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キリスト教を信じた日

私は16歳のときにキリスト教に出会い、これからはイエス・キリストを愛さなければいけないぞと信仰を持ちました。
このような未熟な年齢で神様を信じていると、両親から受け継いだ信仰だと思われることが多々ありますが、私の家系はキリスト教とは無縁なものです。

そして私は今までに宗教を4つも経験しており、4つとも高校生の内に信仰していたために、3年間で自分の宗教がコロコロ変わっていくカオスな高校生でした。
いやぁ、改宗って人生の一大事ですもんね。

私が高校2年生、2020年の11月辺り、私は変質者寄りの高校生で、少しばかり崇拝していた対象に背を向けて半年が経とうとしていました。
2019年まではマスクを着用していたのに、2020年になるとマスクをつけたくない病が発症して、教員やクラスメイトにマスクをつけろと言われるのに疲れていました。

「マスクは着用したい人がつければ良いわけで、僕にまで強要しないでくれ。」
「僕が何をするか選ぶ判断基準に、お前らの意思は関係ねぇ!」
「法律でも禁止されていないマスクの着用は、個人の選択の自由でなければならなくて、その自由を侵害するお前らこそ危険思想だ!」

言葉遣いが荒いですが、そう思っていました。
今はクラスメイトに合わせて、マスクは着用するべきであったと悔い改めています。
私がマスクを着用しないことで周囲の方々に罪を犯させてしまったのですから。


正直なところコロナの情報などどうでもよかったのですが、そんなもの大したことないんだぜと彼らを説得させるために、ネットでコロナの情報を漁ることにしました。
この選択が私の人生を大きく変える出来事になりました。

私はコロナの情報を調べようとしていましたが他のことに逸れていき、キリスト教を宣教しているインフルエンサーに出会いました。
その動画で初めて聖書の御言葉を見て、聖書の預言は成就しているんだと感心し、地獄が恐ろしいのだという動画も見ました。

思考力の不足のためでしょうか、中学生がワンクリック詐欺に出会い高額な架空請求をされ顎が外れるような動機、私は地獄が恐ろしすぎてビビり散らかし、数時間でキリスト教が自分の人生の最優先事項になりました。

「僕は今死んだとしたら、この地獄に行くかもしれない。」

私の人生で一番怖かった日がキリスト教に出会った日で、死刑執行前の死刑囚の気持ちでした。
今までキリスト教を信仰している人にも出会ったことがなく、キリスト教というものがどういったものであるのか、何をすればよいのかわからなくて、不安で仕方がなかったです。

とりあえず震える手でキリスト教についてネット検索をしてみて、十戒というものを見つけました。
十戒の文を見ても半分は何を言っているのかわからなかったために、1つ1つの意味を調べて、またそこで絶望しました。
ちなみにこの絶望が自分の人生で2番目に大きかったものです。

「え?嘘をついてはいけない…?じゃあどうやって、コミュニケーションとればいいの?」
「情欲にふけるな…?ムラムラしただけで罪になるとか、男は罪を犯さないの無理ゲーじゃない…?」
「結婚するまで性行為してはいけないって、え….?じゃあ僕、一生童貞でいろってことですか?」

クリスチャンは自分に似合っていないだとか、こんな縛りプレイして生きていくなんて嫌だとか思いましたが、やるしかなかったため最大の努力でキリスト教の勉強を始めました。

私は家族にもキリスト教を信仰し始めたと宣言し弟は、

「自分だけ人と違うの、カッコいいと思ってんの?」

と言われ、両親と祖父母からは反対されました。

それからは、キリスト教の勉強を主にYoutubeを用いて行い、説教が中心の信仰生活になりました。

Youtubeにはキリスト教を宣教しているチャンネルは山ほどあるのですが、悲しいことに御言葉に立っているチャンネルは……..それが1つでも増えてほしいと切に願います。

Youtubeで説教動画を検索すると一番上にヒットするチャンネルや私をキリスト教に導いたチャンネルで勉強を始め、私は聖書第一主義に立ちました。
そして罰当たりにも、父親を恐喝して初めての聖書を買っていただきました。

聖書は創世記の序盤やマタイによる福音書から読み始め、マタイによる福音書でイエス様が十字架にかけられる場面で泣いたのを覚えています。


そしてキリスト教は宗派がもの凄く多い宗教で、大まかに分けるとカトリック教会、プロテスタント教会、東方正教会に分かれており、プロテスタント教会だけでも3000の宗派があります。

私は幾千本の雑木林の中で迷子になりましたが、1年も経たない内に救いに至るブドウの木に導かれました。
11か月で今日も通わせていただいている教会に辿り着き、「日本で一番の教会だ!」と思いました。

キリスト教を勉強していくと、イエス様が愛そのものの神様で、崇拝を受けなければいけない創造者であることを知りました。

イエス・キリストを愛していないというのは、イエス様を知らないからであって、彼を知ることが出来れば、愛す以外の選択肢はありませんでした。

気づくと自らイエス様に従いたい、十戒を守りたいとの動機が与えられ、多くの罪にも勝利させていただけました。


私は主にあって、十戒を喜んで守りたいと思います。
今日の私の人生で一番幸せなひとときは、御言葉を読み、主に祈祷し、十戒に従っているときです。
信じ始めたときは嫌いであった十戒を愛す心を与えてくださった、恵み深い主に感謝いたします。



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