一輪の花の心

そこはかとなく咲く一輪の花は、周りの草花の心を洗った。

誰にも気づかれないかもしれないし、大輪でもないかもしれない。
だけど、その花は咲いた。
一輪の花もまた雨に恵まれ、肥えた土に養われ、光に恵まれ、花をつけたのだ。

一輪の花はつぼみのとき、我慢していた。

「わたしは 咲いていいのかしら」

私が咲くことで他の花の邪魔をしないかしら。
私が咲くことで日陰になる草はないかしら。
私が咲くことで

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亡くなる時期を選びたい

今週は「台風大丈夫だった?」があいさつ代わりのようだ。
残念なことだが、私の住むところの程近くで高齢者が亡くなったそうだ。

私はあの夜、万が一自分が死ぬかもしれないということを30%くらいは考えた。鳴りやまぬスマホの警報(土砂災害と川の氾濫は交互にやってきた)、町内放送で流れる支流の氾濫の危険。
ハザードマップの浸水エリアに端っこながら入っている我が家。
もしかしてもしかすると私も浸水で死ぬかも

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聖書のことばー「違った福音」をどう理解すべきか

聖書にはこう記されています。「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反する

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携挙の本当の意味

集会が始まり、ユー牧師は兄弟姉妹を率先して「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(テサロニケ人への第一の手紙 4:17) と聖書を読んでいました。そして、ユー牧師はこう言いました。「今は終わりの日の末期、主が再臨される重大な時期です。主は今すぐにでも私たちを迎え入れるために来てくださります。そして、私たちは雲

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仮庵の祭りに込められている意味         ‐ the meaning of Sukkot‐

最後の祭りである。仮庵の祭りが、本日夕方からはじまりまます。神様の御計画の完成を意味する、第七の月の祭り-仮庵の祭り(sukkot)について御言葉を分かあわさせて頂きます。

レビ23:33ついで主はモーセに告げて仰せられた。34「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる。39特に、あなたがたがその土地の収穫をし終わった第七月の十五日には、七日間にわた

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ララバイ!!

【hint.549】なんとも想い出深い一日

おはようございます。

こちら東京は、もうすっかり、燦々と陽射しがふりそそいでいます。

台風19号、日本列島はすでに抜けたようですが、各所でその猛威による傷跡がまだ続いていますね。

これ以上、被害が拡大しませんように。そして、被災された皆さまの生活が、一刻もはやく落ち着いた生活がおくれますように。

僕の住んでいる地域では、特に大きな被害は起きませんでした。

昨夜21時過ぎにスマホが鳴り、特

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読んでくださりありがとうございます(^-^)
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一度救われたら、永遠に救われることができる」のか

救われる」とは何かについての思考
真心をもって主を信じるすべての兄弟姉妹はこう思っています。自分は主イエスを信じたので、もう救われました。聖書に「実に、人は心で信じて義うとされ、口で公に言い表して救われるのです」(ロマ10:10) と書かれているからです。こういうわけで、主にある多くの兄弟姉妹は「信じることによって救われる」としたら、永遠に救われることになると思っています。では、このような観点は神

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浄化のとき

水が空から降っている。

ただそれだけの現象に耳を澄ます。

慌てることはない。

私たちは浄化されている。

業は清められる。

罪は浄化される。

もし今夜自分の命が危ないとしても

喜んで差し出そう。

そこに神様の意志があるなら。

未来の宗教の必要性

宗教は現代では怪しいものと言う認識になっていると思います。宗教の話は人前ではするようなものではないですよね。そんなこと言い出したら、やばい人ではと警戒されてしまいます。
今回は私の考えですが、心理学を学習していて、宗教は人間にとって必要不可欠なものではないかと思えてきました。

そもそも宗教って何?
ということですが、
人間が繁栄するとができた虚構を信じる力の集合体だと思います。
サピエンス全

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すごく多くの人に読んでいただいております幸せです。ありがとうございます
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2019年4月22日洗礼

10年間の長い求道生活を終え、私は今年のイースターにやっとキリスト教の洗礼を受けた。
頭に水を振りかける滴礼ではない。
短パンにラッシュガードを着て、風呂の中に沈められた。
水に浸かることは、墓を意味する。そして私はキリストの新しい霊を持ったものとして、清められて生まれ変わったのだ。
長い求道生活の中、ようやく洗礼を受けられた私は、ホッとした。水から上がってくると、信徒からのゴスペルソングの祝福が

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