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20番へ

初めて知ったのは、贔屓のクラブに移籍してきたときだ。半年前まで熱心に追いかけていた選手が背負っていた番号が埋まると聞いて、一生懸命ググッたのを覚えている。
彼はどんな選手なのか。どんなプレースタイルで、どういうキャリアを辿ってきたのか。全部調べて天を仰いだ。次はこの人を追っかけるんやろな。直感的に理解した。

わたしの推しは、いつも不思議と悲壮感がある。20番を背負った長沢駿もまた、非常に幸の薄い選手であった。
ジュニアユースからの純粋培養清水エスパルス産。あちこちのクラブに期限付き移籍を繰り返し、ガンバ大阪が5クラブ目だ。
加入前年度は連続ゴールか何かでめっちゃ調子がいいときに前十字靭帯を負傷したり、なんならJ1初ゴールはあの『Japanese Only』で無観客になった浦和戦だ。記念すべき日なのに、スタンドで喜んでくれるサポーターは誰もいなかった。
なんかもう、加入前の遍歴だけでお腹いっぱいである。外から見ていていたたまれない。そうやって色々すり減らした経験からか、移籍当時26歳という年齢からか。オラつきやギラつきがなく、非常に穏やかな雰囲気が漂っていたことを覚えている。彼は、なんとも応援したくなる選手であった。

ガンバ大阪には、『なんかよくわかんないけど2桁取っちゃうフォワード』が突然現れることがある。
過去には平井将生や佐藤晃大。大変失礼だが、J1で2桁取れるような選手じゃない。それでもゴール前で仕事をする。長沢もそういう選手であって欲しいと願っていた。
初年度、リーグ戦2得点。まぁ半年だしこんなもんか。2年目、9点。惜しい、あとちょっとだ。そして3年目、10点。キャリアハイの2桁ゴール、ついにやった!
それなのに、あの仕打ちなんだからなぁ。幸の薄さは相変わらずだ。チームの不調の責任を半ば強引にサポーターから押し付けられたトップスコアラーは、翌年の夏に突然ヴィッセル神戸に期限付き移籍。シーズンオフには完全移籍でひっそりと仙台へ行ってしまった。
別れ、急すぎるよ。わたしはまだ、あの1年を引きずっている。何も残せなかったと思って去って欲しくはなかった。どうしてホーム最終戦のセレモニー、ブーイングではなく拍手が出来なかったのだろう。チームの為に走ってくれる選手だったのに。

点で合わせるのが上手なフォワードだ。多少アバウトでもクロスが上がれば決めてくれる。ポストプレーは人並みだが、最後尾まで戻って守備をしてくれる献身性もいい。今オフに大分へ移籍して8クラブ目。さすらいのストライカー的な貫禄も生まれてきた。
そして何より人柄がいい。試合に出られなかった1年目は腐らず準備を続け、レギュラーを掴んでからも「チームのため」と言い続けた。そら藤春さんもGAMBASPIRITの同級生対談で長所すらすら羅列しますわ。好きだったんだけどなぁ、88年組。一時は5人いた最大派閥も、今は倉田と藤春しかいない。

いつかまた戻ってきてね、なんて言っていても、その可能性がほとんどないことは分かっている。色んなクラブを渡り歩く背番号20は、これからもあちこちのクラブを転々としながら自分の価値を高めていくんだろう。
ならばせめて祈りたい。今後の競技人生に幸多かれと。これから先、出会う全ての人が良い人でありますようにと。
どこのクラブでも頑張れ、長沢駿。

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