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チームを照らす石灰灯

人間は、自分の生まれ年よりも昔につくられた映画は受け付けにくいらしい。確かにそうかもしれないな、と少し思う。
実際、いくら名作と言われていたって、『カサブランカ』も『風と共に去りぬ』も見る意欲すら湧かないし。映画好きには怒られるかもしれないが、このnote、映画のことを書きたいわけじゃない。
でもチャップリンは好きだった。コミカルな歩き方とか、社会を風刺した構成とか。『モダンタイムス』なんかは序盤、頭空っぽにしてゲラゲラ笑えるから若者も見てみて欲しい。
中でも『ライムライト』が好きだった。無声映画じゃない、普通の映画。あ、声があると驚いた。そして声があって良かったと思った。
あれは言葉の劇だ。ライムライトの世界は、たくさんの名言名句に彩られている。

ここ数年、とあるサッカー選手が『ライムライト』の主人公、カルヴェロに重なって見える。
老いぼれたって意味だろうか?
そんな訳がない。年齢を重ねたとしても、そこにマイナスな感情を抱くことはなかった。もちろん酒にも溺れていない。当たり前だ。
ただ、2020年9月に決めた3年と10ヶ月振りのゴールに、これが最後の得点かもしれないと思ってしまった。34歳。終わりを意識する年齢となったのは紛れもない事実だ。
ベンチとベンチ外を行ったり来たり。スタメン出場は僅かに1。3年以上ゴールのなかった若くもないFWを、ずっと雇い続けてくれるほどプロの世界は甘くない。毎年オフシーズンは冷や冷やしてしまう。
それでもこのオフに、その選手は契約更新を勝ち取った。彼はチームになぜ必要とされて、何を求められてるんだろう。
7年振りのJ1の舞台で、徳島ヴォルティスの佐藤晃大は、どう戦うんだろう。

兎にも角にも怪我が多い。しょっちゅう筋肉系の負傷で離脱している。
ゴールを決めた次の試合には突然ベンチからも消えていたりして、ファンが何度も捜索願を出したとかなんとか(未確認)。
元々固め取りタイプのFWだから、調子のいい時期が物理的に分断されてしまうのは、難しい部分が多いんだと思う。怪我の多さは、無得点が続いた要因の一つだったはずだ。
プレースタイルもまた、無骨で不器用。ゴール前で仕事をするために奔走する選手であった。チャンスをつくるために走って走って、そのうち1本か2本決めきれたら上出来。
ガンバにいた頃は決定力とかポストプレーが収まらないとかでよく叩かれてたなと思い出す。ゴール直後に足を攣って担架で交代したのは、確か2014年の天皇杯大宮戦だっただろうか。
屈強なタフネスも、観客を魅了するテクニックも、持っているわけではなかった。でも彼は何かを持っていて、それが選手としての佐藤晃大を生き長らえさせている。
それが何なのかを考えたときに、浮かんだのがカルヴェロの姿だった。

かつてイギリス一のコメディアンと呼ばれたカルヴェロは、年老いて酒に溺れ病を背負いながらも、自殺未遂をした踊り子のテリーを元気づけようと、巧みに言葉を重ねていく。
今はサガン鳥栖で活躍している内田裕斗が徳島で結果が出せずにいた時、奮い立たせたのは佐藤だったらしい。

もう何年も前の話だが、これを読んで納得した記憶がある。
後ろを歩く者に、目の前を照らしてやれるやさしさが、結局は彼の強さなんじゃないか。
たとえ自分のことがままならなくても、身をもって、言葉を尽くして、チームに彼はすごく大きなものを残し続けたんだろう。ゴールがなくても、人望や周りからの期待を失わないぐらいには大きなものを。

徳島に復帰した年に、珍しく長いインタビュー記事が雑誌に載った。
徳島ヴォルティス初のハットトリックも、ガンバ大阪での逆転優勝を手繰り寄せた決勝ゴールも、ただの一点。そんな話をしていたと記憶している。自分の記録よりもチームという選手だから、ピッチ外の振る舞いも説得力がある。佐藤に救われた選手は、内田だけではなかったはずだ。
いつだってフォアザチーム。でも佐藤晃大は、終わった選手なんかじゃない。度重なる負傷にもめげず、ピッチの上で再び輝くために今季も戦っている。ベテラン選手の悪あがきに意味はあるのかなんて、大きなお世話だ。チャップリンだってハリウッド最後の作品で言っているではないか。
人生は願望だ。意味じゃない
J1でチームを勝たせるゴールを、ファンは待ち続けている。

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