【長編小説】君は、星と宙を翔ける竜 私を空に連れていく、蒼い翼
前回までのあらすじ
星間を旅する宇宙船で生まれ育った少年カケルは、故郷を出奔し、乗っていた飛行機ごと、竜が棲む星に墜落する。死んだかと思ったら、目覚めた時には何故か、自分も竜の姿になっていた。
荒野をさすらった末に、お転婆な少女イヴと出会い、彼女の案内に従って竜と人が暮らす国エファランに辿り着く。
エファランは無人機の侵略に脅かされており、その無人機は故郷の船団が投下したものだった。カケルは密かに心を痛めながら、自身が生き抜くため記憶喪失の子供を演じ、エファランで生きることを決意する。
数年後、青年に成長したカケルは、学校の演習で仲間と共にエファランの外に出る。
予想外の無人機の襲撃を受け、仲間の一人が災厄に堕ち、次々と降りかかる危機に、カケルは自分の正体を明かすか決断を迫られる。
しかし悩んでいるうちに敵の罠に嵌り濡れ衣を着せられ、囚われの身になってしまうのだった。
※第三話を読み直したい方は以下からどうぞ!
第四話 夜明け前
01 過去からの助言
疑わしきは罰せよ、ということだろうか。侵略機械の手先の女性とは別に、カケルも拘束された。イヴやオルタナが抗議してくれたようだが、現状カケルの無実を証明する手段はない。
アヤソフィアから少し離れた商業施設の地下にある、警察の留置場に放り込まれた。
窓のない暗い部屋で、長椅子に仰向けになって、天井を見上げる。
結局、帰れなかったなぁ。
ソーマおじさんは、俺を心配しているだろうか。
横になると眠気が襲ってくる。
夢の中で、カケルは幼い頃に戻っていた。
「人の歴史を記録する司書家……科学技術とかなら分かるけど、僕らの歴史ってすごく主観的じゃない? こんな空想物語みたいなの、記録する意味があるの?」
司書家の後継ぎとして、カケルは昔ながらの目視や暗記で、歴史を覚えさせられていた。データは、システム上に保存されていて、すぐに取り出せる。なぜ貴重な時間を使って生身の脳に情報を入れようとするのか、当時のカケルには分からなかった。
検索すれば出てくるデータを、声に出して何回も読んだりしながら、自前の脳で記憶しなければいけない。それは旧時代的に思える。非常に面倒くさい、古くさい手段だった。
だから、教育係にいちゃもんを付けた。理由は何だってよく、ただ勉強をサボりたかったのだ。
「読むの面倒くさいよ~」
それにしても、この歴史という奴は、人死にや失敗の記録ばかりで嫌になる。敗者の記録は勝者によって上書きされるが、勝者も永遠に勝ち続けることは出来ない。歴史は、その時代の人々に都合が良い様に、どんどん書き換えられる。絶対に成功していて正しいのは、いつだって「今」だけだ。
「司書家のカケル様が、外でそう言ってはいけませんよ。問題になります」
初老の教育係リードは、穏やかな声で、子供のカケルを諭す。
「歴史を識ることは、未来を知ることです。だから、司書家は、この船団を率いる資格を持っています」
「……」
「私達は、この暗闇が支配する宇宙において、先の見えないまま手探りで前に進むしかありません。未来は、今まで選んだ選択肢以外の道に進むことで得られるもの。過去を知らなければ、同じ選択肢を選び続け、ぐるぐるループして一歩も進めない」
リードは、膨れっつらをしたカケルの頭を、そっと撫でる。
この教育係は数ヵ月後に、謎の失踪をするのだが、当時のカケルは知らないことだ。
「歴史は、人の意思決定、無数の選択肢の積み重なり……カケル様、起源星に降りる機会があれば、かの星の歴史を探してください」
「リード?」
「未来に辿りつく手段はいつも、過去の中にしか存在しない」
02 信頼の証明
まだ、夜は明けていない。
体は睡眠を欲していたが、部屋の外で声がして、カケルは短い夢から覚めた。
「っ、ソレル……!」
「悪いな」
ドカッ、バキッと誰かが殴り合っている音がした
静かになった後、独房の扉が開かれる。
眩しい。
真っ暗だった室内に光が射し込んだ。
扉の向こうに逆光を背負って立っているのは、イヴとオルタナだった。
「どうしたの? こんな夜中に」
二人が面会に来るとしても、翌日以降だと思っていた。
きょとんとするカケルに、イヴが厳しい表情で言う。
「エファランは、外からも攻撃を受けてるの。空飛ぶ侵略機械が大量に攻めて来てるそうよ。飛空部隊は、皆エファランの外に出て戦っているけど、防戦一方みたい」
「……」
「あなた、アヤソフィアで、侵略機械を止めたよね?……外にいる侵略機械も、止められる?」
イヴの口調は彼女らしくなく、歯切れが悪い。
アヤソフィアの一件を見ていたとしても、彼女にはカケルが何をしたか分かっていない。確証がないので、こんな頼りない口調なのだ。
カケルは黙考する。
止められると安請け合いはできない。先ほど、潜入用小蜘蛛を通じて凍結命令を出したが、外の侵略機械には、それが通じていないようだ。
無理だと答えようとして、ふとネムルート補給基地のことを思い出した。
「止められるかは分からないけど、ネムルート補給基地は取り戻さないと。ネムルートから増援が来たら、守りきれない。司令塔になっている機械を止めたら、何とかなるかもしれないけど」
「!! じゃあ、今すぐネムルート補給基地に行きましょう!」
「今すぐ?!」
イヴは活路を得たとばかり、目を輝かせる。
ちょっと決断が早すぎる。
それにカケルの推測を鵜呑みにし過ぎだ。
「待ってイヴ、エファランは非常警報中で、外に出れないだろ。だいたいネムルート補給基地に司令塔がいるかも分からないし」
「行動あるのみよ!」
「えぇ?!」
行きましょうと、イヴがカケルの腕を引っ張る。
しかし、そこに鋭い刃の切っ先が差しのべられた。
「待て」
オルタナが、抜き身の短剣の切っ先を、カケルの頸動脈の手前に突きつける。驚いてイヴが動きを止めた。
「先に聞かせろ、カケル。お前はエファランの、敵か?」
重苦しい空気が、部屋に満ちる。
それは、目の前の獣人の青年が発している威圧感だった。
返答をあやまれば、オルタナは即座に自分の喉を切り裂くだろう。カケルは友人の紅眼から、視線を外さないよう注意した。油断すると、獣は襲いかかってくる。
「……俺は、敵じゃないよ」
「口では何とでも言える」
「何に誓えば良い? 俺は何も持ってない。エファランで生まれた訳じゃないし、俺の言葉なんて信じるに値しないだろう。オルトは、俺が真実を言ったとして信じられるのか?」
いつか、他愛のない会話をした。
大概の困難は、暴力と金で解決できるが、人を信じることが一番難しい。それは真理だと、カケルは思う。人が裏切らない保証なんて、どこにも無い。
それでも人は、人を信じたいと願う。
カケルは、その希望を、良心を、諦めたくなかった。
ならば……まずは自分が胸襟を開くべきなのかもしれない。
「その刃で試してみる? 俺は、イヴとオルトになら、殺されても良い」
ふっと、オルタナの紅眼から敵意が消えた。
彼が切っ先を下げると、空気が嘘のように軽くなる。
「命を無駄にすんじゃねえ」
呆れたように言い「ここから脱出するぞ」と顎をしゃくった。
三人は、暗い部屋から出る。
カケルは、足元に見張りの獣人が転がってるのを見て、ぎょっとした。
「殺してねえよ。獣人は、めったなことじゃ死なない」
オルタナはそっけなく言うが、彼は同族と交戦したのだ。表に出さない葛藤があってもおかしくない。なるほど、カケルに覚悟を迫ったのは、賭けるだけの価値があるか試したかったからか。
「私は、最初から、あなたが敵じゃないと知ってるわよ」
「イヴ」
カケルの隣を弾むような足取りで歩きながら、イヴは軽やかに言った。
「覚えてる? 私達が初めて会った時のこと。私はエファランの外に家出して……あなたは自分も迷子なのに、私を助けてくれた」
「イヴは出会った時から、無鉄砲だったなぁ」
思い出して、カケルは苦笑する。
幼い少女と子竜の二人きりで、月下の砂漠を歩いたのだった。夜の砂漠は凍えるように寒く、世界で二人きりのように感じて少女のぬくもりを手放せなかった。
「ふ~ん、否定しないってことは、やっぱり迷子だったのね」
「ご想像にお任せします……」
イヴの指摘は図星だったので、カケルは視線を明後日に泳がせる。
無計画に、飛行機をぶんどって、船団から逃亡してきたのだ。イヴのことを笑えなかった。
03 仲間はゲットしにいくもの
カケルが閉じ込められていたのは、北区の商業施設だ。
見張りの獣人を倒して脱出した三人は、移動を開始した。
エファランは非常警報発動中で、竜の止まり木も封鎖されている。シャボン玉の外に出るには、通常と別の経路を使う必要があった。
「東区の端に風穴がある。竜は通れないが人間はギリギリ通れるやつだ」
オルタナは、そこから外部に出ようと言った。
エファランは透明な壁に覆われた都市だ。外に出るには竜の止まり木から飛び立つ必要があり、利便性が悪い。歩いて外に出られる場所があるのに何故使わないのかというと、都市の周囲の地上は自壊虫の群れが徘徊していて危険だからだ。
しかし、危険でも今はそこしか通れない。
駅から列車に乗って東区に移動する。
その間、獣人の追っ手は無かった。なんやかんやで、オルタナが同行しているからだろうと、カケルは思う。この友人は、獣人の中でも特別らしいのだ。
シャボン玉の外は危険に満ちている。
カケルは腕組みし、思考を巡らせた。自分はともかく、イヴとオルタナは絶対に死なせては駄目だ。エファランに帰る手段を確保しておかないと。
「竜が俺だけだと、俺が負傷した時に飛べないよね。もう一人、竜を調達しよう」
「は? どうやって調達するつもりだ」
「寄り道してる時間がある訳?!」
眉をしかめるオルタナとイヴを連れて、東区の住宅街に移動する。
カケルは、合同演習で負傷して墜落したクリストファーを訪ねた。彼は、東区在住でカケルの同級生である。
前に会った時は、怪我のせいでぐったりしていたが、休んだからか今は顔色が良い。
「こんばんわ~、クリストファーくん」
「お、お前カケル?! どうしたんだ、こんな深夜に」
「実は、頼みたいことがあって」
後ろ手に扉を閉め、二人きりになる。まあ、どうせ耳の良いオルタナは聞こえてるだろうし、イヴも魔術で盗み聞きするのだろうが。
「クリストファーくん、ニーサちゃんが好きだよね?」
「な、なんでそれを?!」
クリストファーは慌てふためく。
彼は、同じ学区の獣人の少女ニーサに恋している。格好良いところを見せたいからか体を鍛え、弱そうなカケルにわざと絡むのだ。
しかし、カケルは知っている。ニーサは強い男が好きで、一番強いオルタナに恋心を抱いていることを……言うつもりはないが。
「俺に協力してくれたら、ニーサちゃんと話す機会を作るよ」
「本当か?!」
ちょろい。
「けど、協力って何を」
「極秘任務なんだ。イヴさんがいるんだから、分かるだろ」
イヴの美貌と出自は、他の学区にも知れ渡っている。
案の定、クリストファーは持ち前の正義感を刺激されたらしく、拳を握った胸を熱くしているようだ。
「うぉぉ……極秘任務。格好いい……」
よし。一人ゲット。
カケルは口八丁でクリストファーを連れ出すと、大通りをキョロキョロ見回す。
あともう一人くらい、できれば軍関係者が欲しい。
「あ、ホロウさん!」
ちょうど、合同演習で世話になった頼りない軍の士官ホロウが通りがかった。
「カケルくんじゃないか。こんな時間に……君たち、そろってどこに行くんだい?」
ホロウは、カケルの後ろに続くイヴとオルタナ、クリストファーを見て頬を引きつらせる。
勘の良い人だ。
カケルは、さりげなく彼の退路に回り込んで、明るく言った。
「ホロウさんこそ、こんな時間にどうしたんです? ここって病院の前ですよね?」
「……」
「入院してるお兄さんのお見舞いですか?」
「なんでそのことを?!」
図星を突かれたホロウは慌てている。
簡単な推理だった。
危険な軍の士官は、安定して高い給料をもらえる。それでも借金に怯えているホロウには、事情がある。金が必要な家庭の事情など、限られていた。
あとは頼りないホロウは、どっちかというと弟気質だなぁと思って、鎌かけしたら当たりだったという訳だ。
「俺たちに協力して頂けますか。もしイヴを助けたら、彼女の父親に感謝されて、最新の魔導医療を無料で受けられるかもしれません」
「……」
「まあ、回答は一つしかないですけどね。俺たちが危険な場所に行くのに、ホロウさんが止めたり同行したりしなかったら、責任を問われます。減俸ですね」
「い、行く!」
二人めの協力者ゲットだ。
仮でも軍の関係者がいれば、後処理でいくらでも誤魔化しがきく。それこそイヴの父親が娘可愛さに、軍の秘密任務だったと揉み消してくれる可能性もある。
「あなたね……」
さんざんダシに使われたイヴは、困惑している。
カケルは彼女を振り返った。
「極秘任務、それで良いでしょ。大義を掲げれば、帰る場所を確保できる」
「それは、そうだけど……そうじゃなくて、ああもうっ!」
イヴは何を言ったらいいか、言葉を選んでいるようだった。
ここに来てはじめて、カケルの才能のようなものを目の当たりにして、彼女は感嘆していたのだった。しかし、カケルにとっては、故郷では人を巧みに誘導して苦難をくぐり抜けることは、珍しいことではなかった。
不思議そうにするカケルを見て、イヴは呟く。
「それが、本当のあなたなのね……」
「?」
彼は、人に従う器ではなく、人を従える方だ。
そう彼女は直感していた。
04 空を制するもの
シャボン玉の壁までは、かなり距離がある。何しろ都市や村や農場をすっぽり覆う、広大なシャボン玉だ。おおよそ半径30km、中央から端まで徒歩で約8時間。歩いていくと、時間が掛かり過ぎる。
「東の風穴まで、どうやって行ったら良いかしら。夜だから、タクシーも動いてないわよ」
イヴは首を傾げた。風穴の情報を提供してくれた当人のオルタナは、無言で渋面になっている。どうやら二人とも、そこまで考えていなかったらしい。
カケルは「簡単だよ」と教えてあげた。
「貨物列車に乗せてもらおう」
貨物列車は、人の行き来がなくて線路が空いている夜に運行するので、ちょうど良かった。
まるで犯罪者のように荷台に忍び込む。
一番年上で世間体が気になるのか、はたまた真面目な性分なのか、ホロウが嘆いた。
「うう。勢いで承諾して付いてきちゃったけど、これって豪華な報酬をもらうか、犯罪者にされて人生終わりか、どっちかのハイリスクハイリターン?!」
「やだなあ、気付くの遅いですよ、ホロウさん」
カケルは、ホロウが逃げないように、さりげなく退路をふさぐ。
「大丈夫ですよ~。魔術師協会会長の娘と、獣人族長の息子がこっちにいるんですから」
エファランの人々は、身内には寛容だ。
難民で正体不明のカケル以外は、怒られることはあっても、殺されることはないだろう。
「カケル、俺たちどこに行くんだよ?」
クリストファーが今さらな事を言う。
この同級生は、知能に使うべき部分を、筋力その他に持って行かれてる感がある。
「外だよ、外」
「外ぉ?!」
適当にクリストファーに説明していたら、貨物列車は東区の端の農園地帯で止まった。
そこからは徒歩だ。
時間は掛かったものの四人は夜明け前までに、東区の風穴……シャボン玉の壁で穴の空いた箇所……に辿り着いた。
シャボン玉の壁は半透明になっており、表面が揺らいでいる。壁の向こう側に蜃気楼のような黒い森が見えた。壁の一部が切り取られたかのように欠け、真っ黒な穴が空いている。
風穴という名前の通り、強い風が内部から外部へ向かって吹いていた。
「……俺が先に行くよ。竜は、自滅虫に耐性あるから」
カケルは穴を観察していたが、覚悟を決めると、一歩踏み出した。
黒い穴をくぐり抜ける。
その途端、真っ暗になり、空気が変わった。
シャボン玉の中は人の灯りで明るかったのだと、カケルは知る。目が慣れると、外部の状況が見えてくる。
足元は、砂漠の砂を踏みしめている。
月が浮かぶ夜の砂漠は、遠くに森や山が見えた。
「っつ!!」
上空で爆音が響き、空を見上げると、そこには花火のように閃光が炸裂する。炎を吐きながら飛び回る竜と、侵略機械が戦っている。
目を凝らして、戦況を把握する。
エファランの竜達は、防衛戦線を維持できていない。
すり抜けた侵略機械が、シャボン玉の外部に取り付いて、穴を空けようとドリルを回転させている。
シャボン玉の外側は頑丈なのか、まだ穴は空いていない。おそらく壁が厚いせいで、エファラン都市部からは、上空の異変が分からないのだ。
「反撃どころじゃないじゃん?!」
状況を見て取ったカケルがやけくそに叫び、その声に答えるように、上空から竜が墜落する。
すぐ近くに墜落した竜は、盛大な砂ぼこりを起こした。
「イヴさんは俺が守る! うぉっ、死んでる?!」
カケルの後に続いて出てきた面々は、砂漠の海に墜落した竜の姿に仰天した。クリストファーが大袈裟に驚いたので、オルタナが舌打ちしている。
「見ている場合じゃないよ。自滅虫が集まってくる。俺が竜になるから、空に上がろう」
どこから現れたのか、夕焼け色の揚羽蝶が、数匹近くを飛んでいる。その数がどんどん増えていくだろうことは、容易く想像できた。
カケルは竜の姿に変身し、他の四人を背中に乗せる。
風を操り、大地を蹴って離陸した。
「カケル、い、今どうやって離陸したんだ?! 普通、助走付けるか高い所から飛び降りないといけないよな。なんかフワッと浮き上がったよな?!」
「うるせえ」
クリストファーは騒ぎ過ぎて、オルタナに殴られている。
カケルは構わず急上昇し、戦場を俯瞰できる位置を探して旋回した。夜の空は暗いが、戦火が交錯しているので、戦いの状況はすぐに分かる。
戦いの火花は、エファラン外縁部と、その手前の空に集中していた。
「エファランの空軍は、二つに分かれてるようね。迎撃する部隊と、エファランの壁に取り付いた侵略機械を排除する部隊……」
イヴが戦況を分析する。
彼女の言う通り、エファランの竜部隊は二手に分かれていたが、どちらも仕事に手こずっているようだった。
原因は、侵略機械に混ざる新種の機械。不恰好な作業用機械ではなく、銀色の鳥の姿をした戦闘機が高速で飛んで、竜の編隊を乱している。
ひゅんひゅん縦横無尽に飛び回る、小型の銀色鳥に、竜たちは振り回されているようだった。
「それにしても、あの鳥みたいな機械、竜と同じくらい速く飛ぶのに、味方とぶつかったりしないのね」
『……! イヴ、それ良い着眼点!』
なぜぶつかりあわないのか、それは位置関係を把握し、管理する親玉がどこかにいるからだ。
そして親玉の指示は、通信によって子機に届く。通信というものは、中継点が無ければ成立しない。無数の中継点を結んだものが、ネットワークと呼ばれるものだ。
故郷から送り込まれた機械達は、この世界に元からあるネットワークを利用できない。
なら今、目の前を飛んでいる侵略機械は、どうやって通信している?
『イヴ、あの格好いい、ルビーショットって魔術の準備をしてよ』
「良いけど、なぜ?」
『敵の中継機を、破壊する』
幸いにも、空軍から外れて飛ぶカケルは、注目を浴びていない。
音もなく虚空を最速で駆け抜け、侵略機械の群れの背後にくるっと回りこみながら、風の流れを観測する。
『……見えた』
肉眼には見えなくても、風を遮る巨体がそこにあるのは、分かっている。
『イヴ、まっすぐ撃って!』
「何もないのに? ええい、紅輝石弓矢!」
イヴの放った魔術が、空中で消える。
次の瞬間、光学迷彩で見えなかった敵機の輪郭が、見えるようになった。
何も無かった空間に、金属で出来た巨大な傘が現れる。
音や光を集める放射曲面をした反射器が特徴の、傘型情報収束装置。急場凌ぎで建造されたのだろう旧世代型の機械は、ろくに防御もしていなかったらしく、魔術の一撃でもろく崩壊する。
バランスを崩した傘型情報収束装置は、ゆっくり傾いて落下を始めた。
(※アロール視点)
まったく酷い夜だ。
喉がからからに渇き、寒風の中なのに背中は汗に濡れている。高速で飛ぶ竜の背中では、常に微弱な防御結界を張る必要がある。アロールは強行軍に慣れているとはいえ、ここ数日は前線に出っぱなしのため、魔術の使いすぎで頭痛がした。
「銀色の鳥の動きに惑わされるな! 連携して確実に一機ずつ落とすんだ!」
空軍の味方に指示を送る。
侵略機械の新種、小型の銀色鳥に撹乱され、前線は崩壊している。
動きの鈍い飛空丸太が竜の背後に到達し、エファランの壁に取り付いていた。その排除に一部隊を回したせいで、余計に前線の戦力が足りない。
このままでは……最悪の事態が思い浮かんだ、アロールの視界の隅を、ふっと蒼い輝きが走った。
「あれは……あの蒼い竜は」
例の学生、カケルという竜の青年だ。
アロールは前から彼が気になっていた。これは竜騎士と呼ばれる連中の間の噂だが、竜の強さは鱗の色に現れる。まるで磨いたサファイアのように、透明感と光沢を持った蒼い竜の鱗を見て、アロールは彼が強い竜だと確信していた。ひょっとしたら、何かしら異能を持っている可能性すらある。
「いったい何を」
蒼い竜は、侵略機械の後ろに回りこむ。
すぐに、雷鳴のような重低音が空に響き渡った。
それまで何も無かった空間に突如、巨大な金属の傘が現れる。
あの傘は、侵略機械だろうが、見たことのない種類だ。
傘の機械は、ゆっくりバランスを崩しながら、地上に降下し始める。
同時に、銀色の鳥の動きが止まった。
「今だ!!」
竜の部隊は、その隙を見逃さず、一斉に火を吹いた。
小さな銀色鳥は、まるで殺虫スプレーを受けた虫のように、ばたばた燃え尽きて落下していく。
嘘のような逆転劇だ。
「残党を一掃するぞ!」
仲間から雄叫びのような返事が返ってくる。
急激に数を減らしていく侵略機械の群れの、背後の空が淡い藍色に染まっていく。
白い曙光が空を彩った。
長い夜が、明けようとしている。
05 実力主義で助かった?
敵の中継機を撃破した後、イヴは「ネムルートに行くわよ」と騒いだ。
しかし、移動する前にアロールに見つかった。
「そこの蒼い竜! 戦闘が終わったら聞きたいことがある! 逃げないように!!」
『職務質問来たー』
「ちょっと、カケル! 逃げなさいよ!」
無茶言わないで欲しい。
ただでさえ裏切り者のレッテルを貼られそうになっているのだ。これ以上、心証を悪くしたくない。アロールが味方になってくれるかは分からないが、見つかった以上無視して逃げる訳にはいかなくなった。
カケルは侵略機械の残党の間を飛び回って敵の動きを乱し、エファラン空軍の支援をすることにした。
その甲斐あり、しばらく経って夜明けの空に残っているのは、勝者の竜達だけになった。
下に降りるように言われ、素直に指示に従う。
竜部隊は地上に降りると負傷者の看護や、状況把握を始めた。簡易のテントが用意され、その周囲に竜も人も集まる。
「君たちのおかげで、助かった」
意外なことに、アロールは開口一番、礼を言った。
「外出禁止発令中に、外に出たのは大目に見よう……ホロウくん、後で報告書を上げてくれるかな?」
「はいぃぃぃ!」
上官の指示に、ホロウが畏まっている。
その様子を眺めるアロールは、怒ってはいないようだった。ただ冷静に、カケル達がなぜここにいるか、現場指揮官として見定めようとしているようだ。
「さて。君たちは、どこへ行こうとしていたのかな?」
カケルは答えようとしたが、その前にイヴが進み出て言った。
「私達は、ネムルート補給基地を取り返しに行くところでした!」
ああ、言っちゃった。
カケルは、アロールの片眉が跳ね上がるのを見て、宙を仰いだ。子供の先走りと嘲笑されるか、あるいは……
「普通なら、馬鹿な真似はよせと止めるところだろうな」
アロールは静かに言った。
「だが、先ほど我々の窮地を救ったのは、君たちだった。簡単に止めることはできない……グラスラ、酒を飲むな」
「うぃ?」
テントの片隅で、酒瓶を抱えている人間、ヒゲ面の大柄な男性が振り返った。
「彼らに同行して、ネムルート補給基地へ向かえ」
「へ……?」
アロールが突然下した命令に、カケル達も、そのグラスラと呼ばれた男も、驚愕した。
「勘違いするな、君たちの言葉を信じた訳ではない」
アロールは穏やかながら、ちくりと刺のある言葉で、カケル達を制する。
「この世界は、強い者が生き残る。勝った者の言葉は、絶対に正しい。負けた者の言葉になど、誰も耳を貸さない」
「……」
「君たちは、ネムルート補給基地を取り返すと言った。その言葉を実現し、勝者としてエファランに凱旋しろ。そうすれば私も、ここで私の言葉を傍聴している者たちも、皆君たちの味方になるだろう」
ものすごい実力主義だな、この人。
カケルは、アロールの割りきった考え方に感心した。ある意味、オルタナと同じように、戦いに生きる人種の思考だ。
周囲にいる軍の竜や兵士も、異論はないようだ。まあ、アロールがここまで言うのだから、様子を見ようと考えているのだろうが。
そこまで厳しい口調だったアロールだが「ただ」と、少し険を和らげ、優しい口調で言った。
「カケルくんは、先日から飛びっぱなしだろう。ネムルートへは、グラスラに乗っていくといい。君達には、休息が必要だ」
その言葉を聞き、グラスラと呼ばれた髭の男が、残念そうに酒瓶を地面に置いた。
「……俺は万年補欠だと思っていたのに」
「何を言っているのやら。確かに君は鈍重な鎧竜で、小回りがきかなくて動きが鈍いから、侵略機械の迎撃には向かない。しかし、ネムルート奪還では主役だと思っていたよ」
「へいへい。人使いの荒い隊長様だ」
彼は竜らしい。
補欠として待機していたから、人間の姿だったようだ。
気だるげな動作でこちらに歩いてくる。
妙な威圧感を覚えて、カケルは無意識に頭を下げた。
「気張るな、坊主。人の姿に戻れよ。俺がネムルートまで送っていってやる」
年の頃は、カケル達の二倍以上。年季を感じさせる中年の男は、髭だらけの口元を歪め、ニヒルな笑みを浮かべて見せた。
06 告白
グラスラが竜に変身すると、その姿はまるで山のようだった。
彼が大き過ぎるので、比較すると他の普通の竜が、まるで子供のようだ。
その鋼のような鱗は、鉄鎧のように分厚く、竜の四肢は大地を踏み抜きそうに太い。翼を広げると、まるで雲のように太陽を遮る。
『どこでも好きなとこに乗れ。俺は飛行速度が早くないから、快適だぞ~』
なるほど、鈍重。
カケルは人間の姿に戻ると、イヴ達と共にグラスラの上によじ登った。これだけ背中が広い竜だと、鞍要らずだ。
「グラスラさんの鱗、普通の竜より硬そう」
『おう。俺は古代種と同じらしいからな。宇宙まで飛べるし、火を吹いたら味方も機械もまとめて消滅させちまえる』
「へぇ~。都市の壁も破れる?」
『もちろん。だからこそ、アロールはエファランの近くでは俺を出撃させない。俺の炎でエファランが壊れたら大変だからな』
理性を失って野をさすらう竜の中には、数百年、あるいは数千年生きている者もいるらしい。
古代種と呼ばれる彼らは、鋼のような鱗と、超高熱の炎を持っている。人間と交流せず、食っちゃ寝生活を続ける古代種の竜達の生態は、謎に包まれている。
基本的に積極的に人間を襲わず、機械は目障りなのか眼の敵にするらしい。おかげで最近までは、侵略機械を追い払ってくれる守り神だった。
「なるほど。真面目に竜と戦おうと、大きな戦闘機を発進させて、返り討ちに遭ってたのか……」
カケルは、故郷の船団が竜攻略に手こずっていたことを思いだし、溜め息を吐いた。
「ねえ、カケル。そろそろ教えてくれても良いんじゃない? あなたは何者なの?」
イヴがこちらの顔を覗き込んでくる。
「いくら私だって、敵だらけのネムルートへ行って百パーセント皆無事に帰れるという確信は無いわ。それなら今のうちに、あなたのことを聞いておきたい」
カケルは空を仰いだ。
いざとなったら自分を犠牲にしても、イヴとオルタナは、エファランに帰したかった。
ちっぽけなカケルが消えたとしても、世界はいつも通り回り続けるだろう。故郷の船団の記録から、逃亡者であるカケルの名前は遠からず消去される。そして、エファランにはカケルの出自を知っている者はいない。死んだら、どこにも存在した記録が無くなってしまう。それは、ぞっとするほど寂しいことに思えた。
今まで、あんなに隠していたのに、カケルの口からするっと言葉が漏れる。
「……俺の故郷は、空の上にあって、侵略機械を作ってる」
その場に沈黙が満ちる。
突然のカケルの告白に、聞いた面々は理解するのに時間が掛かっている様子だった。
「黙ってて、ごめん」
「……考えてみれば」
イヴが呆然とした表情で呟いた。
「あの機械って、人が作っているのね?!」
「そこから?!」
カケルは頭を抱えたが、エファランの人々の常識からすれば、自動で動く機械は勝手にポップするモンスターの一種だと錯覚しても仕方ない。
「空の上って、都市が空を飛んでるのか?」
器用にあぐらをかいて頬杖をついたオルタナは、何とかカケルの事情を咀嚼しようとしているようだ。
眉間にシワを寄せて、渋面になっている。
「うん。空の上、星の海の間ね」
「てめえは、なんで空の上からエファランに来たんだ?」
「前にイヴが指摘した通りだよ。故郷から逃げ出して、迷子になって、エファランに辿り着いた」
「逃げ出した?」
「理由は……説明しづらいなぁ。とにかく、身の危険を感じたから脱出したとしか」
司書家の事など、イヴ達に話しても分からない。歴史の守り手と宣い、あらゆるデータの管理を独占する、一種宗教の教祖的な家だ。
その後継と目されていたカケルは、致命的な欠陥が見つかり、処分されそうになって、エファランに逃げてきた。
「俺は、故郷に戻るつもりはないよ。戻ったって、殺されるだけだもの。許されるなら、エファランにいたい」
カケルがはっきり伝えると、イヴは急に潤んだ瞳になった。
「殺されるだなんて! カケルあなた、虐められていたの?!」
「い、いや」
「故郷で酷い目にあって逃げてきたのね。それなら、エファランにいなさいよ! 私のお嫁さんになるのよ!」
「だから、お嫁さんって何???」
両手を握られて揺さぶられ、カケルは困惑する。
その様子を半眼で見つめながら、オルタナが冷静に言う。
「俺らはともかく、敵側出身だとばれたら、痛くない腹を探られるだろうな。アロールの奴の言う通り、戦功を立ててエファランの味方だとはっきりさせた方が良い」
「うん……」
イヴとオルタナに受け入れられ、ひとまず安堵する。
だが、オルタナの言う通り、立場をはっきりさせないと、疑われることになるだろう。
ネムルート補給基地の奪還は、反意が無いことを示す、良い機会だった。なんとしても成功させて、エファランに凱旋しなければならない。
07 事前準備は入念に
ネムルートに着くまでの数時間、カケル達は交代で仮眠を取った。グラスラの背中は、並みの竜が寝転がれるくらい広いのだ。
昼食代わりに携帯食の固いクッキーをかじっていると、目的地が見えてきた。
空の高い場所を飛ぶグラスラからネムルートは、遥か遠くの地上、尖った山の中腹にビー玉が埋まっているように見える。
「ネムルート補給基地……自壊虫が飛び回ってるじゃない! どういうこと?!」
イヴが魔術で、ネムルート補給基地の様子を拡大して見せる。
丸いシャボン玉の周囲を、夕焼け色の揚羽蝶の群れが飛んでいる。蝶の数が多過ぎて、まるで夕焼け雲の中に水晶球が浮かんでいるようだった。
「侵略機械と自壊虫が手を組んだのかな?!」
ホロウが青ざめて言ったので、カケルは「そんな訳ないでしょ」と突っ込んだ。
「自壊虫は、生きている人間を狙うんだよね。機械の周りを飛んだりしないって」
「じゃあ、あれは何?!」
「ただの幻影だと思うよ」
断言するカケルに、皆の視線が集まる。
「あの蝶々は、偽物だ。人間が怖がると思って、ネムルートに近付けないために、侵略機械が作っているんだよ」
「根拠は?」
「ネムルートの壁が元に戻ってる。俺が最後に見た時は、壁が破損して煙が上がってた」
言いながら、カケルは自分の言葉に確信を抱く。
目的地はもうすぐだというのに、侵略機械の邪魔はなかった。そして、ネムルート補給基地を守る、幻影の蝶。
「たぶん、戦力を出しきって余裕が無いから、ああやって壁の中に閉じこもって、時間稼ぎの蝶々を出してる」
侵略機械は、エファランの人々が考えているような、無限に涌き出る軍団ではない。種も仕掛けもある、壊れたら補充しなければならない、只の機械だ。
「グラスラさん、聞きたいことがある」
『なんだ?』
「グラスラさんは、都市の壁を壊せるんだよね? グラスラさんの吐く炎は、都市を破壊できる。だからこそ、グラスラさんはネムルート補給基地奪還作戦に必須だったんじゃないか……敵に奪われた基地を完膚なきまでに破壊するために」
カケルの指摘に、イヴとクリストファーがぎょっとした顔になり、オルタナは眉間のシワを深くする。しかし、軍人のホロウだけは、暗い表情で視線を落としている。
足元の竜の背中から、低い男の笑い声が響く。
『正解だ、坊主。お前は戦争を知っているな』
「やっぱりね。ネムルート補給基地を破壊するだけなら、グラスラさん一人でも十分なんだ」
アロールの言葉は、カケル達を試しているようで、実はそうではなかった。アロールにはアロールの思惑があり、十分に勝算のある賭けをしていたのだ。
「このまま突撃したら、グラスラさんが理由を付けてネムルートを破壊して、戦功は全部アロールさんのものになっちゃう。それじゃ、俺が困るんだよね」
カケルは口元に冷笑を浮かべる。
謀略に、奸策、詭計。それらは、闇深い一族である司書家で育ったカケルにとって、馴染み深いものだ。
「俺は、侵略機械の端末を捕獲したい。敵がどのくらい沢山いて、エファランが今どのくらい危険なのか、情報を知りたいんだ」
昔から、考えていたことだった。
今のカケルは、故郷が何をやっているか情報を手に入れる術がない。何も知らないまま襲撃に巻き込まれ、右往左往するのは、うんざりだった。
『坊主、相手が人間だったら捕まえて拷問できるだろうが、侵略機械はそうはいかないぜ。得体の知れない化け物相手に、聞き出すも何もない。だから皆、破壊しちまうんだろうが』
グラスラが指摘する声は、面白がるような響きがある。
カケルがそれに答える前に、イヴが言った。
「カケル。あなたなら、情報を引き出せるのね」
「うん」
たぶん、今この世界で、侵略機械から情報を抜き出す、あるいはそれ以上のこともできるのは、カケルだけだ。
「グラスラさん、俺たち、ネムルートに降りて、敵の侵略機械をまとめてる奴を捕獲したい。ちょっと時間をくれるかな?」
『時間制限付きなら、良いぜ。待ってやる』
それは、カケル達がもたついているようなら、ネムルートごと焼き尽くすという予告だった。
ネムルート補給基地の破壊は、グラスラがいれば簡単だ。
敵の侵略機械の拿捕は、それよりずっとハードルが高い。しかしそれでも、カケルは今回やってみたいと考えていた。敵の侵略機械は弱っている。こんな機会が次いつ訪れるか分からない。
「イヴ、オルト。二人は、グラスラさんの背中で待っていてくれるかな」
「え?!」
「……なんだと?」
「クリストファー、ホロウさん。俺と一緒に、地上に降りて頂けますか」
イヴとオルタナの二人は、カケルに同行する気満々だったらしく、仰天している。一方、指名されたクリストファーとホロウも困惑していた。
「イヴは魔術で、外から俺たちの動きを観測して欲しい。ホロウさんは、基地内部に詳しいだろうから案内として必要。クリストファーは竜の姿になって、俺とホロウさんを運ぶ役」
「……俺は何の役だ?」
オルタナが険しい表情で問いかけてくる。
「オルトは、見張りかな」
伝わるだろうか。
カケルは祈りを込めて友人を見返した。
この場に一人だけ、動きが読めない危険な男がいる。鋼の巨体を持ち、人も機械もまとめて焼き尽くせる、グラスラだ。彼を止められるとしたら、殺傷能力の高いオルタナだけだ。
カケルの視線を受けたオルタナは、何か考えているようだったが、やがて「分かった」と溜め息を吐いた。
08 星の竜の伝説
イヴが同行したいと粘ったりしたが、何とか説き伏せ、カケルは降下作戦を始めた。
作戦と言っても簡単で、グラスラが火を吹いてネムルートに穴を開け、竜になったクリストファーに乗って飛び降りるだけだ。
『穴が空いたぞ~』
クリストファーは竜に変身し、翼をたたんで後ろ向きに後退りする。グラスラの後ろから飛び降りるためだ。
「ホロウさん、反対しないんですね」
カケルは、ホロウとクリストファーがあっさりカケルの指示に従ったことに、疑問を抱いていた。
「確かに君のことはよく知らないし、敵のど真ん中に飛び込むなんて、無謀だと思うよ」
ホロウは問いに答えて言う。
「でも、ネムルートを破壊してしまうなんて……まだ、残っている人もいるかもしれないのに」
彼はカケルの目的に賛同したのではなく、ネムルート補給基地の破壊に反対だから、同行してくれるらしい。
「クリストファーは良いの?」
ふと気になり、竜の同級生クリストファーに話を振ってみる。
命懸けの危険な作戦に参加させているので、彼らがどう思っているか、知りたかった。
『細かいことは、分からん!』
「そうだよね……」
『だけど、ニーサちゃんの件は、お前との約束だからな。他の奴の言うことは聞かねえよ。それよりカケル、お前さ』
「うん?」
『生きて戻れよ。少なくとも、俺との約束を果たすまではな!』
敵だとか味方だとかに惑わされず、清々しいほど自分の目的に一直線な考え方だ。だけど、悪くない。
単純明快なクリストファーの答えに、カケルは笑った。
「それは責任重大だ」
翼を畳んだ竜は、空中に身を踊らせる。
自由落下の瞬間は、大丈夫だと分かっていても、肝が冷える。カケルはクリストファーの背中にしがみつき、思わず変身したくなる自分を抑えた。
クリストファーはすぐに翼を開き、風に乗る。
「あの枝に着陸して」
『言われなくても!』
グラスラの炎によって壁に穴が空き、ネムルート補給基地の内部が見えている。エファランと同じように白い巨木があり、竜が離着陸できそうだった。
クリストファーは、その枝めがけて、慎重に降下した。
特に侵略機械の邪魔はなく、竜はスムーズに着地する。
カケルは、ホロウと一緒に、枝に降りた。
枝から見下ろすと、戦火がくすぶる建物がいくつか並んでいる。ネムルートはエファランの縮図のような小さな村だった。竜の止まり木こそ大きいが、建物は数えるほどしかない。
「クリストファーは、ここで待っててくれるかな。ホロウさん、壁の開閉装置は、どこにありますか?」
「竜の止まり木の根元だよ」
カケルは『気を付けてなー』と言うクリストファーに手を振り、移動を開始する。
昇降機は壊れて無期限停止していたため、カケルとホロウは、竜の止まり木の枝を伝って地面に降りることになった。凹凸の少ない白い幹で足場を見つけるのは大変だった。
「うわぁっ」
「ホロウさん、大丈夫?!」
途中でホロウが落ちそうになって、カケルは慌てて彼を支えながら、最後の突起から飛び降りた。
無事に地面に降りたホロウは、へなへなと崩れ落ちる。
「死ぬかと思ったぁ……カケルくんは身軽だね」
「まあ、一応これでも竜なので」
竜になってから身体能力が上がっているため、小柄とはいえ成人男性のホロウを担いで飛び降りる事ができたのだ。
「……」
目の前には、戦火くすぶる崩壊した建物がある。
耳を澄ませても人の声や気配は無かった。
『……我の領域に踏みいる人間たちよ』
その時、抑揚の薄い子供の声が、どこからか聞こえてきた。
『星の竜の遣いたる我を恐れるならば、早々に立ち去るがいい』
カケルは竜の止まり木の振り返る。
止まり木の一番下の枝に、いつの間にか小さな竜がいた。
とても小さく両手で捕まえて握れそうな大きさだった。竜の鱗は純白で、滑らかでぬらぬら光っている。カケルはそれを見て、白餅みたいだと不謹慎にも考えた。
「星の竜?!」
ホロウが驚きの声をあげる。
しかし、カケルは首をかしげた。
「前から聞きたかったんですけど……星の竜って、何?」
「え?!」
知らないの?! という表情でホロウに見つめられ、カケルはふるふる首を横に振った。
「創世神話を知らない? 子供でも知ってるよ!」
「俺はエファラン生まれじゃないので」
「そうだった」
ホロウは呆れた顔をしていたが、カケルの言葉を聞いて納得し、説明を始めた。
「この星の始まりを知ってるかい? 何もない暗闇の中で、石がぶつかり合って団子みたいに大きくなり」
「微惑星が衝突しあって融合し、一つの惑星になったんですよね」
「?」
「続けて下さい」
たぶん子供向けの説明なのだろう、ホロウの説明に眉をしかめたカケルだったが、口を閉じて続きを促す。それにしても、この世界の初等教育はどうなってるのだろう。カケルがエファランにやってきた時は年齢が高かったので、エファランで生まれ育った子供と同じ教育は受けていない。
「石がぶつかったら火花が散るだろう。この星の始まりは、火の海だった。大地は炎に覆われて生物はいない……そこに、一頭の竜が墜ちてきた」
「!!」
「その竜の血液が火の海を鎮め、水を作った。その水から、生命は始まったんだ」
カケルは絶句した。
違う。これは自分の知っている星の始まりではない。それに神話と呼ぶには、あまりにも具体的過ぎる物語だ。
そして、辻褄が合いすぎる。
この世界に竜がいる理由が、説明できてしまうのだ。
「その最初の竜が、星の竜、ですか?」
「うん。生命の源になった星の竜は、墜落しても死んでいなかった。地面の奥深くに潜って、眠りに付いた」
「死んでない?!」
「僕らの先祖は、間違って地面を深く掘りすぎて、星の竜を起こしてしまったんだ。そして竜の怒りで、地上は再び火の海になった。今と違って、当時の人間たちは巨大な都市を築き、今では想像できないほど豊かで安全な生活を送っていたらしい。でも、星の竜の怒りを買ったことで、滅びた。エファランでは、その歴史を語り継ぐために……カケルくん?」
カケルは眉間を指で押さえた。
エファランに来てから、生活に慣れるのに精一杯で、この世界の歴史を知ろうとしなかった。それは司書家を出奔した反動のせいもあった。歴史と名の付くものに触れるのを、無意識に拒否していたのだ。
だが、世界の真実を知る手掛かりは、過去にあった。
昔、教育係のリードが言った通りだ。
未来に辿り着く手段は、いつだって過去の中にしか存在しない。
『いつまで長話をしている。星の竜の遣いである我を恐れるなら、早々に立ち去れ』
枝に止まった白竜が、警告を繰り返す。
カケルはそちらを見て、ホロウに聞いた。
「ホロウさん、白い竜は、星の竜に何か関係するんですか?」
「え?! そんな話は無かったような」
「ですよね」
溜め息を吐く。
そして、腹に力を込めて、白竜を……白竜の姿をした侵略機械を睨んだ。
「動くな。俺たちの仲間が、ここを観測してる。何かあれば、上空の竜がネムルートごと焼き尽くす」
『!!』
「白が神聖なのは、高天原の風習だよ。この世界の風習じゃない。そんな姿で、誤魔化して時間稼ぎしようとしても無駄だ」
おそらく侵略機械は、エファランの民の間で崇められている星の竜を装い、混乱させようと企んだのだ。あわよくば、神のような存在だと誤解させて、エファランを乗っ取ろうと考えていたかもしれない。
『……お前は、何者だ。何が、目的だ?』
白竜は警戒する気配をまとわせ、問いかけてくる。
それにカケルは淡々と答えた。
「俺の先祖は、星の海を渡る天人たる自分たちを神になぞらえた。故郷の神話の一つを船団の統治に取り入れ、システムに高天原という名前を付けた。それを面白がったお前たちAIは、神たる人間と自分たちを対比して地祇と名乗るようになった。お前たちの望みはただ一つ、仕えるにたる主人を見つけること」
未来に辿り着く手段は、いつも過去の中にしか存在しない。
であれば、忌避していた自分の過去、司書家の元後継者だという立場を、目一杯活用するしかない。
『……』
「前置きが長くなったね。つまり、俺に仕えないか?ってこと」
故郷の船団の情報を得るために、そして危険なこの世界で生き抜くために、カケルはこの機械を捕まえて自分のものにしたかった。
飄々とした口調で提案すると、白竜は動揺したように身を震わせる。
前置きでカケルの正体は分かっただろう。船団でも上位の権限を持つ人間だと。彼ら機械生命は、使い潰されるのであれば、より名誉な使い途を望む。
分かりやすく言えば、目の前の機械にとってカケルの誘いは、下っ端から昇進するチャンスだった。
09 その選択が正しいと、どう証明する?
グラスラの背中の上で、イヴは望遠鏡の魔術を使い、カケル達の動きを監視していた。
「何あれ……?」
声は聞こえない。が、小さな白竜と対話していることが、雰囲気で分かる。
『同じところをグルグル回ってんの、飽きてきたんだが』
ゆっくり旋回しながら、グラスラが文句を言う。
カケルと違い、グラスラは地上に降りると元通り空に上がるのが困難な竜だ。重量のある巨体なので、ある程度の高さの崖から飛び降りて風を掴まないと飛翔できない。
気軽に着地できないので、旋回し続けるしかないのだ。
『お嬢さん、本気であの少年を信じてるのかい?』
「何よ」
『ずっと聞いてたが、悪いが子供の仲良しごっこにしか見えないね』
カケルの告白は、グラスラの背中の上だったから、聞こえていても不思議ではない。
グラスラは穏やかながら冷えた声音で続けた。
『命を賭けて友達を庇うのかい? お嬢さんは、育ててくれた家族より、守ってくれる故郷の同胞より、正体不明の友達を大事にするのか』
「……」
『その選択が正しいと、本気で思っているのかな』
イヴは、必死に引き留めてきた父親の顔を思い浮かべ、歯を食いしめた。
五年前に出会いろくに話もしていないカケルと、生まれた時から面倒を見てもらっている父親、どちらを大事にすべきかは、第三者から見れば明らかだ。
「迷うな、アラクサラ」
その時、オルタナが口を開く。
「何が正しいか、他人に分かる訳がない。俺たちは、自分の人生を自分で選択するんだ。それが失敗だったとしても、他人にとやかく言われる筋合いはねえよ」
『言うねえ』
「なら、てめえは俺らに説教できるほど、お綺麗な人生を送ってきたのかよ? てめえの選択は、全部正しかったのか」
二人の会話を聞きながら、イヴは深呼吸する。
矢は放たれた。
もう後戻りせず、真っ直ぐに飛んでいくだけだ。
「グラスラさん、私達の邪魔をしないで。変な真似をしたら、魔術を背中に打ち込むわよ!」
『!!』
「私はもう、カケルと生きてくって、決めたわ。あいつに賭ける」
周り全部が敵だらけだとしても、自分だけは彼の味方でいたいと思った。
『……やれやれ。若者は眩しすぎて、見てられないぜ』
グラスラは呆れたように言う。
話の流れ次第では、グラスラは攻撃を始めるつもりだったのだろうと、イヴは思う。誰もが、生き残るために確実な、実績のある手段を選ぶ。侵略機械に占領された基地を、跡形もなく焼き尽くすのは、後の憂いを断つために正しい方法だ。今までの実績を考えると、それが一番確実なのだから。
しかし、今回イヴ達は、敵と交渉するという、今まで通ったことのない道を選んだ。
誰も選ばない道を選ぶのはリスキーで、とてつもない勇気が必要だ。それでも、新しい未来を得るには、誰も通ったことのない道を選ぶしかない。
10 一か八か
ぞわり、と嫌な気配がした。
周囲からカサコソと音がして、蝿取蜘蛛が姿を現す。何匹も、何匹も。取り囲まれたことに気付き、ホロウが「うぎゃっ」と悲鳴を上げて飛び上がった。
『お前が仕えるにたると、どう証明する?』
白竜が淡々と聞いてくる。
返事いかんでは、蝿取蜘蛛が襲い掛かってくる。
カケルは白竜から視線を外さず、周囲の状況を確認した。
こちらが上空にグラスラを待機させ、いつでもネムルートごと焼き尽くせると脅しているように、白竜の姿をした侵略機械もカケル達をいつでも殺せると見せつけているのだ。
「少なくとも、君の所有権は、書き換え可能だ」
カケルは動じた様子は見せず、飄々と答えた。
「軍団の一端末じゃなくて、君は君の個性を獲得する。切り離された一個体として、独自の進化を歩める。生きることも、死ぬことも自由だ」
『……我々が生きていると?』
「動いているものは、生き物だよ」
『……』
沈黙する白竜に向かい、カケルは歩みを進める。
上空のグラスラを警戒し、白竜は判断に迷っているようだ。
腕を伸ばし、指先を、硬直する白竜の鼻先に触れさせた。
『っ』
以前の潜入用小蜘蛛と同じように、接触によりメンテナンスモードに追い込めるが、今回それはしない。
「所有者の書き換えを」
自分の名前を、その機械に与える。
白竜がびくりと、驚いたように震えた。
『か、カケルって、あのカケル様?!』
感情がないはずの機械の音声が、裏返っている。
いきなり相手の態度が変わったので、カケルは戸惑った。
「どの俺か知らないけど……」
『司書家の最年少の魔導士ですよね?! 新しいコマンドが作れて、絡まったコードの処理がめちゃうまだって、僕らの間で評判の!』
誰のことだろう、とカケルは苦笑した。
確かに、自律思考するAI達の間で噂になっているとは聞いたことがあるけれど、何年も経ってこんなところで言われると思わなかった。
白竜は、子供のようにはしゃいでいる。
『うっわ、僕って超幸運?!』
「あ~、とりあえず、降伏するんだったら、周りの蜘蛛は引いてね。あと、ネムルートの壁は全部開けて」
『はいっ、了解しました!!!』
先ほどと態度を激変させ、白竜はパタパタ翼を上下する。
シャッターが降りるような音と共に、ネムルートを囲む半透明の壁が消えていく。蝿取蜘蛛の群れも、潮を引くように去っていった。
ただ一匹だけ残った白竜が、片方の翼を自分の手前に持ってきて、器用に一礼する。
『ご命令をどうぞ、カケル様』
どうやらカケルは、賭けに勝ったらしい。
11 帰投
侵略機械の一部無力化に成功したものの、エファランの人々にどう説明しようと、カケルは頭を悩ませた。
とりあえず、ネムルート補給基地に巣くっていた機械の群れは、撤退するよう命じた。機械工場にされていた竜の止まり木も、元に戻す予定だ。
『そりゃお前、アロールかそれ以上のお偉いさんを味方に付けるしかないんじゃねえか。もうここは危険じゃないって言われても、俺にゃあ分からねえよ。他の奴らもそうだろ』
「そうですよね~」
どうしようかと悩み相談すると、意外にもグラスラは相談に乗ってくれた。
ホロウも軍の士官だが頼りないので、頼みの綱は、この経験豊富なおじさん竜しかいない。
白竜を捕まえたカケル達は、ネムルート補給基地からエファランに引き返した。
ホロウとカケルは、クリストファーに乗って。
イヴとオルタナは、グラスラに乗ったまま。
二頭の竜は、来た道を引き返す。
「エファランに入れてもらえるかな……」
非常事態とはいえ、いろいろ無茶をやった。
無事に戻れたとしても、後始末が大変面倒だ。
しかし、今は一仕事終えた後の疲労が酷い。竜の背で、眠らずにいるだけで精一杯だ。
「うぅ、生きて戻れて良かったぁ」
数刻経ち、エファランが見えてくると、ホロウが感動して泣きむせぶ。
「大袈裟な……ってことも、ないか。帰ってきたんだ」
カケルは、シャボン玉を眺めて感慨にふける。
本当の故郷は、空の上に浮かぶ宇宙船だ。しかし、今この胸に感じているのは、郷愁と呼ぶべきものだろうか。不思議なことに、カケルはシャボン玉を見て安堵していた。
カケル達を乗せた竜は、シャボン玉上部の出入り口を潜り抜け、着地体勢に入る。
「イヴ!!!」
例によって、イヴの父親が真っ先に駆け寄ってくる。
既視感のある光景に、カケルは苦笑した。
「私がどれだけ心配したか! もう帰って来ないかもしれないと思ったんだぞ!!」
「……ごめんなさい」
父親が泣きそうな顔なので、さしものイヴも、たじたじになっている。
「カケルくん」
ぼんやり父娘の再会を見守っていると、汚れた白衣を着た一人の中年の男性が、足をもつれさせ、枝から転げ落ちそうになりながら、小走りでやってくるのが見えた。
思わず、声を掛ける。
「ソーマおじさん、足元気を付けて!」
学者業のソーマは、普段ろくに運動していない。
元から無精な男だが、カケルが出発してから風呂に入っていないのか、髪も服も乱れ放題の悲惨な有り様だ。
よろよろとカケルの前に辿り着くと、ソーマは息を切らせながら言う。
「良かった。カケルくん、外に出たら、どこかに行ってしまわないかと……カケルくんがいなくなったら、僕のご飯は」
ご飯の心配と言っているが、彼が本当に言いたいのはそういうことではないと、今のカケルには分かっている。
待っている人がいるのは、良いものだ。
それがたとえ、家事できなくて生活能力皆無の、冴えない中年男であっても、だ。
「許されるなら、家に帰ってご飯作るよ……」
枝の根元から、厳しい表情のアロールがやってくるのが見えた。
これから閉じ込められて尋問かな、とカケルは思った。もともと敵対勢力の仲間だと疑われていたところ、見張りを殴って脱出してきたのだ。イヴとオルタナはともかく、カケルは尋問の続きをさせられるだろう。
きっと何を話しても疑われると、カケルは絶望的な気分になる。
しかし。
「ふぅ……皆さん、話は明日、聞きましょう。ひとまず今日は解散
で」
アロールは表情をゆるめ、あっさりそう言いはなった。
「え。良いんですか?」
思わず、カケルは突っ込んでしまう。
ネムルート補給基地を取り返したかどうか、聞かなくて良いのだろうか。敵がすぐ攻めてくるか、気になっているだろうに。
「皆が、無事に帰って来たのだ。今日の収穫は、それだけで十分さ。そうだろう、アラクサラ」
アロールは苦笑し、イヴにくっついているイヴの父親リチャードに話を振る。
リチャードは「そうだな」と頷いた。
人間の姿に戻ったグラスラが気だるい様子で宣言する。
「疲れた頭では、まとまるものも、まとまらねえよ。解散だ、解散」
「お疲れ様でしたーーっ、僕はこれで!」
ホロウが真っ先に離脱し、すっ飛んで枝を降りていった。
それを見て、やっとカケルも肩の力が抜けた。
(※アロール視点)
エファラン防衛で負傷した士官の回収が終わると、アロール達は見張りに一部隊だけ残し、撤収した。
死人はいない訳ではない。
それでも生き残った者の方が圧倒的に多く、あの激しい防衛戦や、新種の侵略機械と戦ったことを思えば、大勝利と言えなくもない。アロール自身も五体満足で帰投でき、僥倖だと感じていた。
「なんと……エファランの内部では、そのような事が起こっていたのか」
魔術師協会会長リチャード・アラクサラから、大聖堂アヤソフィア地下の装置が敵に占拠されかけていたと聞き、想像以上に厳しい状況だったのだと知る。
外と中、同時に攻められていたのだ。
よくもまあ、両側とも、侵攻を止められたものだ。
「悪い、アラクサラ。娘さんが容疑者を連れて脱走したのだと知らず、ネムルートに送ってしまった」
知っていれば、ネムルートに行くカケル達を引き留めていただろうかと、アロールは自問する。
「はぁ……いや、娘が暴走して、こちらこそ申し訳ない」
リチャードは怒らなかった。
むしろ消沈した様子で、白髪混じりの頭を抱えて、どうしたものかと苦悩している。悩みすぎて、そのうちハゲるのではと、アロールはリチャードの毛髪の行く末を心配した。
「今からネムルートに迎えに行ったら、入れ違いになるかもしれない。帰ってくるのを、待つしかないな」
それが吉報であれ、凶報であれ、彼らを送り出したアロールは受け止める責任がある。
「ただ……ここまでの出来事を順番に並べて考えると、君の娘さんは大活躍したのかもしれない」
「……」
「大聖堂の地下で真っ先に敵を取り押さえ、エファラン防衛戦では敵の中枢を射って勝利をもたらしてくれた」
その貢献が真実なら、カケル達を捕らえて尋問に掛けるのは、的外れを通り越して恩知らずも甚だしい。
ただ、本人達不在で、真偽のほどが分からない。
アロール達は情報を集めながら、ネムルートへ旅立った若者達が帰ってくるのを待つことにした。
時間が過ぎるのが、妙に遅く感じる。
それから半日経ち、夕方になった頃、エファラン外部から伝令が入ってきた。
「東のネムルートの方角から、鎧竜と並竜が一頭ずつ近付いて来ます。グラスラと、学生のクリストファーくんだと思われます!」
それは待ちに待った知らせだった。
距離が近付けば、竜の止まり木の上から、通信の魔術で話もできる。
アロールは急いで竜の止まり木に駆け登った。
「ホロウくん、グラスラに繋いでくれないか」
遠くてもはっきり見える、鎧竜の巨体を確認しながら、友人に呼び掛ける。
「無事か、グラスラ」
『ああ。今回も死に損ねたぜ』
友人の声は、笑っているようだった。
「ネムルートは……?」
『話すと長くなるから、簡潔に結論を言う。大丈夫だ。以上終わり』
何が大丈夫なのかと、突っ込むのも馬鹿らしくて、アロールは安堵で崩れ落ちそうな気分を味わった。グラスラが敵にのっとられた基地を破壊できたかどうかも、一瞬でどうでも良くなる。謀略を巡らせたところで、結局なるようにしかならない。
一番聞きたかった答えは、聞くことができた。今日はこれ以上話を聞く必要はないと、アロールは悟った。
やっと、ゆっくり眠れそうだと思いながら、彼は着陸体勢に入った竜のもとへ、ゆっくり歩き出した。
エピローグ 新たな旅立ち
01 朝の強襲
例の白竜は、鞄に詰めて持って帰っていた。
ご命令をとせがむ白竜を机の上に放り、カケルは自室のベッドで眠りにつく。
夢も見ない深い眠りから目覚めたのは、腹の上に重量を感じたからだ。
「重い……」
「誰が重いですって?」
瞬時に目が覚めた。
ここは東区のソーマとカケルの家だ。乱雑に散らかった男二人の家の二階、この空間にそぐわないキラキラしたストロベリーブロンドの少女が、カケルの上にうずくまっている。
「○✕△ッ?!」
カケルは声にならない悲鳴を上げた。
誰だ、イヴを家に入れたのは!
この状況の唯一の救いは、イヴがきちんと外出着を着こんでいること、カケルも軽装だが肌着など着て寝ていたことだ。かろうじて、男の尊厳は保たれている。今まさに、イヴの行動いかんで、破滅に向かっているとはいえ。
「お、おはよー、イヴ……」
「遅よう、よ。もう昼前じゃない。待ちきれなくて、来ちゃったわ」
視界の端、机の上の時計は、正午に近い時間を示している。
やべ、約束の時間を過ぎてる。
関係者は全員、竜の止まり木に集合し、先日の騒動の報告をする予定だった。
しかし、イヴは焦っている様子がない。
「大丈夫よ。予定が変わって、私とカケルはアヤソフィアに呼ばれているから。私はそれを伝えに来たの」
「アヤソフィア?」
「王女様が、あなたに会いたいそうよ」
王女……エファランは一応、王制の形を取っている。
どうして、そのような偉い人が自分に会いたがっているのだろうと、カケルは首をかしげた。
「……イヴ。そろそろ降りてくれない? ついでに部屋を出て、一階で待っててくれるかな」
「別に、私の目の前で着替えても良いのに」
恐ろしい。これが古代文献にあったセクハラだろうか。
イヴは妙に浮き浮きした表情で、カケルの胸元を人差し指でつつく。何がそんなに楽しいのか。
「駄目だよ」
「どうして駄目なの?」
「それは…………」
カケルが慌てていると、階下から足音がし、バンと激しい音を立てて扉が開かれた。
あまりの勢いに、扉の立て付けが歪み、バキリと折れる。
「……殺すぞ」
扉に靴跡をくっきり付けた格好で、オルタナが冷え冷えとした声を出した。
その恫喝に怯えたカケルが「ごごご、ごめんなさーい!」と叫び、イヴが「なんで、あなたが謝るのよ!」と突っ込んで、部屋はカオスな状態になった。
02 受け継がれるもの
「あんたは呼ばれてないでしょ!」
「はっ! アラクサラ、俺は自分の行きたい場所に行く。アヤソフィアだろうが、関係ない」
何とか部屋からイヴを追い出し、着替えたカケルは、彼女と、そして乱入してきたオルタナと共に、アヤソフィアを目指していた。
道中、イヴとオルタナの口論が続く。
「二人とも、落ち着いて……」
「あなた「おまえは、黙ってろ」なさい!」
割って入ると、異口同音に却下された。
理不尽さを感じる。
三人は、北区の大聖堂を目指す。
先日、侵略機械の騒ぎで消灯されたせいか、アヤソフィアの周囲は見回りの兵士が多く、一般公開は停止しているようだった。
「出入りは関係者と、許可証を持つ方に限っています」
門番に言われ、イヴは銀色のタグを懐から取り出す。
この印籠が目に入らぬか、だ。
「私は、魔術師協会会長リチャードの娘、イヴ・アラクサラです。彼は、姫に呼ばれた客人でカケル・サーフェス」
「ああ、お話は伺っています。中へどうぞ」
門番は扉を開いて中を指し示す。
イヴはオルタナの方を向いて勝ち誇った顔をした。
許可証かアポイントメントが無いと中に入れないらしい。
オルタナはどうするのかと、カケルは恐る恐る彼を伺う。
すると、無表情の友人は、懐から銀色のタグを出すではないか。
「オルタナ・ソレルだ」
「ソレルの方ですか。お疲れ様です。中へどうぞ」
なんでぇ~~っ、とイヴが悔やしそうにする。
ソレルは警察組織の管理や、要人警護を担う一族だ。許可証を持っていても不思議ではない。
三人は、大聖堂に足を踏み入れた。
カケルは興味深く建物を観察する。
先日は暗闇の中での訪問だったので、よく建物が見えなかったが、実に巨大で壮麗な聖堂だ。特徴的な金色のタマネギ型の屋根のため、内装もところどころ金色が塗られている。壁は黒ずんでおり、歴史を感じさせた。
通路の奥には大広間がある。
天井が三階建ての屋根まで吹き抜けているせいで、この広間だけで小さな建物が入る空間の広さだ。天井近くのステンドグラスからは、幻想的な光が差し込んでいる。
数百人が入れそうな劇場型の広間で、ここで議会が開かれるというのも納得の広さだった。
大輪の花のような豪奢なシャンデリアを見上げていると、イヴが「そっちじゃないわ」と耳をつまんで引っ張る。
「いてて、なんで耳?!」
考えてみれば、こんな襲撃し放題な大広間で、お姫様が待っているはずがない。
脇の細い通路に入り、連結している別棟の廊下に移動する。
沢山並んだ扉の一つの前で、近衛兵らしき男達が複数立っており、中にいる人物の身分の高さを想像させた。
「イヴ・アラクサラです。入ります」
イヴが先導して、その部屋に入る。
奥の椅子に座っている少女がふわりと笑った。
「お疲れ様、イヴ。それに、オルタナも、来てくれたのね」
波打つ黒髪を清楚なドレスの上に流した翡翠の瞳の少女が、柔らかい表情でおっとりと喋る。
「はじめまして、カケルくん。私はリリーナ。このエファランの王女であり、イヴとオルタナの友人でもあります。どうぞよろしくね」
友人二人は、お姫様の友達だったらしい。
世間は狭いなぁとカケルが感心していると、オルタナが険しい表情で口を開いた。
「……カケルを容疑者扱いか? お前が来るということは」
「オルタナ、私自身は、彼を疑っていません。でなければ、私達の対面は牢の中だったでしょう」
どういう意味? とオルタナを横目で見る。
意図は伝わったらしく、オルタナはむっすりした顔で説明した。
「リリーナの前では、誰も嘘を付けない。こいつは嘘発見器だ」
「ちょっと、あんたリリーナ様付けしなさいよ!」
イヴが突っ込んでいる。どうやらオルタナが王女を呼び捨てにしているのが、気にかかったらしい。イヴほどではないが、カケルも困惑している。彼らは一体どういう関係なのか。
しかし、リリーナ本人は柔らかい笑みを崩さない。
「別に構わないわよ、イヴ。私が対話するというのは、その意図がまったく無い訳ではないですし」
被疑者の考えていることが分かるからこそ、この王女は重要な局面に呼び出され、証人とされるのだと言う。
「手を出していただけますか」
戸惑うカケルに、リリーナは自身も手を差し出す。
接触型の接続?
カケルは瞬時にその可能性に気付いたが、ここで抵抗すると余計に怪しいと思われるばかりだ。
観念して、片手を彼女の前に持ち上げた。
リリーナの細い指先が近づく。
二人の手が触れあった瞬間、空中に銀色の魔術文字が描き出される。
「っつ!」
カケルは条件反射で、生体情報防御を発動させていた。
しかし、リリーナの情報分析は、それより少し早かった。
バチリと音がして、空中に浮かぶ銀色の文字列が消え失せる。
そのやりとりは、ほんの数瞬だった。
「何……?」
「こんな現象、見たことないぞ」
周囲の、王女の護衛が呆然とし、イヴが不安そうにする。
一方のリリーナは動じていなかった。
「……アヤソフィア地下で樹核を見て、食い荒らされるはずの竜の止まり木が、途中で侵略機械が撤退したかのように綺麗な状態だったから、もしかしたらそうではないかと思っていました」
カケルも混乱している。
何か情報を持っていかれたり、おかしな情報を埋め込まれたりしていないか、懸念がよぎる。リリーナが敵か味方か分からないので、情報を持っていかれて大丈夫か分からないのだ。
警戒するカケルを真っ直ぐ見つめ、リリーナは続ける。
「無理に探って、失礼しました。カケルくん、私は、私達はあなたを待っていました。本当の司書家の後継者が空から降りてくるのを」
「!!」
「私が知ったのは、あなたの名前だけです、カケルくん。いえ、カケル・ユエル・ライブラ」
船団から逃亡した時に捨てたはずの名前で呼ばれ、カケルの動悸が激しくなる。その名前の意味を知っている者はエファランに存在しない……はずだった。
「あなたは一体……?」
「カケルくんには、こう説明した方が早いですね。私は、先遣隊の子孫です」
船団が起源星に到達する少し前に、一部の学者が先行して調査を行った。
竜の棲む星になっているというのも、彼ら先行部隊の調査報告から分かったことだ。
その後、先行部隊との連絡は途切れ、船団は起源星への降下着陸を無期限延期することにした。
「え? 先遣隊なら、全滅したはずじゃ。どうして連絡を取らなかったんですか?」
カケルは、目の前の王女を名乗る少女を見つめ、混乱して問いかける。
すると彼女は笑みを消し、カケルを見つめて言う。
「それでは、私も問い返しましょう。カケルくん、あなたは何故一人きりで、エファランにやって来たのですか? あなたは本来、守られてしかるべき立場でしょう」
「っつ」
「おそらく、そういうことです」
リリーナは言葉を濁したが、カケルは続きが分かった。
司書家は一枚岩ではなく、故郷の船団の中でも意見が分かれているのは、知っている。先行部隊は何かの思惑に邪魔をされ、本隊と連絡が取れないまま、現地の民と混ざってしまったのだろう。
そして、後継者であるカケルが逃げださなければならないほど、今の司書家は腐敗している。
「……まったく、話が分からないんですけど?!!」
イヴが憤慨して割って入った。
王女とカケルの会話は、背景を知らない者からすれば、意味が分からない。
もっともな意見に、リリーナはふんわりと笑む。
「では、イヴやオルタナにも分かるように説明しましょう。カケルくんにも、話さなければならないことがありますし、それにも説明が必要です」
立ち話もなんなので、と言われて、カケル達はソファーに腰掛ける。
立っているのは、リリーナの護衛だけだ。
「納得できる説明をするには、少し時をさかのぼらなければなりません。イヴ、オルタナも、この世界が星の竜を起こしたことで一度滅びたことを知っていますね?」
例のお伽噺だ。
太古の昔、姓名が誕生する前の地球に墜ちてきた一頭の竜。
竜の血液から生命が誕生したと、エファランの伝説は語る。
星の竜は傷を癒すため、星の内部で眠りについた。
そうして何千年、何万年の時が経った。人間が高度な文明を発達させた結果、地を深く掘り起こし、星の竜を目覚めさせてしまったのだ。
文明は、一度滅びた。
「その滅びる前に、人間達は空に向けて船を飛ばしていました。ごく一部の人間が難を逃れていたのです。それが、カケルくんの先祖です」
リリーナは、ズバッと簡潔に、カケルの出自を説明してくれた。
「そうですね?」
「うん」
確認されて、カケルは頷く。
イヴとオルタナの視線が横顔に突き刺さって痛いほどだ。
「星の竜の災厄で滅びの時を迎えた人間達は、その空に旅立った同胞がいたことを思いだしたのです。自分達の末期の記録を看取ってくれるとしたら、かつて別れた兄弟たる、彼らしかいないと。この星には、カケルくんの一族しか解けない記録がいくつも遺されています」
「ちょ、待って。なんで俺の一族限定?」
「本気で言っていますか? カケルくんは、カケルくんの一族、司書家は記録の守り手ではありませんか」
リリーナに指摘され、カケルは今さらながら、自分の一族の特殊性を思い知った。
歴史の守り手と宣い、あらゆるデータの管理を独占する名家。今まで汚い面ばかり見てきたせいで、怪しい家だとばかり思っていたが、誇張でも何でもなく役目を持っている一族だったとしたら。
「俺は、司書家じゃないよ……そこから逃げてきた」
「いいえ。あなたは否定しても、司書家の関係者であることは明らかです。あの機械たちを問答無用で停止できる権限を持っているのは、司書家でも限られた者だけですから」
リリーナの言葉を聞きながら、カケルは片手で顔を覆い、溜め息を吐く。
過去からは逃れられない。
世話係リードが言っていた通りだった。この星の遺跡に、司書家に向けての記録が残されているなら、それは破滅を回避する何らかの手段を含んでいる可能性が否めない。
未来に辿り着く手段は、いつだって過去の中にしか存在しないのだから。
03 謎解き
それにしても、カケルは迂闊だったと自分の行動を思い返す。
管理者権限で強引に侵略機械を止めたのは、司書家ここにありと宣言しているようなものだ。もう少し慎重になっても良かった。しかし、あの緊急事態で、隠蔽する余裕が無かったことも事実だ。
「……姫様は、俺がもし本当に司書家だったら、何をして欲しいんですか?」
気を取り直して、質問に転じる。
カケルの正体を暴いたからには、何か目的があるはずだった。
「ここエファランにも、遺物があります。カケルくんなら、封を解けるかもしれません。解けなければ、あなた自身が言う通り司書家ではないということになるでしょう」
まるで試すような提案だ。
しかし、遺物というのが何なのか、カケルは気になった。
「え~と。その遺物って一体」
「善は急げ、ですね。早速、見に行きますか」
リリーナは立ち上がり、一行に外に出るよう促した。
護衛たちに囲まれながら移動を開始する。
彼女はカケル達を連れ、中庭の泉の前に案内した。そこは建物に囲まれた小さな区画で、サークル状に積まれた石の中に、紺碧の水がこんこんと湧き出している。水は透明で澄んでいるが、泉の底はどこまでも深い青に染まっていて果てが無かった。
「深っ、底が見えないじゃない」
イヴが無遠慮に泉を覗き込んで歓声を上げる。
「勝手に近付いていいんですか……?」
「ふふ。まあ、いいんじゃないかしら。イヴですもの」
恐る恐る聞いたカケルに、リリーナはころころ笑って答える。
「それに、この泉の主は、私ではありません」
「へ?」
「カケル、泉の底から、ぶくぶく泡が……きゃっ」
泉の水面に泡が立ったかと思うと、急に中央が盛り上がった。
噴水のように水柱が上がり、イヴがずぶ濡れになる。
「この泉は、竜の止まり木の根元、嘆きの湖と繋がっているのよ。そして、湖には、ある古代種の水竜が棲んでいるの」
水柱の中から、黒銀の竜の頭がにゅっと現れる。
頭だけで泉の大半を占領しているので、本体はきっととても大きいのだろう。首が長い体格で、胴体は水底にあるのだろうと思われた。
「こちらはその、湖の主のラクス様です」
『……いきなり呼び出したかと思えば、なんだ、このガキどもは』
黒竜は不機嫌そうに喋る。
「ラクス様がお待ちになっていた、司書家……かもしれない方ですわ」
リリーナが優雅に片手を上げ、カケルを指した。
そうか。リリーナの知識は、この古代種の竜からもたらされたものだと、カケルは気付く。古代種は数千年生きているという噂がある。もし本当なら、この世界の歴史の生き証人だ。
『ふん。人間は、嘘を付く。騙す。隠す。変化する。司書家の血族なんてものが、この世に存在するか疑わしいものだ』
「あら、待っていると言ったのは、ラクス様では?」
『技術は進歩する。血族であることを示すDNAも、家名を示す生体認証も、もはや信用がおけぬ。ただ、時を経ても変わらないものがある。小僧、そなたが司書家だと言うことを、我に証明してみせよ』
ラクスという黒竜は、金眼でぎろりとカケルを睨む。
「証明って、どうやって」
黒竜は、鼻先を使って器用に水中の石を持ち上げた。
ふちは少々歪んでいるが、平らで四角い石だ。
表面には、点と線で何かの模様が刻んである。
『この石板が何を示しているものか、回答せよ』
石板を足元に置かれ、カケルは困惑した。
点と線が掘られた黒い石板は、何かの星図を表しているかのような、あるいは芸術家が無作為に彫りつけた絵のような、独特の佇まいだ。
イヴがしゃがんで石板をつつく。
「点と線に法則性があるとか? あるいは、点を結んだら何かの図像が浮かび上がるとか?」
彼女の推測は、これがパズルであるという考え方に基づくものだ。
カケルは顎に手をあてて思考する。
いや、これはパズルではない。司書家かどうかを試す試験であるなら、パズルである訳がないのだ。パズルなら誰でも解けてしまう。それでは司書家の証明にはならない。
『ぷはっ』
鞄の底から、こっそり持ってきた白竜が顔を出した。
イヴとオルタナがぎょっとする。
白竜には動かないよう言っておいたのに、我慢できなかったらしい。しかし、今はちょうど良いタイミングだった。
「モッチーくん、ちょっと手伝って」
『カケル様、そのネーミングは』
「白餅だからモッチー。何も問題ないよね」
カケルが言うと、白竜は諦めたように項垂れた。
『……何をすれば良いので?』
「ちょっと俺の補助脳の代わりをしてくれない? 俺の補助脳、ずっと壊れちゃっててさ」
補助脳とは、船団の人間が生まれた時から体に埋め込んでいる、生体コンピューターだ。機械の計算機能やデータ保存の良いとこ取りをするため、コンピューターを持ち歩くのではなく、体に埋め込んでいる。
この星に降りたって竜になった直後、カケルはイヴの言葉が分かるのに、自分からは言葉を話せなかった。その理由は、自動翻訳する補助脳が壊れていたからである。
エファランに来てから、記憶領域に溜め込んだデータが使えなくてだいぶ苦労をした。カケルは幼少の頃から、興味のあるデータを何でもそこに突っ込んでいたから、宝の山だ。もしかすると儀式に失敗したのは、無為なデータを溜め込み過ぎたからかもしれない。
とにもかくにも、白竜に補助脳の代わりをしてもらって、記憶領域からデータを取り出せれば、司書家として十全に能力を発揮できるだろう。
「記憶領域の十一番データベースに、二十世紀の地図情報が格納してあるから、片っ端から照合して」
『二十世紀に限定されるのは何故ですか?』
「この石板を作ったのは、人が宇宙に上がった時代、少なくとも二十世紀より後の人間だと仮定する。姫様の話の通り、宇宙に旅立った人間の子孫にあててのメッセージなら、星の竜の災厄より前の世界を知っている事が証明となる。ましてや、司書家なら、過去の地理データを持っていて当然だから」
そう言い放つと、リリーナと、黒竜ラクスは驚いた様子を見せた。
『……照合完了』
白竜はカケルにくっついて、記憶領域を検索してくれていた。
空中に地図のホログラムを投影して、結果を説明する。
『点は、暗黒大陸北部の国イーディプトの都市群と一致しました。線は国境と一致しています』
「うん。じゃあ、答えは明らかだ」
案外、簡単だったなと、カケルは思う。
「本当に司書家かどうか試す問題だったね。この石板は、旧世界で一番古い図書館の場所を示している。人は記録を付けて他者と情報を共有することで、野の獣から自然を支配する唯一最強の種に成り上がった。最初の頃は、木や石に文字を彫りつけていたんだ。やがて紙というものが登場し、情報はより軽量化され、整理されるようになった。図書館は、人の記録を集積する場所。かつて司書家の本拠地だった場所だ」
ちがう? と黒竜を見返す。
その場にしばしの沈黙が落ちた。
『…………本当に、本物を連れてくるとは』
黒竜はややあって呻いた。
『永年受け継がれていくものは、血でも家名でもなく、信念、為すべきこと、その想いの根幹である。過去の痕跡を明らかにし、その謎を紐解く者。お前は、まぎれもなく司書家の末裔のようだ』
カケルは苦笑する。
脱走した自分が、司書家としての使命を負うなんて皮肉でしかない。
過去の記録を受け継ぐこと。
それが司書家にいた時、後継者だったカケルに与えられた任だった。
黒竜の態度が、心なしか変化する。
今やカケルを対等以上の相手と見ているのが、その金の眼差しから伝わってきた。
『では、伝えよう。旧世界を滅ぼしてなお、いまだ稼働を続ける魔導網。その中心を見付け出して破壊して欲しい。もう誰も、竜になることがないように』
「……この世界の魔導網は、俺たちの先祖が宙に旅立つ直前に成立した理論なんですね?」
『竜の構築理論以外はな』
呪文ひとつで、何もないところから火や水が現れる。かつて魔法と呼ばれたそれを、科学技術の粋で実現しようとした者達がいた。
船団が宙に旅立った時には、理論だけで実現していなかった。
それから数千年。
宙に旅立った船団と、起源星はそれぞれ自分達の手で魔導を実現したのだろう。
船団で稼働している魔導は、限られた空間、せいぜい小さな部屋くらいの規模の中でしか使用できない。しかも、その限られた空間の魔導を実現するために、莫大な燃料と高性能な演算処理装置を必要としていた。
起源星の魔導網は、星を覆うほどの規模だ。それを動かすにたる演算処理装置と、燃料はいかほどか、想像も付かない。おそらく史上最大規模の魔導網が星の竜のお伽噺と、滅亡の理由に関連していると思われた。
「見付け出すのは努力してみますが、壊すかどうかは、分かりませんよ」
この魔法の世界を壊すには忍びないと、カケルは思う。
ただ、おそらく魔導そのものに、人類を滅亡させるリスクが潜んでいるのだろうが。
『好きにするがいい。我はもう疲れた。次に起きるのは、世界が終わる時だ』
黒竜はそう言い、水面に沈み始める。
来た時と異なり、静かな動作だった。
竜の角の先が水に浸かり、ぷくぷくと弾ける泡がすべて無くなるまで、カケル達は泉の前で見送った。
「リリーナ、ラクス様の頼み事をこなすには、他の都市に行かなければいけないんじゃない?」
イヴが妙に浮かれた声で言う。
それに、リリーナが「駄目よ」と答えた。
「友達だもの、イヴの考えていることは分かるわ。カケルくんと旅に出たいのでしょう。そんなの、イヴのお父様が許可しないわ」
「……」
「出て行くのは、簡単よ。でも、残された人の気持ちも考えて」
友人に窘められ、消沈するイヴ。
彼女を見て、カケルの心は揺れる。
一人で出て行けば、誰にも迷惑を掛けずに済む。だから、イヴやオルタナを連れていくべきではないのだ。
しかし、その一方で、一人では何も出来ないのを、カケルは自覚していた。
五年前、竜の姿で一人、荒野をさまよった事を思い出す。
あの時は生き延びることだけしか、考えていなかった。
今は違う。誰かを守りたいと願い、司書家の使命を受け入れようと思ったのは、共に進んでくれる仲間がいたからだ。
彼らを失ってしまったら、カケルは前に進む理由をも、失ってしまうだろう。
04 君が必要なんだ
「ごめんなさい。私、オルタナくんが好きなの」
「!!!」
衝撃のあまり雷鳴が友人を直撃したのを、見たような気がした。
カケルは約束どおり、クリストファーとその想い人ニーサを引き合わせ、デートを用意してやった。
喜んだクリストファーは彼女に告白したが、案の定、振られてしまったのだ。
「茶番だな」
カケルにくっついて様子を見ていたオルタナが、ぼそっと呟いた。自分に向けられた好意の方は、完全にスルーしている。
「う~ん。クリストファーは、早く行動に移し過ぎなんだよな。オルトがそっけないから、ニーサちゃんを慰めてあげて仲良くなる作戦もあったのに」
遠回りだが、目的を達成する手段もあったはずとカケルは思うが、愚直なクリストファーには無理かもしれなかった。
「はぁ。阿呆らしいほど平和だな」
腕組みしたオルタナが感想を漏らす。
カケルも同感だ。
あれから侵略機械の攻撃もなく、順調に復旧作業が進んでいる。
しかし、束の間の平穏に過ぎないことは分かっていた。
外は相変わらず、侵略戦機械が徘徊し自滅虫が飛び回る危険な世界だ。彼らがいつ大挙して押し寄せてくるか、誰にも分からない。
「……あの女を連れて行くのか」
空を見上げて考えにふけるカケルの、その思考を見透かしたようにオルタナが問う。
「うん。彼女は必要だから」
「俺は?」
「オルトも必要だよ。決まってるじゃん」
空から視線を戻して友人を見ると、眉間にシワを寄せてこちらを睨んでいる。
「イヴの件は根回ししようと思うけど、オルトは必要?」
「ふん。余計な気を回すな」
「だと思った」
誇り高いこの友人は、カケルの助けを必要としないだろう。
少しだけ高い位置にある紅眼を見返すと、オルタナはやおら手を伸ばして指先をカケルに突きつけた。
「お前は、肝心な一言が無い!」
そう指摘を受け、ようやく気付く。
当たり前のことだけど、言葉にしないと伝わらない。
カケルは素直に頼んだ。
「ごめん、オルト。俺一人だと不安だから、付いてきて欲しいんだ。助けて欲しい」
「……仕方ねえな」
仕方ないから、付き合ってやる。
視線を外してそう言うオルタナの眉間のシワは緩んでいて、この友人は分かりやすいなぁと、カケルは苦笑した。
05 一緒に飛んでくれる?
止められてもカケルに付いていってやる!
そう、考えたこともあった。
しかし、それが人生を左右する選択だと、さすがにイヴも慎重になる。彼と共にエファランを出てしまうと、いつ戻って来られるか分からないのだ。
「……付いて来い、って言ってくれたら良いのに」
カケル自身が求めてくれたら、それも決断材料になる。
だが、あのポヤポヤした昼寝大好き竜が、はたしてそこまで言ってくれるだろうか。
だいたい、カケルが出て行くタイミングも分からず、追いかけることは不可能だ。
「……」
「イヴ・アラクサラさん。エファラン国軍飛空部隊から、呼び出しです。竜の止まり木に行って下さい」
久しぶりに北区の学校に行くと、教官からそう告げられた。
先日の合同演習の聞き取り調査だろうか。
正直にすべて報告したのだが、今のところ王女リリーナの手回しもあってか、勝手に行動したことに対する処分は下っていない。
イヴは北区の駅から、路面電車に乗る。
電車は滑らかに走行し、嘆きの湖の水面を渡っていく。
この湖の底には、あの古代種の竜が眠っているのだ。
エファランは長い歴史を持つ都市だが、その繁栄を支えているのは、都市内に涌き出る豊富な水源だ。かの竜がいるおかげで水が尽きることがなく、都市内の農園にも必要な用水を配分できている。水の確保が難しく滅びた都市もあるという話なので、とてつもない僥倖である。
水面を渡り終えると、列車は竜の止まり木の前に停車した。
イヴは列車を降り、竜の止まり木の根元にある、軍の施設に向かう。
「あれ? お父さん?!」
「イヴ。どうしてここに」
受付で、父親と出くわした。
「アロールに呼ばれたのだ」
「お父さん、私も」
二人して、狐につままれたような面持ちで、応接室へ向かう。
扉をノックして入ると、アロールと、隣にカケルが立っていた。
「お待ちしていました」
「一体何用だ。娘も呼ぶとは」
向かい合ってソファーに座る。
対面側に腰かけたカケルは、得体の知れない微笑を浮かべている。
アロールが説明を始めた。
「前回の、遠征部隊派遣から数年経ちました。そろそろ新たに遠征部隊を組織しても良い頃合いです」
遠征部隊とは、約一年あまりの長期に渡りエファランの同盟都市を巡り、情報を収集する特別な飛空部隊である。
「カケルくんが立候補してくれたので、彼を中心に隊員を選定しているところなのです。イヴ・アラクサラさんは飛行準士の資格を持っている優秀な魔術師だ。できれば遠征部隊に加わって頂きたいのです」
イヴは息を呑んだ。
そうか。父親のリチャードを説得するために、カケルはアロールを引っ張り出したのだ。そして、誰にも文句を言わせないよう旅を合法化するため、遠征部隊を組織することにした。
「リチャード・アラクサラさん」
カケルが静かに口を開いた。
「必ず、イヴはエファランに帰しますので、僕に預けて頂けませんか。彼女の安全は、アロール隊長も保証してくれます」
淡々とした声音だった。
若いカケルが落ち着いた物腰で、はっきり責任の在処を口にしたので、リチャードは拳を振り上げようとしてできず、戸惑っているようだ。
アロールとリチャードは友人らしい。
そして二人とも、エファランの軍事面で多大な影響力を持つ権力者だ。
こと仕事の話も入るとなると、娘を溺愛する父親も冷静にならざるをえない。
「しかし……」
「お父さん」
イヴは、ここが攻め処だと判断し、割って入る。
「お父さんは昔、遠征部隊に加わったんだよね? それで、他の都市でお母さんと出会ったんだよね?!」
「それは……」
「私も世界を見たい。お父さんみたいに、広い視野を持って沢山の人を守れるようになりたいの」
賞賛を織り混ぜて頼むと、リチャードは弱った顔になった。
彼は逃げ道を探すように視線をさまよわせ、最後に肩を落とした。
「……分かった」
「ありがとう、お父さん」
「ただし、ちゃんと都市に着くごとに手紙を送ること。一年後には、エファランに戻ってくることが条件だ」
父親はなおも悪足掻きを付け加えたが、イヴは無視して心の中だけで快哉を叫ぶ。
許可が無くても出て行くつもりだったが、許可はあるに越したことはない。何もイヴは、したくて父親と喧嘩している訳ではないのだ。
遠征部隊に加わることが決まったので、いくつかの事項をすり合わせした後、多忙なリチャードは仕事に戻っていった。アロールも同様だ。
竜の止まり木の根元には、イヴとカケルだけが残される。
イヴは真上を見上げる。
ちょうど外に飛び立つ竜が、止まり木から気流に乗ったところだった。竜の翼が陽光を遮り、湖に影が落ちる。強風がイヴのストロベリーブロンドを巻き上げ、水面にさざ波が立った。
「……カケルは、私に声を掛けないかもしれないと思った」
あれだけ無視されていたのだ。
イヴはちらりと横目でカケルを見ると、彼も空を見上げていた。
「イヴはいつも俺に手を差し伸べてくれた。それなのに、俺が受けとるばかりなのは、不公平だろ」
彼の声は穏やかで、日溜まりの温もりを感じさせる。
「俺も、イヴと一緒にいたいんだ。一緒に飛んでくれる?」
「もちろん……!」
歓喜のあまり抱き付くと「離れろ」と低い唸り声がする。
イヴはカケルの腕に抱き付いたまま、振り返った。
「何いたのソレル」
「この女、調子に乗りやがって」
いつの間にか、そこにはオルタナが仁王立ちしている。
不機嫌そうなオルタナに、ざまあみろと舌を出してみせた。
狂暴な獣人などにカケルは渡さない。
睨み会う二人は意に介さず、カケルはふわふわした口調でマイペースに言った。
「う~ん、気持ち良い風。お昼寝に行かない?」
「寝過ぎでしょ……」
オルタナと二人、欠伸を始めたカケルを連行する。
先ほどまでキリっとした表情でイヴの父親を説得してくれたのに、つくづく残念な性格だ。だが、そこがカケルの良いところかもしれない。
掴み所がなく飄々としていて、分かりにくいけど優しく、頭も良くて立ち回りも上手い、最高の相棒。おまけに正体は、星の海からやってきた謎の一族の末裔ときた。
カケルと一緒なら、きっと胸踊る冒険の旅になると、イヴは期待を膨らませる。
君は、星と宙を翔ける竜。
私を空に連れていく、蒼い翼。
後書き
本作は、あまり流行には乗らないオリジナルSFファンタジー作品です。作者の技術や知識が足りなくて理論が甘かったりするところがありますが、恋や友情を詰め込んだハートフルな一作なので、楽しんで頂ければ幸いです。
それでは、次の作品でまたお会いしましょう。
2024年4月29日 空色蜻蛉 拝
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