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熊本地震から4年

熊本地震から4年が経ちました。
前震があった日のことは昨日ように思い出すことができます。私は首都圏在住のため、熊本に住む弟からの入電で地震を知り、ただただ、家族や親戚、友人の無事を祈っていました。

激しい揺れ、続く余震、そのあと長く続く避難生活を経験された方々は、経験していない私からは想像を絶する強烈な記憶をお持ちかと思います。

(私は2016年の熊本地震で被害の比較的大きかった益城町の出身で、実家は今もそこにあります)
1年前も同じような内容でnoteを書きました。
震災から4年経った今回も、定点観測として書きます。

●仮住まい(仮設住宅、公営住宅)への入居者数
2020年3月末:3122人 / 1296世帯
2019年3月末:1万6519人 / 7304世帯
2017年5月末:4万7800人 / 2万225世帯 ←ピーク時

この1年間で、仮住まい入居の人数、世帯数ともに大きく減っています。

1、2020年4月14日と16日

熊本地震は4月14日に前震、16日に本震がきました。
益城町町民にとっては、どちらかというと14日の方が今後も記憶に残る日ではないかと思います。前震による被害は、益城町とその周辺エリアが中心だったからです。
「前震の時は、市内と益城町の人は温度差があったけんね。」と知人が言っていたのが今も印象に残っています。

2020年の14日と16日は、新型コロナウイルスの影響で例年よりも関連イベントが縮小されました。そんな状況下ですが、熊本県庁で追悼式が開催され、その様子が14日の日本経済新聞 朝刊に掲載されていました。
「熊本地震4年 遺族代表の男性、支え受け復旧現場に」

14日と16日のみ、震災後初めての試みとして被災した熊本城天守閣が一晩中ライトアップされました。
※写真は益城町に住む弟が送ってきてくれたもの

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2、「益城町震災記録誌」が発行されました

町から「益城町震災記録誌」が2020年4月に発行されました。

ここからPDFでダウンロードできます。

(町長コメントより抜粋)
「発災から概ね3年間に益城町役場が行った様々な 取り組みを記すとともに、その時々の職員の思い、判断、 行動などをありのままに残すことをコンセプトに、本誌を編纂(へんさん)いたしました。」

本誌は「応急期の対応」と「復旧期の主な取り組み」の大きく2つで構成。「数字とともに振り返る 熊本地震と益城町の3年間」によると、地震により町の全住家の98.6%に当たる10,584棟が被害を受け、そのうち倒壊した建物5,702棟を2年かけて解体したとのこと。また、住民の約半数である16,050人が本震翌日に避難したとの記録がありました。

一方で、地震から1年間で36,378人のボランティアが全国から訪れたこと、住宅を減失し自力では住宅再建が難しい被災者のために671戸の災害公営住宅が2020年3月末までに完成したこと、1,562戸の建設型応急仮設住宅と1,379戸のみなし応急仮設住宅を受け付けたとの記録もありました。

3、その他トピックス

最後に、この1年のトピックスをいくつかご紹介します。

Twitterで熊本地震に関するニュースやトピックスを毎日つぶやいています。
(記事bot的になっているのは大いに反省点ですが…)
@kiyama_mashiki

まずは熊本ヴォルターズ。惜しかった!震災前、熊本ヴォルターズの本拠地は益城町にありました。

阿蘇で被災した小川投手。2019年ドラフトで指名されました!

1月、益城町役場も平地になっていました。現在は同じ場所に再建中です。

1月の熊本城。復旧が進んでいます。

実家の氏神様、木山神社も再建が少しずつ進んでいました。
Yahoo!Japan 木山神宮ネット募金


4月、県全体でインフラ復旧は84%進んでいると報道がありました。

4年を経て、益城町の復旧は着実に進んでいる実感はあります。私の実家周辺も以前までは建て替え中が多かったですが、今年1月の帰省の際はご近所の家々がほぼ建て替えを完了していました。もちろん、現在もさまざまな問題に直面されている方々がたくさんいらっしゃいますし、復興という意味では、かたちは変われど以前の街並みが戻るまでにはまだまだ時間がかかると思います。

私自身は、次の1年もできることをやり、できそうなことを探していきたい。そう思います。

4年後の今、新型コロナウイルスの影響で世界中が大変な情勢です。
日々の静穏な暮らしに1日も早く戻れますように。



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