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言葉はあまりに非効率で残酷


言葉はあまりに非効率で残酷なものだと思う。僕たちが紡ぐ言葉にどれだけの本意が含まれているのか。僕はむしろ発した言葉より、その言葉を紡いだ過程や経験のほうが僕たちの本来の意図を表しているのではないかと思う。それでも、僕という存在は僕の発した言葉に収斂されてしまう。その言葉は誤解を生むものなのかもしれないのに、言葉通りの思いがあったわけじゃないかもしれないのに。言葉は1を10に見せることもできる。逆も然り。0を100にすることだってできる。僕たちが本当に必要な情報は出されたカードの数字ではない。カードを出すまでの過程。そこを見抜けることができれば、どれだけ楽だろうか。

誤解されるくらいなら、言葉を発さない方がいい。傷つくくらいなら、傷つかせるくらいなら、言葉を紡ぐ行為はむしろ不必要なのかもしれない。

それでも僕たちは言葉をもとに意思疎通を図る。その言葉に真実はないとしても。パスが許されないしりとりのように。僕たちは言葉がなければ生きていけないみたい。言葉がなければ誰かを動かすことも、まして自分を動かすことすらもできないこともある。

言葉を使ったコミュニケーションは最も非効率なのかもしれない。それでも、最も非効率な言葉を使うことが今僕たちにできる最も効率の良いコミュニケーションの取り方でもある。

どの言葉を紡いで、どの言葉を捨てるか。

その取捨選択の仕方が本当の自分。

本当の自分を見てくれる人がひと握りなら、僕はあまりに非効率で残酷な言葉に、できる限り前向きな僕を意図的に収斂させたい。


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