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時代の先端ヒーロー角栄旋風 (憲法日にちなんで)
田中元首相はに逮捕されたのち、8月16日に東京地検特捜部に受託収賄と外為法違反容疑で起訴され、その翌日に保釈保証金を納付し保釈された。

田中元首相に対する公判は1977年(昭和52年)1月27日に東京地方裁判所で開始され、日本国内はおろか世界各国から大きな注目を集めることになった。

その後1983年(昭和58年)10月12日には懲役4年、追徴金5億円の有罪判決が下った(5日後に保釈保証金2億円を納付し再度保釈)。
この第一審判決を受けて国会が紛糾し、衆議院解散のきっかけとなった(田中判決解散)。

この時、28歳だった私。それからほぼ40年後にドキュメントテレビ番組がNHKで作られた。(以下NHK 解説 未解決事件「File.5 ロッキード事件」参照)

当時この「実況中継」を見ていて、以前同じような感情が巻き起こったと感じだ。アメリカ「ケネディ大統領暗殺」の緊急放送だった。

それはとても旧い話しとして記憶しているが、いずれも一国政治家トップが、非日常的な事件事故に巻き込まれた(その点でいえば安倍首相も凶弾に倒れた)という前代未聞の事態に震撼して「足が震える」という比喩なんだろう。

「田中角栄」逮捕は、1976年(昭和51年)7月27日だが、勿論、その布石はあって、立花隆著月刊誌スクープ以来、事件が最高潮に達した時期を見計らって逮捕したと思われた。その時の社会の反応は、殆どが逮捕を肯定していた。

その「肯定」という見方も変だが、国の首相がアメリカ、ロッキード社から「ピーナツ」「ピーシーズ」など暗号名で金銭授受していて、それが売り込み便宜供与であり贈収賄罪だ、とメディアが一斉に書き立て、一分の狂いもなく「完全犯罪」として報じていた。(真相はそんなこととはまったく関係なく角栄政治抹殺だった。)

私にしても月刊誌「田中角栄研究」立花隆著は、隅から隅まで全部読んだ。氏の特徴で、間髪入れず息もつかせぬ文体は、読む者を飽きさせなかった。悪い表現をすれば、それですっかり洗脳されてしまった感は否定できない。

それが「肯定」であり、反対意見の斟酌余地は一寸一分もなかった。勿論、その当時は「ネット世論」なるものは存在しなくて、反論すべくその情報ネタは、どこにも転がっていなかった。

いま考えてみれば、それは大間違いで、あらゆるシークレット情報が封印されれていたと思えた。であるから、NHKテレビ番組にしたって、未解決事件「File.5 ロッキード事件」と題して、その事件が解決していないことを示唆している。(安倍氏死亡以後の諸事暴露旧統一教会、政治企業癒着など)、原稿複製コピーとまったく同じことが今でも繰り返されていた。
いまだからこそ、そうした隠された情報も知ることができるしアメリカ公文書館の時効公開開示情報も、それを助ける。

その45年前の出来事は、世間も敢えて語ることもなく時は流れた。今時、そうした政治犯罪(?)を45歳になった人たちに話しても、さほど面白いとは思わないだろう。だとすれば、45年前に28歳だった私は、その一部始終(メディア情報のみ)を知っていたという事実を誰に語るべきなんだろう。

その5年前に私は、東京渋谷に住んでいて、それはそれで東京が「学生デモ」で騒然としていた時代だった。「連合赤軍」重信房子の記事があちこちに載っていたのも、この頃で、その重信が収監罪が解かれて今年出所(2022/05/28)したことも歴史の一つだ。
その渋谷に住んでいたころ、行きつけの電気店があり、店内スペースの半分がレコード売り場だった。当時は「ビートルズ」最晩年期で、その店(皆川オーディオ)で、数枚買っていた。勿論レコード盤だった。
東京生活に見切りをつけ、田舎(千葉房総)に帰ることが決まって、その店の主人(宏)に別れの挨拶を行った帰りに、プレゼントされたのが「マイルス・デービス」So What by.Miles Davisだった。
そのころ私は「ジャズ」はまるで知らなかったし聴いてもいなかった。しかし、店主(宏)が脅迫に近い口調で、おまえだったら必ずジャズが好きになると断言した。

図らずも、その後のオーディオはジャズ一辺倒だったことは云うまでもない。その主人は、ある縁で北海道の函館に越してしまった。

その後の数年間手紙交換をはしていたが、一昨年以来、その手紙もパタリと止んだ。とすればおおよその察しはつくが、その始末は何もしていない。東京渋谷の店は弟が継いで、今ではすっかり高級マンション住まいだという。

グーグルアースで検索してみた所、その場所には「皆川オーディオビル」として明記されていた。原宿明治神宮の近くにあり、用でもあれば行ってみようと思うが東京地下鉄ルートを走ることを思っただけで足がすくむ。

それにしても、家の出所だけで厄介な年金生活者が、ジャズを聴きながらアチラにお隠れになったニュースは、今どき珍しいことではない。

NHK 解説 未解決事件「File.5 ロッキード事件」

「ロッキード問題に関する特別委員会」事件から40年「ロッキード事件」の新真実に迫る!

松重 豊(吉永祐介 東京地検特捜部主任検事 役)石橋 凌(田中角栄 前総理大臣 役) ※肩書きは当時

ノンフィクションを演じるということには、俳優として、相当の覚悟を決めなければいけません。特に今回は、本当に身の引き締まる思いでやっていました。田中角栄という存在の大きさと、それを演じられた石橋 凌さん。ふだんは仲良くさせていただいているのですが、現場では田中角栄にしか見えなくて、恐ろしくて、撮影の合間にはお話ができませんでした。すごい番組ができたという感覚があります。当時の映像と僕らの演技がシンクロして、(境目のない)シームレスに見えてくる瞬間があり、ちょっと鳥肌がたちました。これはふだんのドラマとは全く違う経験ができたなと思っています。

田中角栄元首相役をやらせてもらいました。当時、私は、バンドをやっていて、この事件が起きたあとには『政治屋は飛行機眺め 落花生の皮を剥く』という歌詞の歌を歌っていました。まさか自分が、後に田中角栄を演じるとは知らずに(笑)。
今回、田中元首相を演じるにあたって、いろんな本を読みました。人物としての魅力があり、本当にすごい人だっていうことを改めて知りました。また、この「ロッキード事件」は、知れば知るほどいろいろ深い闇があるんだなと、このドキュメンタリードラマに参加して改めて思いました。

松重豊さん、石橋 凌、両氏によるコメント(未解決事件「File.5 ロッキード事件」記事部分引用)

「ロッキード問題に関する特別委員会」に関する解説

NHKの番組は3話で総括した。

番組を見て「たしかに、そりゃそうだ」という感想だが、それ以上でも以下でもない。ということは、この問題に介して

逮捕劇のあった1976年(昭和51年)7月27日当初、日本全国、その重大スキャンダルに震撼し、一国の宰相が悪の権化(メディア血祭)と化した瞬間を映像で見た衝撃は計り知れない。
なぜなら、自民党党首田中角栄首相は、明日の日本を創世すべきタイプの人間だと、誰もが信じて疑わなかったからである。

今どきのように個人が公の場で、物申す手段が皆無な世相であり、情報は、大手メディアによって出されていた、という決定的な事実があった。
だから田中角栄がロッキード社の贈収賄を不正によって操作した、という事実?に疑いの余地はなかった。(その時点で国民はすっかりだまされていた)

今回の番組は、その経緯を明らかにした、というイギリス「BBC」なみの告発番組だった。個人的に驚いたのは、元首相の海部氏、また当時現役であった検察官「堀田力」氏、両者による証言だった。

いずれも、その深い闇部分を指摘していたが、私見をいってしまうなら、二人ともその闇ルートの入り口に立っていたポストにあり、2.3歩中に入って進んで覗けば、その尻尾程度は見えたはずの役職だった。
深い闇、とはどこまで深層なのか測り知れないが、いずれにせよ人間のしたことであり地獄の悪魔と天空の女神が戦ったわけではない。
その中で一番印象的な言葉があった。田中角栄が収監されるべき前の車の中で、両脇の検察官に対して「雑魚と一緒に収監するな」、そんな内容の心情心理として糊塗するな、そのように聞き取れた。

たしかに当時の世相と政界トップとしての自負だったら、そう考えるのが必然かもしれないがパラドックスとして、では自分はその他大勢の中の一員、という意識は、いつから消失したのか、という問いだった。
戦国歴代の武将の共通した意識は「神の化身」「神の神託」「神の遣い」と自らを鼓舞し、特別視していたが、結果的に神以外の普通の人間に討ち取られている。それは神に到達していないという認証であったろう。 

歴代の「王」は神である、という立場を貫いた。なぜなら、それに相当する天地を支配する力を神より授かり、その呪術者その化身だと信じていたからである。

よもや昭和の宰相「田中角栄」が、それだとは自他ともに認めないが、一度、経済的国家安寧という大義名分に従ったとき、その結果論は、はたして恣意的だったのか、それとも国を憂いた方便だったのか、それはいまだに判らない。

なぜそれが判らないかといったら、そもそもの「逮捕劇」動機が、「未必の故意」的な解釈が読み取れて、自民党内でも批判者多数で敵も多く、まして新聞(当時は新聞主流)見出しに「金権政治」筆頭のように書かれ、選挙に至っては金権買収選挙の親玉のように流布されていた。

では、そんな見出し記事内容が嘘か誠か、という判定は誰がしたかといったら、社会国民に、それを分析判定する術は何もなかった。(いまネット時代だからこそ、その対比として論じられる)。

斜に構えて論じれば「都合のいい記事を、ある派閥、党、メディア等に忖度して日和見する」ことは否定できないだろう。
またそれは、記事内容にも書かれている「アメリカ」の外圧としての政治的圧力と、まったく見返りのない条件を鵜呑みにされる方法論は、その戦後復興の「GHG」のやり方と、なんら変わらない。
■未必の故意(みひつのこい)とは、犯罪事実に対する確定的な認識・認容はないものの、その蓋然性を認識・認容している状態を指す法律用語です。 よりかみ砕いて言えば、「犯罪行為による被害を意図し、または確実に発生するとは考えていないが、被害が発生する可能性はあると思っていて、それでも構わないと考えている心理状態」をいいます。ウイキペディア

今でもエネルギー「石油」は世界を支配する
さてその、発端は何だったのかと問えば当たり前の話しとて「経済の米」石油であり、地下資源に頼るのが、益々必須条件となってきた。

東日本震災3.11以降の原発破壊事故の破壊力は世界を震撼させ、そのエネルギー源は、天然エコロジーにシフトしたかのように見えたが、そんな立案を一挙に破壊したのがロシアのウクライナ侵略の戦争行為だった。そのロシアに経済制裁したものの、エネルギー源をロシアに依存していたヨーロッパ先進主要国は、アメリカの制裁暴言を批判するものの、台所の火ダネがないことには、食事もできないという、「諸刃の剣」のパラドックスにはまり込んでしまった。

では、そうした地球エネルギー問題を考えたとき、世界情勢として何があったかと云えば、今でも記憶の新しいスウェーデンの環境運動家の「グレタ・トゥンベリ」がいた。

今、世界が激変した中の、地球エネルギー問題は、彼女が当初、訴えたCO2温暖化阻止のアジテーションは今でも有効なのか、という杞憂がある。
なぜなら、それと今では世界的インフラがすっかり変動してしまった中、ロシアが経済制裁を受ける中、有り余る天然ガスを切り札に、変幻自在にカードを切るというロシアに、それは対抗できるのだろうか。また一説では、「グレタ・トゥンベリ」の主張が、政治色が目立ってきた、というメディアの反応は、正しいのか、という懸念も払拭できない。

「グレタ・トゥンベリに対する世界の見方」メディアの寵児だったが

今回のCOPでもスウェーデンの環境運動家のグレタ・トゥンベリがメディアでずいぶんと報道された。例えば産経新聞の記事では以下の通り。

環境運動から共産主義に"転向"して、COPから追放されたグレタ・トゥンベリ

Daily WiLL Online HPに掲載(2021年11月27日)2021.12.02記事 キャノングローバル研究所

環境運動はもともと反核、反原発、反公害、反資本主義、といったところにルーツがあり、共産主義と密接な関係にあった。

だから、ダボス会議の常連である資本主義者がCOPに集うようになると、それに反発を強めてきたという訳だ。グレタはその集団に担がれた偶像に過ぎない。なおアメリカのリベラル映画監督マイケル・ムーアは、さらに一歩先んじていて、太陽光、風力、バイオマスなどの再エネも環境破壊だと映画「プラネット・オブ・ヒューマン」で批判していたが、グレタはじめCOP批判者が今後そこまで踏み込むのかは予断できない。けれども、ムーアもグレタも、「技術では解決できないし、経済成長が問題の根源だ」といった主張は一致している。

メディアの記事の論調は殆どどれも判で押したように「環境危機を訴えた」「大人は口先だけで行動が伴っていない」「グリーンウオッシュのPR合戦に過ぎない(注:グリーンウオッシュとは、グリーンとホワイトウオッシュを組み合わせた造語である。
ホワイトウオッシュとは白い色を塗ることで、転じてうわべだけを飾ることを言う)」「COP26は失敗だと批判」・・・という調子。しかし、今回のスピーチ、よくよく聞いていると、環境運動というより、共産主義運動なのだ。しかし、見出しでそれを分かり易く書いてあったのは、ざっとみると以下のニューズウィークの記事だけだった。 記事部分引用

そして話は逡巡して「アラビアンナイト寓話」シナリオに戻る
これからの日本の経済大国としての成長性に不可欠であり、それを由としないアメリカの手に握られる手綱にかかっている。

世界のマーケットの3分の1を占めるイスラム圏

アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターが興味深い調査結果を公表している。2100年には世界のイスラム教徒の数がキリスト教徒の数を上回るというのだ。イスラム教徒は世界最大の勢力となる。同センターによると、2010年時点で世界のキリスト教徒の数は約21億7000人。これに対して、イスラム教徒は約16億人である。それぞれ世界人口の31.4%と23.2%を占めている。

しかし、イスラム教徒が住むエリアの出生率が高いことなどから、2050年になると、イスラム教徒は27億6000人(29.7%)となり、キリスト教徒の29億2000万人(31.4%)に人数と比率で急接近、2070年には世界人口の32.3%ずつで拮抗し、2100年にはイスラム教徒が35%に達して、キリスト教徒を1ポイント上回るというのだ。

日本とイスラム社会との本格的な交流は、幕末から明治初期の頃に始まり、19世紀の末にはインド系ムスリム商人が神戸などに居住していた。以降、日本でも段階的にイスラム教徒の数は増え、現在ではモスクの数も100超となったが、主要な空港に礼拝所などが設けられている他国に比べると、日本ではまだまだイスラム教は身近な生活の中に入り込んできてはいない。いまだに遠い国々なのだ。

しかし、グローバルという点では、日本は欧米などキリスト教国に軸足を置きすぎている。人口の増加スピードはそのまま市場の拡大スピードであり、経済の成長力である。とりわけ少子高齢化が進む日本にしてみれば、イスラム諸国のマーケットを取りこぼすことは、世界のマーケットの3分の1を取りこぼしていることと同義なのだ。


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