ一時間並んで食べたイタリアンがイマイチだったり、、、、も、私の中ではあるあるである。

そう、何も知らず、気構えずに観てしまったのだ。(敢えて「しまった」というのは、その後、何年もに渡り影響を受けたから。おそらく今も。)

1時間半の後、私は衝撃で口がきけないような、立ち上がれないような気分でフラフラと図書館をあとにした。

私は確かに、ベルモンド演じるミシェルを知っていると思った。

いや、知っているというより、私そのものだと思ったのだ。

最後にあの通りで警官に撃たれて、よろけながら倒れて、野良犬のように死んで行くミシェルに、私は最初から最後まで共感していた。まるで、私が警官を殺して逃げ、追い詰められて、死んでいったような気がした。

無謀で刹那的で衝動的で、わがままで哲学的で、破滅願望があって、それでいて自分に酔うことはなく、カラッカラに乾いて、シラけていたミシェル。

ベルモンド演じるこのミシェルの生き様(死に様?)は、当時19、20で、若さゆえの不安さや未熟さや経験不足で自己分析という鏡の間に入り込み、生きる気力もなく、かと言って死ぬ勇気もない私の心に、ぐっさりと突き刺さった。

そして!ベルモンドが「畜生、いつも自分に合わない女に惚れる」と舌打ちして悔しがりながらも好きだ、寝よう、と諄々と口説く相手役の、ジーン・セバーグ。

完璧な美しい横顔を際立たせるためとしか思えない、セシルカット。ボーダーのワンピースに、フォックス型のサングラス。キリッと引いたアイライン。

髪が長ければ、美しいけれど特に印象に残らない綺麗な女優さん、だったところを、頭蓋骨にぴったりと張り付いた柔らかなベリーショートが、彼女を生き生きと印象的に見せている。

シャンゼリゼ大通りで、新聞売りのアルバイトをする彼女のコケティッシュさといったら!やや外股で歩きながら、ベルモンドの横でぶらぶらと歩く。
「またノーブラだ」
と突かれて、
「やめてよ、失礼ね」
というあたりなんて、本当に演技と思えないくらいの二人の自然さだ。

(後に監督のゴダールについてのドキュメンタリー映画を見ていて、ゴダールのミューズのアンナ・カリーナが、「私たちの演技に台本はないとよく思われるほど、ゴダールの脚本は自然で即興的だった。でも台本がないというのは全くの誤解よ」と語っていたけれど、本当に自然すぎて、彼らが演技をしているのを忘れて見入ってしまった。)

「不老不死で死ぬこと」
「本当に最低だ」
「足の指を見せて。女は足の指が大切なんだ」
「あれから何人かと寝たけれど、しっくりこなくて惨めなもんさ」
「老いるのって怖くない?」

等々、ここで抜き出して書いてもなんやそれ?な台詞の数々は、当時の私のウブで傷つきやすい感受性にゴリゴリと彫刻刀で掘って刻まれたかのような消えない印象を残した。

今振り返ると、そういった「本当に持っていかれた」本や映画は、人生のうちで数少ない。いずれも15歳から20歳ほどの間に出会った芸術で、たとえ今私がこの歳で初めて「勝手にしやがれ」を見たところで、「まあお洒落だけど、若者のタワゴトやわ」ぐらいに思ってしまいそう。真の感動は、まだ心のキャンバスが真っ白な、青春時代にやってくるもので、それ以降は難しくなる。

だからこそ、あの時の出会いに感謝したい。

ベルモンドは、あの映画の後もずっとフランスでメジャーな映画に出続けたけれど、私にとってのオールタイムベストは、やはり「勝手にしやがれ」なのだった。



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