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「普通」に会話する

干からびそうに暑い日。タクシーに乗ると、必ず来る信号待ちの時間。すると、大量のペットボトルを抱えた男の人が窓を叩く。「水買わない?」私は無視をする。

道を歩いていると、子どもを抱えた女性が「お金ください」と話しかけてくる。小さな子どもたちが「お金ちょうだい」と手を差し出してくる。私はそれを振り払う。

私は無視をする。怖いから。相手にしてはいけないような気がするから。できるだけ平静を装ってその場をやりすごす。内心は心臓バクバクだ。


これらが日本で起きたことだと思って読んだ方はどのぐらいいるだろうか。
そう、日本ではない。日本ではなくて、フィリピンで経験した話。

日本に生まれ、日本で生活していると、こういった経験や人は「怖い」。さらに、「相手にしないようにしましょう」、「お金は絶対に渡してはいけません」といいつけられる。だからだろうか、彼らは「私たちと違う」と無意識に認識する。

ちなみに、お金を求めてくる人たちにお金を渡してはいけない理由は、働かなくてもお金が手に入ると思わせてしまうから、らしい。手売りの飲料を買ってはいけない理由は、空の容器に自分たちで水を新たに入れて売っている可能性があるから、らしい。


私はフィリピンで語学学校に通っていた。1週間の授業を終えた金曜日の夜は各国の生徒と先生を誘ってお酒を飲むのが定番だった。先生はもちろんフィリピンの人。

その日もみんなでお酒を飲んでいた。2軒目に移動がてらフィリピン名物「バロット」(孵化する前のアヒルのゆで卵。衝撃な見た目です!)を探すべく夜道を歩いていた。すると、ストリートチルドレンが話しかけてきた。私は無視をした。怖いなあと思いながら。嫌だなあと思いながら。

だが、一緒にいた先生は和やかに笑顔で彼らと話していた。びっくりした。振り払うなんてしなかった。あとで聞いたけれど、先生は彼らと普通に会話するようだ。


ー「普通に」会話する。
私は、なにも知らない私たち日本人よりも、そこで生きている人たちの方が彼らに対して偏見というか差別意識を持っていると勝手に思いこんでいた。だからびっくりした。

でも、それは違った。彼らと会話していたのはいつもと変わらない先生だった。彼らの目線までしゃがみ、にこやかに話す先生を見て、自分の中の「怖い」がいつのまにか消えていた。


全然怖くない。彼らも私も同じ人間。

私たちは同じ人間だ。

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