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走れなかった八戸うみねこマラソン大会

5/20土曜日
朝6時。。
一通のメールが届き
「本日の運動会はグランド状態が悪く明日に延期する事が決まりました」
…眠い眼を擦り、何回もメールを確認する。。
となると、明日のうみねこマラソンは不参加になり子供の運動会へと自分の身を預けることになる。
しばしカーテンを開けた部屋の窓から曇った明け空を眺める。雲はゆったりと青々したキャンバスを白く塗り歩く。
「4年待ったのになぁ」
うみねこマラソン大会はコロナの影響で今年4年ぶりの大会となっていた。
うみねこマラソン大会には色々と思い出がある。
熱中症になった自己ベストタイムの年。
久しぶりに走ったリターンRUNもうみねこ。
熱中症後の次年のうみねこマラソン大会は今度は水分をとりすぎてお腹が常にたっぽんたっぽんと音をなして走った。
新聞には必ず完走者のタイムが載り、知り合いの名前を探しては大会後の余韻話に花を咲かせた。
飲み屋にいっても必ずしもうみねこマラソン大会の話は出る。それだけ地元の人は沢山走っているマラソン大会なのだ。
朝嫁さんが言う。
「エントリーしたんでしょ。お金勿体ないわね。運動会はいいから、走ってきたら?」
僕は午前中のうちに会社取引先の人に連絡をした。
「すいません。一緒に参加して完走後にはランチしようと誘っておいて行けないなんて。ほんと申し訳ありません。」
完走後に寄る店もアポをとって、車で何分かかるかも測っておいたのに。しかし、
流石に娘の運動会をすっぽかす訳にはいかない。
ビデオだって嫁は頼んでも撮らない人だ。
自分の楽しみより娘の行事なのは分かっている。
ただこの日の為に費やしてきたトレーニングは無駄になってしまった。ハーフマラソンに向けてスピード練習や峠走を結構やっていた。
これだけやったから人生初の好記録が出るんじゃないか?と心からワクワク期待していた。
今年を逃すともう過去一の好タイムは出ないだろう。
僕は今年で46歳になる。
あまり身体を追い込むことも出来なくなってきていた。

会社取引先の人を連れて行く予定だった店は古くからあるレストランで店長がマラソン走っていて新聞に載るぐらいのランナーだ。こちらはお歳が段々と60も半ばになる。それでもバリバリのランナー。
電話で「うみねこマラソン走ってからそちらに行くので何か身体にいいものを準備しておいて下さい。」
こんな大御所のランナーがいる店にうみねこマラソン走った後にいく。これが盛り上がらないことなんて絶対ないんだ。
「ちょっとカッコつけすぎたかなぁ」
こちらレストラン側もバツが悪い。断りの電話もしずらい。
取引先のランナーもきっと楽しみにしていたはず。
今回誘ったお客さんは東京から単身赴任をしてきて田舎にある大商社に転勤してきた。
東京マラソン、横浜マラソン、京都マラソン、と日本ビック大会ばかり完走してきている。
彼は言う。地方の大会って楽しいの?と。
僕はそれがとっても楽しい事を教えたかった。
地方ほど素晴らしいって。
ランナーの数は大きい大会より少ない。だから走りやすいし、個人にかける意気込みが沿道応援から直に伝わってくる。あと何より食べ物が美味しい。水が美味しい。空気が美味しいのだ。
彼は電話越しに「気にしないで」と言ってくれた。
けど来年はどうなるか分からない。
転勤族ってそんなものだ。
だから一期一会じゃないけど一緒にいれるうちに出来ることをしたかった。

日曜日。
そう運動会の日。
昨日はうみねこマラソンのことを忘れる為に久しぶりにビールを飲んだ。
しばらくレースの為にアルコールは絶っていた。
しばらくぶりのアルコールに朝起きたら頭がモヤっとしていた。
運動会の日も朝が早い。
8時には現地に着き場所をとる。
腰を落ち着かせプログラムに目をやる。
うむ、種目は三つしかない。
この3競技に今日の僕の実力を出し切ることとしよう。
ビデオ撮影という今日の仕事に。。
運動会って意外と自分の子供を探せないものだ。
服装が大体同じで帽子も皆んな一緒。
どこで自分の子を判断するかと言えば靴の色や体格ぐらいか。でも似たような子供がいて間違って違う子にビデオカメラを向けちゃったりもする。なかなか上手くいかないものだ。
ビデオカメラのズーム機能を使い子供を探し出す。
一度目を離したらやばい。なかなか探さなくなる。
知り合いのパパ友とお喋りしている暇もない。
喋ってると再度捜索願いとなるから。
徒競走
綱引き
玉入れ
音頭
毎度の運動会レシピが続く。子供達は一生懸命だ。
来て良かった。とようやく思えた。
やっぱり子供は頑張ってる姿を親に見て欲しいものだ。
そして「今日は頑張ったね」と褒められたいものだ。
その一年に一回の大舞台である運動会をさすがにサボることはあり得ないな。とその時感じとった。
風が吹き
髪は乱れ
土まみれになる。
声は出しすぎて終わるころにはかすれ
勝敗がつくと大きな溜息に肩を落とす。
子供には子供の戦いの場がある。

Run tripというアプリにジャーナルを載せるのが習慣になりその記事をみた人が言っていた。
「あなたには大事な日だったかもしれませんが
同じく子供にも大事な日だった。」
姿勢がキリッと立ち反省した。
そうだよな。僕のマラソン大会より
子供には一生忘れない出来事。
今日は子供が楽しめるように精一杯バックアップしよう。そうマラソン大会で言えばボランティアスタッフのように。
運動会を楽しく無事終えられるように僕は今日ここに来た。と。
運動会は赤組が勝ち
子供は今年で4回目の連敗続きとなった。
毎年毎年負け続きで「こんなことあるの!」とぼやいていた。そりゃそうだ。小学校に入学して4年間、運動会ではまだ一度も勝利を手にしていないものな。
それでも毎年毎年めげずに立ち向かう姿は天晴れだよ。
家へ帰ると長男は遊びに行くというからテキパキとうどんを茹で昼食の準備をした。
そこへ妻と運動会を終えた嫁が帰ってきた。
娘は腹ペコついでに今日は特別な運動会の日、回転寿司に行かせてよ。と甘えだした。
妻はいいよいいよ、と同意してやり、うどんは長男と僕のお腹の中に入り、妻と娘は回転寿司屋へと出掛けていった。
こんな運動会後の日に回転寿司屋とは、、一体何時間待たされるのだろう。きっと混んでいる。
よだれ垂れ流してずっと順番を待つ娘の姿を想像したがあれこれ口を出すのはやめて送りだした。
長男もうどんを平らげるとそそくさと出掛けていった。
午前の運動会の賑やかな騒々しさは一瞬にして空っぽになった部屋の静かさに消えていった。
誰もいなくなった部屋。。
テレビを付ける。さてこれから一人で何しよう。
洗車?
バイク乗るのもいいな。
映画?おお、今いいのやってるじゃん、あぁでも今からだと間に合わないな。
読書?うーん、こんな良い天気にそれは勿体ないか。。
スマホを弄りRun tripのアプリを開く。
皆んな走ってるなぁ。
「‥‥待てよ」
ずっとモヤモヤしていた
それは今日のうみねこマラソンを走れなかったモヤモヤ。。
時計をみる。
14:00
「今からでも走れるな。うみねこマラソン。今からでも走れる。リベンジマラソン大会。ひとりうみねこマラソン!」
速攻で着替えランパンにTシャツ。
汗後の着替えも持つ。
ドリンクは僕の特性ドリンク、アミノバリューとエネルゲンを半分ずつ混ぜたやつ。
車で10分。近い。目的地に着いた。

大会後の景色①「余った景品」
大会後の景色②「環境技術の車がゴミを集める」
大会後の景色3
大会後景色④
大会後の景色⑤
「会場のトイレだけがまだそのまま残ってる。」

早い。
大会終わって大体2時間しか経っていないのにもうこんなに片付いている。
そしてうみねこマラソン大会後の姿、これは初めてみる。とても新鮮だ。

ひとりうみねこマラソン。
スタート。
レースのようにペースを早めガチで走る。
大会と違い歩道を走る。
走り辛い。
コースはしっかりと知っている。
角を曲がる度に今日行われた大会の雰囲気を想像する。
横を走る知らないランナー
仮装して走るランナー
ワラーチで走るランナー
お年寄り、女性、歳や性別に関係なく速い人は速い。後ろから抜かれて追いつけない。

「ラジコンを走らす人。最近のラジコン面白そう。」

大会後の余韻を残しつつも
こうして走ってみると、大会と全く違う風景がある。
大会後の日曜日。
ラジコンを走らせる風景。
バイク仲間とツーリングして一休みの風景。
蕪島へ散歩
蕪島へお参り
マリエントへ遊びに行く風景
ホロンバイルで列をなす風景。おそらくソフトクリーム。
大須賀海岸でサーフィン。
白浜海岸ではバーベキュー。
大会中には見れない生の日常の風景。
これは先程行われたレースコースの通りの風景なのに数時間後には全く違う風景にすりかわっていた。
こうして走ってみると
大会中の沿道応援もいいが、僕はこっちの生の風景の方がしっくりくる。
皆んなが一時一様でそれぞれの休日を過ごす。
そして僕はその脇を走りそれらの日常をコマ送りで観察する様に走り過ぎゆく。。他人様の生命力を感じる。そしてぜぇぜぇはぁはぁと走る自分にも生命力を感じる。
そう”走る”は生命力の確認だ。

「休日の蕪島は人気がある」
「休日の蕪島。美しい光景は人がいるから美しい」
「休日の蕪島」
「でた。トルネード坂。ガチでキツい」
「ソフトクリーム目当てに並ぶ人達」
「ホロンバイル」

走っていて気がつくこと。
大会後なのに全くゴミがない。ひとつも落ちていない。
風に吹かれて大抵ゴミはあるはず。しかし、探しても見つからない。逆に大会があったから綺麗になったのか?
何千人というランナーが走ったのだ。
ゴミゼロはほんと素晴らしいではないか。八戸。
鮫灯台
大須賀海岸
うみねこライン
全てが素晴らしい眺めだった。
15:00も過ぎると海は日中の温度差からガスがかかり肌寒くなってきた。大会時の暑い気温とは真逆になる。山と海はほんとに天気が変わりやすい。ハーフも折り返しだ。と白浜で飲み物を買おうとしたら5つある自販機のほとんどが故障中。大丈夫か?と思い探すとひとつだけ機能している自販機があった。
「海が目の前なのに自販機一個だけかよー。」夏場なら飲み物争奪戦になる。注意だ。
それにしても道路が狭いっ。大会時は良いとして規制が解除された今の道路は僕が路いっぱいに寄って走っても車2台すれ違えない。車が前後ろから来た時は僕が草むらにどけるか、車どちらかが譲らないと走行を妨げてしまう。しかし、僕はどけない。ちゃんとしたレースタイムを測りたかったから。さすがにクラクションは鳴らされなかったがあからさまに嫌な顔をして僕の横を追い越す車もいた。

15:30
海は大体がガスで埋め尽くされ
あれだけ綺麗だった景色は灰色に染められ
景色も何もなくなった。
僕の吸う吐くの息づかいは車通りが多いなか排気ガスに消されていく。
車社会。走る人間なんて肩身が狭い。道路は皆んなのためにある。車の為だけじゃないのに。
ひとりでゴール。
タイム1:41:20(ハーフ)
観客ゼロ。いや近くのパチンコ屋のお客さんが通りがけに僕と目が合ったからひとり。
もう少し速いタイムを出せると思った。
これだと前参加大会どころか5年ぐらい経った今もタイムは同じぐらいだ。
「こんなにキツかったっけ、うみねこめ」
コロナ年歴を過ぎ、年月を重ね、同じく自分も年老いる。若い時のように練習すればするほど脚は速くなると今でも信じていた。しかし、今日の結果を踏まえると練習は身体の機能維持の為にしているような気がしてきた。脚は速くなるどころか一定ラインから下がらないだけ。おそらく練習不足はタイムをどんどん遅らせ、身体の機能も老化させる。もはや若い身体は知らずのうちに中年の身体へと入れ替わっていたのだ。
”速くなること、ないのかな、、”
ひとりうみねこマラソン大会を走りきり
ガスのかかった灰色の一面の海を見つめ
心にもガスがかかっていく。
悲しくなった。
ひとりマラソンが余計に寂しく悲しくさせる。
何のための練習だったんだろうなぁ。
会社までの通勤、帰宅ラン。
週末休みにゴロゴロしたいところを身体に鞭打ち走る。
子供に付き合った夕方、暗くなってから最低1時間は走り虫に刺されまくったり。
時間がないから効率よい練習を目指して大きな橋を上ったり下がったりを会社帰りに繰り返し逆に脚を痛めて2週間走れなくなったり。
10キロのウエイトジャケットを買い三浦雄一郎のように手首に1キロ、足首に3キロのウエイトを付けて速歩きしてみたり、体幹トレーニングしたり。。。

速くなりたかった。

うみねこマラソン大会は地元新聞「デーリー東北」に参加者全員の名前とタイムが載る。
結構知ってる名前がある大会だから大会後も話が盛り上がる。そして励まし合う。
そしてまた来年も走ろうね。と誓い合う。
お互いそれまで怪我なく健康でありますように。と。
うみねこマラソンは毎年参加する人同士がお互いの健康確認をする場でもあったりするのだ。
あっ、あの人今年もまた出場しているね。
あっ、あの人去年も同じぐらいの順位だった。
あっ、あの人何年か前に話したことあった。などなど。
他人の存在を意識し
自分もしっかりここに生きていることを実感する。
そして同時に年老いたことも実感する。
たかが地方のマラソン大会といえ侮れない。
僕を含め
参加者はこの大会の為に目指してくるものがある。
日々の生活を頑張る源でもある大会だ。
ハーフコースのアップダウンのように激しく上がれば下がる。そしてマリエントに降り立った後は4キロぐらいの平地になるが、うみねこラインまで走った峠が脚にダメージを与え、最後の3キロ当たりがいちばんキツい!のだ。。
何か人生論のような気がしていつもその最後の3キロを顰めっ面で走る。それも真っ直ぐな3キロではなくクネクネ曲がる。曲がるのが先を見えなくする。。
ほらっ人生のようだろっ。
そして最後の700mぐらいのストレートでラストスパート!
ゴールはハッピーエンドを向かえるが身体は疲労でガタガタだ。
でも嬉しい。最高だ。満足だ。俺は生ききった。と言える。そう。それが完走だ。人生の終焉だ。

完走するために日々練習(トレーニング)する。
人生も積み重ねがあるから完走できる。
1日1日を忍耐強く
疲れたら手を抜いて
そうして人生の完走を目指していく。

ひとりマラソン大会はこうしてしみじみと完走させてもらった。来年こそは皆んなと同じように僕も新聞に名前を入れたい。

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