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新型コロナで「システム」依存の進む世界は、”次なる3.11”に耐えられるか

新型コロナウイルスに伴う社会の変化を考えたい。

タイトルに引用した「システム」は主に哲学者ハーバーマスが提唱する「生活世界」と「システム」という対概念から引用している。(学術的な著述ではないので、学問的な正確性に重きを置かず、主観的に理解、記述している。)

私の理解では「生活世界」は家族や近隣、友人などの非形式的な領域のことを指し、「システム」は経済、政治もしくは社会規範といった合理的かつ構造的に作られていった領域のことである。

ハバーマスやそれ以降の哲学者や社会学者の指摘する問題点は、生活空間の破壊や、システムへの過剰依存である。

唐突な事例にはなるが、石原都知事による歌舞伎町の浄化プロジェクト、大型の小売店に対する規制である大店法の緩和に伴う地域商店街の没落と郊外のショッピングセンターの興隆は典型的な事例である。

特に歌舞伎町に関して言えば、一見すれば違法に近いような性風俗店や反社会勢力を排除できたという点で良いことのように思われる。しかしながらその世界で生計を立てていた人々、この街特有の文化や空気感などは破壊され、新宿の街はどこもかわり映えのしない街になっていくことは大きな損失ではないだろうか。

今世界で起こっていること

今回の新型コロナウイルスは一層生活世界を破壊し、システムへの過剰依存を進行させたということは疑いないだろう。

当たり前だが、友達や近隣の人、家族さえとも満足にコミュニケーションをとることが難しくなり、ましてや対面で会うことは難しくなった。行きつけの飲食店にはいくことができず、イベントや趣味コミュニティーに顔を出すことはできなくなった。

代わりに我々は何をしているのか。SNSにおける会ったことが無い人との関係、Amazonや楽天での買い物、コンビニやスーパーマーケットでの食糧調達、フードデリバリーや買い物代行、ZOOMを使った会議である。

すでに議論したようにこれらは何らかのシステムへの依存に他ならない。もちろん経済や資本主義システム、物流システム、通信環境を前提としたインターネットシステムなどなど。

3.11で何が起きたのか

ここで2010年代の国難である東日本大震災では何が起きたのかを思い出してみる。様々なことが起こった中で、社会学者の宮台真司氏が書籍の中で指摘していた事例に「仮設住宅における老人の孤独死」がある。

いうまでもなく東日本大震災は大規模なシステムの破壊である。食糧、水道、通信などのライフラインから、交通や企業活動など様々な領域に甚大な被害があった。こうした状況では「システム」には頼ることができないため、「生活空間」だけが頼りである。

孤独死した老人は、普段はデイサービスや地域のコミュニティーセンターに通い、スーパーで既製品を買い暮らしていた人も多いだろう。しかしこれらは全てシステムへの依存であったと言える。いざこれらが破壊された時、助けてくれたり気にしてくれたりする人すなわち生活空間の充実がなく、命を落としている。

今首都直下型地震が起きたとすると、隔離場所が物理的に激減し、感染の爆発的増加並びに経済活動の完全停止に伴い壊滅的打撃を受けるであろう。


最後に

ただの悲観論、極論になってしまった感があるが、ワーストケースとして想定はしておいても良いかもしれない。

以下の記事(有料です)で述べられているように、混沌とした情勢を整理するフレームワークが求められている中で「システム」と「生活世界」という物の見方を学び、適切な行動していきたいと自戒を込めて。


*参考書籍

私たちはどこから来て、どこへ行くのか (幻冬舎文庫)

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