見出し画像

アイ エイト ヒム 2024.04.21


「まあ あかまめちゃん、スマートねえ」

祖母は私に会うと、いつも言う。
「賢い」の意味ではなくて「痩せている」の意味で。


ばあちゃん「スマート」は賢いって意味よ、
と言いたい気持ちを抑えて
「はははは〜」と机の上のお菓子を食べながら一緒に笑っている。



今や世界共通語と言われる英語。
日本でも今では小学生から必修科目のようですね。

私の頃は中学1年生からでした。
高校生になって、他の中学出身のクラスメイトが
“could you”を「クッジュー」と言っていて驚きました。

私はまだ「クッド ユー」だったので。
クッジューのこなれ感が肌に合わなかったのでそれからもしばらくクッドユーと言っていました。今はこなれたのでクッジューです。

さてさて、“smart”(=賢い)が
「痩せている、スタイルが良い」と“誤用”されること。

英語が時間的になのか距離的になのかとにかく長旅をして、到着地の独自の言葉に変貌していくのは大変興味深いものです。


私は大学生のころ、ヨーロッパのある国で数週間だけ英語を勉強した。
アジア人はほとんどが日本人だったけれども、大多数はヨーロッパ人だった。

日本での英語の立ち位置は、共通語ではなく学校の教科のひとつ。その「英語」はテストで高得点を取るためであったり学校を卒業するためであったり受験のためであったりして、外国人とコミュニケーションをとることを目的としていない(と私は思っている、少なくとも私が中高生のころは(と私は思っている))。

中高生の私にとっての「英語」は、日本史や世界史と同じ暗記科目だった。私は英語を得意科目としていたけれど、得意な理由のうちのひとつは英語が暗記科目だったからで、日本史などが得意な理由と同じだった。

私の得意話はいいとして、受験や定期考査のためにひたすら単語や文法を暗記した日本人は、それゆえ、ヨーロッパの人たちと比べて筆記テストがはるかに得意なのである。そりゃそうだ。

だから、クラス分けテストを経て参加する授業のクラスメイトのヨーロッパ人は驚くほどペラペラと喋る。日本人は「筆記>会話」だけどヨーロッパ人は「筆記<会話」。日本人の筆記レベルのクラスには、同じ文法レベルとは到底思えない会話力の人しかいない。気圧されるほどに。日本人がそのクラスにいるのはあくまでも筆記試験だけの結果なので、スピーキング力が追いつかず、テンポよく会話に入れない。
そこに日本人へ対するステレオタイプ「シャイ」、「完璧主義」が足される。

喋らない日本人の完成である。

“Don’t be shy!”(=恥ずかしがらないで!)
と言われても、決して恥ずかしいわけではなく
いや、多少は恥ずかしいのだけれども
言葉が口をついて出てこないのである。
だから私はこの学校に通っているのである!!!

・・・それすら言葉として出てこないのである!!!


ある日、何があったのか詳しく覚えてはいないけれど、私は先生に言われたことが悔しくて泣いていた。


するとクラスメイトのフランス人が駆け寄ってきて
「どうしたの?あの先生に言われたこと?大丈夫大丈夫」と慰めてくれた。

彼女はこうも言っていた。
「アイ エイト イム」

“I ate him” (=私は彼を食べた)

彼女はこう言いたかったはず。
“I hate him”(=私は彼が嫌い)

私は彼女の腕の中で泣きながらも
「食べちゃったの〜!?」
と心の中で微笑み、悔しい気持ちは和らいだのであった。

フランス語は “h”を発音しない。
フランス人が英語を話すとこうなるのかと面白い発見だった。



「スマート」でも「エイト」も間違っている、のかもしれない。
でも、場所が同じでも通時的に言葉が変わっていくように、これらのことばも正しいと考えることもできる。

「スマート」は日本語で「痩せている、スタイルがいい」の意味。
「エイト」は英語“hate”のフランス語母語話者の発音。

で、いいのかもしれない。“直そう”としなくても。

なんて言う私はアメリカン英語を話せるようになりたいと思っているわけですが。
ブリティッシュ英語かっくい〜!と思っているわけですが。

と言いながら、日本語英語も受容されろ!日本語訛りだっていいじゃない!と日本人としての誇りを堂々と持ちたいのも本音ですが。

先日、某オンライン英会話でスピーキングテストをしたら私の発音は68点でした。
なにをもって68点なのかわからないけれど、とにかくまだまだだということはわかった。


来月また、リベンジしよう。




(📷街中に猫がたくさんいる国でした)

この記事が参加している募集

英語がすき

多様性を考える

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?