薄明

壁にもたれる未明。一睡もできずに明けそうだ。
いつもとは違うパンの味が舌に残る。
失敗だったか

辺りはまだ暗い。今日も陽の光を浴びることもないだろう。
燻る意識。
また今日もか

履き古した靴に手を伸ばした。理由は分からない。
街の自動車たちもめいめいルーティンに着手したようだ。
こんな時間か

曙光。
いつか夢見た遠い西の町にはその概念は存在しないのかもしれない。
真っ青な絵の具を引いたキャンバスに濁った水を垂らした。
石畳の舗道が足裏に現実を突き刺す。
まるで自我が芽生えたの青年期のように。
あてもなく歩いているわけではない。
向かう先は決まっている。
向かう先は決められていた。
そこにあるのは過去だけだ。
師走に染められた両手で触った頬の感触も、もうない。
隣で無邪気に揺れていたブランコもだんまりをきめている。
過去だ。過去に向かって歩くのだ。
辺りはまだ薄暗い。

冷たく鋭い空気が胸を刺す。
力ない芝生たちが後ろに流れていく。
一里にも満たないその距離は、短く遠かった。
確かにそこにあった。
はずだった。
満ちている。
満ちていた時には引いていた。
満ちていた時に行けた場所へはもう行けない。
引いていたからだ。
一度内省を試みる。
引いている。
引いている今は満ちている。
引いている今は行けないのか。
満ちているから。


気づいたとき、右足は前に踏み出していた。
満ちていても欠けている場所はあるものだ。
欠けている部分を補うように、一歩、また一歩と、あるはずのものを迎えに行った。
そこにあったのは、あるようでない、確かにあるものを含んだ今だった。
引いていても満ちている場所はあるものだ。
確かにそこにあったのだ。
今は無いが、確かに今はあったのだ。
辺りは薄く明るかった。

僅かに残る薄氷を足裏で砕く。
儚くも力強かった。
ライトアップのために力なく木々に巻き付いている電球たちは、いつ取り外されるのだろう。
どこかで10時の鐘が鳴った。
行きとは違う道で帰ってみよう。




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