こでかぱんつ

好きな言葉は栗きんとん

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最近の記事

小さな自分

 どうしても他人の目を気にしてしまう。自分が取る行動が、紡ぐ言葉が、誰か分からない誰かにとっては気持ちが悪く、受け入れがたいことだと知っているから。洗練されていない言葉や行動が、凄まじい勢いで魑魅魍魎と化す。自分の知らない誰か-ここでは人間を自分を含め誰一人として完全に理解し得ないものと仮定して-の肉体を蝕み憎悪へと変化させる。  僕は、仲のいい人の大人数の場における振る舞いを、一歩引いた場所から見てしまう。それは、実際に、僕が場所や立場によって振る舞いを変えてしまってるか

    • 親しき中にも

      春の兆しが見え始めたと思いきや また厳しい(少なくとも僕には)寒さが帰ってきちゃった もう満足するほど 冬に身をまとった街や人を 味わうことはできたので 今すぐにでも 春よ来い ってぼくのなかのユーミンが言ってます そんなこんなのこの頃ですが やさしさに包まれてない自分を 他人に見せる機会が増えちゃているなと 内省することが度々あって 特に春休みになって 大学生活も4年目に差し掛かろうとしているところで 必要最低限の人にしか会えていない状況が続いていて 特に僕自身 所属す

      • 悲しいより悲しいこと

        台風で休校になると思ってたけど、結局台風が逸れちゃった。 好きな子と席が隣になったと思ったら、目が悪い子がいて席が入れ変わっちゃった。 割引券が使えると思ってお店に行ったら、期限過ぎてた。 後半89分まで1-0で勝ってたけど、アディショナルタイムで逆転された。 みたいな ぬか喜びの経験って誰にでもあると思っていて もちろん この子脈ないんだな~とか 今日の相手はさすがに強すぎるとか さすがにこのテストは追試だな~とか 最初から望んだ結果にならなそうだって 思うこともすご

        • 他人の靴を履く

          「世間というのは、君じゃないか」 太宰治の人間失格の一節で最も印象に残ってる部分 すなわち 客観はあくまでも主観の域を超えない ということだと自分の中で解釈していて たとえ客観的に物事を捉えたとしても あくまでも「自分の中の客観」に収斂されてしまう ものすごく核心をついた言葉だと思って たとえ相手の立場に立って考えたとしても 自分の考えは完全に排除しきれない だからこそ 個と個がぶつかっちゃう 妥協、折り合い、納得 色んな言葉で形容してみても 誰かがどこ

          受け止めること

          今年一年を振り返って 理解できないを一旦受け止めてみる ってことを意識するようになった っていうことが一番の変化かなと 今年の6月まで留学してたこともあって 使い古されてセカストとかで安く売られてるような言葉かもしれないけど 自分の中のあたりまえがあたりまえじゃない ことに直面することが多々あって なんでそれやるの? それ今じゃなくない? なにがしたいの? みたいな ちょっとした不満とかは 自分の心と頭の管轄外からやってくるんだなって 気づくようになりました

          受け止めること

          アーマード太郎

          大学生。末っ子長男。留学経験者。元サッカー部。友達?(みんなそ~思っててくれたら嬉しい)。息子。弟。嫌な奴。変なやつ。サムいやつ。ざっと僕を形容するならこのくらい。 最近、結局人は肩書の中でしか生きていけないのかもしれないって思っていて。すなわち、場所だったり環境だったり、その都度肩書に応じて自分を合わせているような気がしてるって感じで。 そこにどれだけ自分をずらさずに当てはめられているかと問われると、多分ブレブレで。僕の中で想定しうる肩書を、一枚一枚、玉ねぎの皮を剥ぐよ

          アーマード太郎

          言葉はあまりに非効率で残酷

          言葉はあまりに非効率で残酷なものだと思う。僕たちが紡ぐ言葉にどれだけの本意が含まれているのか。僕はむしろ発した言葉より、その言葉を紡いだ過程や経験のほうが僕たちの本来の意図を表しているのではないかと思う。それでも、僕という存在は僕の発した言葉に収斂されてしまう。その言葉は誤解を生むものなのかもしれないのに、言葉通りの思いがあったわけじゃないかもしれないのに。言葉は1を10に見せることもできる。逆も然り。0を100にすることだってできる。僕たちが本当に必要な情報は出されたカード

          言葉はあまりに非効率で残酷

          「なんとかなる」

          「なんとかなる」 それが口癖だった。 今日もこれまでと同じような一日が始まる。 まるで、教科書の大事な箇所に引くマーカーのように。 大切なようで無機質だ。 奇をてらって強がっている。 大きく見えてるだけで変わらない。 だけどほんとは怯えてる。 臆病な自分が顔を出す。 「なんとかなる」 またひとつマーカーの印が増えた。 どこが大事なのかも、既にもう分からない。 でもその線が必要なんだ。 じゃなきゃ、どこかで崩れちゃいそうで。 「なんとかなる」 「なんとかなる」 「なんとかなる」

          「なんとかなる」

          可能性ではなく、不可能性が自分を規定する。 サッカー選手になれるか。ピアニストになれるか。書道の師範になれるか。柴咲コウの夫になれるか。登録者数500万人YouTuberになれるか。直木賞作家になれるか。AAAのメンバーになれるか。 答えは言うまでもない。 不可能性が自分を規定することを甘んじて受け入れなければならないのか。 割り切らなければならないのか。 でもそこに、曖昧な領域が存在する気がする。 それが例え不可能性だとしても。 経験と知識がその曖昧さを拡張す

          大人になるということ

          こんにちは。こでかぱんつです。 見にきてくれてありがとうございます。大好きです。 今回は、大人になるということ、について今の自分なりの考えを率直に書こうと思います。  僕は今年で21歳。数字だけを見れば立派な成人。周りをみれば就活やインターンなどなど、将来の話が他人事ではないように降りかかってきます。つまり、僕はもうすでに大人にならなければならない時期に片足どころか、無自覚に頭から突っ込んでいっているのです。僕が胎児なら、頭が下であることは正常なので、取るに足らないことかも

          大人になるということ

          よくわかってない

          僕にとって これだけは譲れない みたいなのってあんまり無くて だからこそ 座右の銘がある人だったり 自分の意思を貫いている人に出会ったりすると すごいな、とか いつそう思ったんだろう、とか 自分にとって生きる上で大切にしてることってなんだろう って考えてみたりして それでも答えが見つからなくて 嫌になっちゃたりして 考えることすらやめちゃってた でも 留学をして いままでずっと近くにいてくれた 友達とか家族とかと離れて 一人で考えることとか友達と電話したりとか する機会が多

          よくわかってない

          石を積む

          ある村のはずれに、石を積む男がいた。 石積みの男は四六時中、休むことなく石を大胆かつ丁寧に積み上げる。 街行く人々はそんな石積みの男の姿を見ると必ず足を止める。 息を飲む。 今にも崩れそうな、積み上げられた石達の上に、 石積みの男は更に石を積む。 次第に聴衆は増えていく。 「なぜ石を積むんだい。」 聴衆の中の、二十くらいだろうか、細身で色白の男が尋ねた。 石積みの男は黙っている。 「理由もなく、石を積み上げているのか。」 「何を作っているの。」 そんな声も聞こえてくる。 しか

          ワルシャワ一人旅(ワルシャワ編)

          こんにちは。 こでかぱんつです。 いつも見てくれてありがとうございます。 今日は、ワルシャワ旅行(行きのバス編)の続きを書こうと思います。 まだ見ていない人は、そちらも読んでいただけるとありがたいです。 リトアニアのカウナスから高速バスを使い、ポーランドのワルシャワまで無事?到着することが出来ました。安心したのも束の間、バスを降りた時に気づいたのです。あれ、違うバスステーションじゃね?事前に調べていたバスステーションの雰囲気とは違った様子が僕の周りには広がっていました。リ

          ワルシャワ一人旅(ワルシャワ編)

          ワルシャワ一人旅(行きのバス編)

          こんにちは。 こでかぱんつです。 いつも見てくれてありがとうございます。 先月、リトアニアのカウナスから、ポーランドのワルシャワに一人で行った際の話をしたいと思います。ワルシャワに泊ったのは、ワルシャワからパリに行く飛行機に乗るためだったので、あまり綿密には計画をたてていませんでした。リトアニアのカウナスからポーランドのワルシャワまでは、高速バスで行くことが出来ます。今回利用したバスは、FlixBusというヨーロッパ各地に展開しているバス会社です。往復で50€ほど(日本円で

          ワルシャワ一人旅(行きのバス編)

          薄明

          壁にもたれる未明。一睡もできずに明けそうだ。 いつもとは違うパンの味が舌に残る。 失敗だったか 辺りはまだ暗い。今日も陽の光を浴びることもないだろう。 燻る意識。 また今日もか 履き古した靴に手を伸ばした。理由は分からない。 街の自動車たちもめいめいルーティンに着手したようだ。 こんな時間か 曙光。 いつか夢見た遠い西の町にはその概念は存在しないのかもしれない。 真っ青な絵の具を引いたキャンバスに濁った水を垂らした。 石畳の舗道が足裏に現実を突き刺す。 まるで自我が芽生

          正しくある前に楽しいを

          こんにちは こでかぱんつです。いつも見てくれてありがとうございます。 「正しくあろうとする前に、楽しくあるべき」 僕が大好きなアーティストのRepezenFoxxさんと、メンタリストDaigoさんの生配信の中で、Daigoさんが言った言葉です。この言葉は、非常に本質を捉えていると思いました。まだ社会に出ていない僕が言うのもなんですが、この社会はまず正しさが求められ、また人々も正しさを求めようとしている気がします。生きるためにお金を稼ぐ必要があるから、やりたくもない仕事を嫌々

          正しくある前に楽しいを