熊本地震から3年経つ今、熊本は。 ~いだてん第23話「大地」~

今回のいだてんは熊本地震で被災した人にとって印象に残る、「関東大震災」の内容が主なストーリーでした。

必死に避難する四三たちの姿を通して、同じ心境を通過したことを思い出します。

「地震」という共通テーマで、今回のいだてんと熊本地震をつないで記事を書こうと思います。

関東大震災の被害の概要

関東大震災は、気象庁の計測から今の基準に合わせると、最大震度7の大きな地震だったそうです。

死者は1

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熊本地震からの逃亡。(7)

あれから3年たった。中心地の活気は普段通りに戻り路面電車の通町筋電停(熊本の繁華街)からは順調に復旧工事の進む熊本城が見える。自分がよく写真を撮りにいく地区は地震直後は壊滅状態だったが今ではマンションが林立している。あの大きな揺れは本当にあったのか…そう、忘れかけている。それは良い事だと思う。少しでも前に進めたんだから。

けれども忘れてしまってはいけない、と思う自分もいる。その根拠はわからない。

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熊本地震からの逃亡。(6)

今回も(4)と同様に地震後、Twitterに投稿した当時のツイートを紹介する。(5)で書いた内容を補強したい。

高速道路は通行止め。ならば佐賀へ行くには有明海沿いを北上するしかない。ようやく市街地をぬけ左に雲仙岳を見ながら進む。不思議なことにこのルートで県外へ移動する車はほとんどいなかった。ミカンの里、河内でガソリン給油、北上を続ける。海沿いの町の家屋には殆ど損傷がなく瓦が少し落ちていた。

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熊本地震からの逃亡。(5)

「自分たちだけ楽な方法をとりたくない」

父親の葛藤がこの一言に表れていると思う。自分も今、顧みれば「楽」な方法をとった事に変わりはない、と考えている。幸い父母は年金生活者、自分は転職活動中だった。

だが県外に避難先を持たない方や仕事などで留まらざるをえなかった方たち。避難所を筆頭として壊れた自宅、車内、あるいは庭に張ったテントに…。その方々は、またいつ襲ってくるか分からない揺れに怯えながらも熊

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熊本地震からの逃亡。(4)

今回も(2)と同様に地震後、Twitterに投稿した当時のツイートを途中まで紹介する。(3)で書いた内容を補強したい。

14日の地震と同じく家の前の道路を何台もの救急車や消防車がサイレンを鳴らし益城方面へと消えていく。ヘリの音がけたたましく響く。揺れの短い余震が続き乗り込んだ軽自動車が大きく揺れる。何時間も轟音と揺れ、恐怖が襲う。非常事態だと感じた。とりあえず眠ろうとするが頭がなぜか冴えていた。

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熊本地震からの逃亡。(3)

畑に戻ると父と母の姿が無い。近所の方に聞くと車に乗ったようだ。14日のように消防車・救急車に加えヘリも飛んでいる。自分も車に乗り込んだ、軽の前部助手席。余震はまだまだ続いており小さな軽がゴトンゴトンと音を立てて揺れる。ワンセグをつける。どのチャンネルも報道特別番組だった。そこで初めてまた震度7の揺れを益城で観測した事を知った。「万が一」が来てしまった。

父は「とにかく明日からの為に寝ておけ」と言

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熊本地震からの逃亡。(2)

まず今回は地震後、Twitterに投稿した当時のツイートの途中までを紹介する。(1)で書いた内容を補強したい。

え、地震からもう3週間たったのか…という感覚。きっと3か月、3年…時間が経てば経つほどこんな感覚に苛まれるのだろう、当たり前だけど。被災か…(厳密にいうと私はただの地震”経験者”だと思っているけど)。

めんどくさいけど書いとくか。2016年4月14日、午後、定期受診のため益城病院へ。

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熊本地震からの逃亡。(1)

猫島警部はとりあえず無事ですが…猫たち…

2016年4月14日午後9時48分にTwitterにツイートした短い言葉。 

2016年4月14日・16日に一連の熊本地震が起きたことはご存知だと思う。震源の益城町の入り口まで徒歩で行ける距離の我が家。当然とてつもない揺れを経験した。

14日。自分は益城町にいた。病気の通院治療のためだ。後にその病院は大規模半壊し更に敷地内に断層が見つかって移転を余儀

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今日も家が揺れている

今日も地震があった。ゆっくりだけど大きな揺れ、早くやんでと心の中で叫びながらじっと耐える。あっ、止まった、肩をなでおろし安堵する。地震が起こると私たちはなすすべもなくただ、やむのを静かに待つしかできない。地震が起こるたびにあの頃のことを思い出す。3年前に起こった熊本地震、私の住む町で起こったことを・・・。

地震が起こった当時の話

2016年4月14日21:30ごろ、私は駐車場に車を止めて降りた

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