石を積む

ある村のはずれに、石を積む男がいた。
石積みの男は四六時中、休むことなく石を大胆かつ丁寧に積み上げる。
街行く人々はそんな石積みの男の姿を見ると必ず足を止める。
息を飲む。
今にも崩れそうな、積み上げられた石達の上に、
石積みの男は更に石を積む。
次第に聴衆は増えていく。
「なぜ石を積むんだい。」
聴衆の中の、二十くらいだろうか、細身で色白の男が尋ねた。
石積みの男は黙っている。
「理由もなく、石を積み上げているのか。」
「何を作っているの。」
そんな声も聞こえてくる。
しかし、石積みの男は聴衆に応える気配は全くない。
ただひとつ、ただひとつ、と石を積み上げていく。
愛想もない、と聴衆はひとり、またひとりとその場を去っていく。
石積みの男にとって、そんなことは一つも問題ではない。
ひとつ、またひとつ、石を積み上げる。
今にも崩れ落ちそうな、積まれた石達は、何を訴えるわけでもなく
ただ、石積みの男の前に凜として立ち尽くしている。
ひとつ、またひとつ、石を積み上げる。
その高さは優に石積みの男の背丈を超えている。
それでも石積みの男は、逞しくかつか弱い腕を伸ばし石を積む。
「みんな帰って行ってしまったよ。」
先ほどの若い男が声をかける。
彼だけは、残って石積みの男の様子を見守っていたようだ。
どだい、石積みの男にとって、そんなことは全く問題ではない。
ただ、石を積み上げる。
そのモノトーンなプロセスを繰り返す。
それだけが、石積みの男を石積みの男たらしめる所業であると
石積みの男は自覚しているからだ。
ひとつ、またひとつ。
「この村で石を積む男は君だけだよ。もしかしたら、隣の村にも、その隣の村にも石を積む男はいないかもしれないね。」
若い男は、石積みの男のことが気に入ったのか、或いは、ただ鈍感なだけなのか、石を積むこと以外全く注意を払わない石積みの男に対して話かける。
「随分と高くなったね。ここまで石を高く積み上げることが出来る者は、この国のどこを探しても、見つけることは不可能かもしれない。」
若い男は続ける。
「そこまで才能があるのなら、この先君は不自由することは無いだろう。
きっとそれを職にできるさ。そうすれば、川の畔の大きな街でも暮らすことはできるだろうね。」
例に漏れず、石積みの男は
ひとつ、またひとつと、ただひたすらに石を積み上げる。
日はとっくに沈んでいた。
石積みの男にとって月明りだけが頼りだった。
薄暗い中でもはっきりと、積み上げた石達は確かに立っている。
「それじゃあ、失敬する。明日の朝、また見に来るよ。」
そう言って、若い男は去って行った。
ひとつ、またひとつと石を積む。


まだ曙光も差さない、あくる日の朝
若い男は石積みの男の様子を見に行った。
するとそこには、若い男がこれまで目にしたことのないほど
妙妙たる石の塔が立っていた。
威風堂々。
その立ち姿は、これまでの石積みの様子を
理路整然と語っているようだった。
若い男はその姿に飲み込まれ、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
日が昇り、村に人の往来が戻ってくると
すぐさま石の塔の周りには人の群れができた。
人々は感嘆の声を上げる。
中には涙を流す者まで現れた。
これと言って、目に着くものはないこの村にとって
石の塔は何か希望の光のように感ぜられた。
若い男は石積みの男に目をやる。
「随分と立派だね。圧倒されたよ。君はこの後はどうするんだい。次の作品にでも取りかかるのかい。」
「壊すよ。」
石積みの男から初めて発せられた言葉に、若い男は面食らった。
「壊すって、せっかくこんなに立派な石の塔が出来上がったじゃないか。
壊すなんてもったいない。ほれ、周りを見てみなよ。泣いて喜んでいる者もいる。なんせ、この石の塔は間違いなくこの村のシンボルになる。」
「壊すよ。」
「なにも今壊すことは無いじゃないか。この村のみんなは必ず、この石の塔に勇気をもらう。なにか寄りかかりたくなった時には、必ずここを訪れることになるだろう。何はともあれ、君はあんなに真剣に石と向き合っていたではないか。私はその姿を知っている。」
「壊すよ。」
石積みの男はそれっきり、口を閉ざしてしまった。
その日は、石の塔の周りには人々の往来がひっきりなしに現れた。
日が沈み、薄暗くなり、人の往来も落ち着いてきたころ、
石積みの男は、石の塔の頂上まで登り、
三日月に一番近い石に手を伸ばした。
その様子を若い男は口惜し気に眺めていた。
ひとつ、またひとつと上から順序良く石が取り除かれていく。
最後にもう一度だけ忠告しておきたくなって、いてもたってもいられなくなった若い男は石の塔を駆け上がった。
「君は、この石の塔を作ることで村の人に希望を与えたんだ。きっとみんな君のことを賞賛するだろう。財産も手に入る。この塔がある限り、君は成功者なんだよ。君は石積み以外に何か職に就いているようにも見えない。これが無くなってしまったらこの村で君は生きていけるかどうかすらわからないんだよ。それなのに、どうしてそれを自ら手放すような真似をするんだい。」
すると、石積みの男はいつになく清々しい顔をして
若い男の方をじっと見つめた。
「君は私が悲しんでいるように見えるかい。」
石積みの男は若い男に尋ねた。
「いや、全くそのようには見えない。寧ろ清々しさまで感ぜられる。」
「その通りだ。」
「だからと言って、壊すまでも、」
その言葉を遮るように、石積みの男は、それまでの彼の様子からは見当もつかない様子で、雄弁に若い男に語りかけた。
「これまで私が行ってきたのは、ただひたすらに石を積むという行為だ。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、石を積むという単純な行為を繰り返し、塔という形になることでようやく意味を持つものになった。意味を持った石達は、村の人に感動を与えたかもしれない。それは君が言うところの成功ということになるかもしれないことは、私も十分承知しているよ。」
「それじゃあなんで、」
再び若い男の言葉を遮るように、石積みの男は続けた。
「だからこそ壊すのさ。石にとって高く積まれることが必ずしも善いこととは限らない。また積まれた石にとって崩されることが必ずしも悪とも限らない。それと同じさ。村の人にとって、石の塔は偶像的ななにかになるかもしれない。それが必ずしも善いこととは限らない。村の人にとって、本当に必要なのは石の塔じゃない。彼らが希望を持つには今日一日で十分だったよ。」
そう言って、石積みの男はひとつ、またひとつと石を取り除いていった。
若い男はその様子を黙って見ることしかできなかった。
しかし、若い男の目にはしっかりと石積みの男が積み上げてきたものを、彼自身の手で丁寧にかつ大胆に破壊されていく様子が焼き付いた。


翌朝、石の塔があった場所はすでに閑散としていた。
村の人はそれを嘆き、悲しんだ。
しかし、その悲しみは光を伴ったものであった。
東から村の人々の背中に曙光が差す。
ひとり、またひとりと、ゆっくり彼らの営みに取りかかる。
若い男もまた、昨日よりすっきりとした表情で、石積みの男の言うところの「石を積む」作業にとりかかった。
村の人々も若い男もまた、石積みの男のその後を知らない。




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