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「人が好き」と「人が嫌い」の狭間で

「人間」に対して、矛盾した思いをずっと抱えている。

人が好きだ。

人が感情を発露させる姿が好きだ。
愛してやまないものに零れる笑い顔、
悲願を達成して感極まり涙にぬれる声音、
熾烈な競争の果てに掴んだ勝利に湧く群集の姿、
言葉をとおして綴られる繊細なこころの動きに、
何度だって心打たれる。

人が生み出す美しい虚構が好きだ。
小説、映画、舞台、漫画、音楽。
作者や制作集団の感性の結集たる
作品世界に慰められた夜は数知れない。

人が持つ限りない可能性が好きだ。
意志と行動次第で、どうにだってなれる。
生半可な道のりではなかったとしても、
志を胸に、はるか遠くの境地まで
到達した人を見ると、その歩みに感動してしまう。

私は人が好きで、
人とのかかわりを通して勇気づけられることも、 
慰められることも沢山ある。
そんな、好きな人たちの助けになれる、
そんな存在にもなりたいとも思う。

同時に、人が嫌いだ。
たぶん正確には、恐ろしい。

がっかりされて幻滅されたくないから、深くかかわりたくない。
期待しては分かり合えないのを痛感するから、かかわりたくない。
何気ない一言に深く傷つけられるから、不用意にかかわりたくない。

人を避けて一人でいれば、受けることのない傷ばかりだ。
どうにも一人になれないとき、すっかりくたびれて
「お願いだから放っておいてくれ」と発狂しそうになる日もある。

羅列してみて改めて思うけれど、
私が「人」を嫌うのは、自分を守ることが目的だ。
これはきっと、根深く私の中にある、認知の歪みや、自己卑下の気持ちと、無関係ではない。

信頼できる、安心して心を開いて話せる人は、わずかながらいる。
傷つかず、脅かされることなく、振舞えるというのは心から幸せに感じる。
私の世界を支えてくれる、貴重で、大切な人たちだ。
一方で、そうではない大多数の人とのコミュニケーションを忌避してしまう気持ちは、例えば大人数での飲み会や懇親の場に足が遠のいたり、職場の同僚との雑談を遠ざける行動に立ちあらわれる。

みっともなく自分を守ろうとする気持ちを、どうにか解決して、
「大多数の人」と上手に関係が築けるようになりたい。

そんな昔からの矛盾に、今改めて向き合っているのは、
私がこれから、「コーチング」を学ぼうとしているからだ。

現時点で私の考える「コーチング」は、
「相手の目標達成をサポートするために、上手に聴いたり話したりする会話の技術」だ。
良いコーチングは、その人が一人では到達できなかったかもしれないところまで、可能性を引き出せる。
そんな能力に魅力を感じた。

私も、誰かの可能性を花開かせる力になれたら。
その足掛かりを一緒に掴めたら。
そんな思いで、コーチングを学ぶことに決めた。

なのに、根源的には人が好きで、助けになりたいはずなのに、同時に人とかかわるのが恐ろしいなんて、どんな矛盾だろう。
こんな人間に、コーチなんて務まるのだろうか?
こんな人間に、力を借りたい人なんているのだろうか?

人を恐れてしまうことも、私の大事な個性の一つだと思う。
思うけれど。
私が進もうとしている、コーチングという領域の、妨げになってしまいやしないか。それが怖いのだ。

どうにか、そんなままならない自分と上手く付き合って、幸せな人生を掴めることを願って。
私は明日からも、泥臭く、あきらめ悪く、より良い道を模索する。


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