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アメリカ洞察分析 中山俊宏教授


並大抵ではない民主党の政権奪還 意識の上では分断国家
笹川平和財団 2020.02.17「2020年:アメリカ社会の変化と大統領選挙」

 笹川平和財団(東京都港区、会長・田中伸男)の日米グループは2月7日、財団ビルの国際会議場で講演会「2020年:アメリカ社会の変化と大統領選挙」を開催。米オハイオ州立ヤングスタウン大学のポール・スラシック教授と慶應義塾大学の中山俊宏が、11月の大統領選挙へ向けた民主党の候補指名の行方や、米国社会の「地殻変動」などについて鋭い分析を披瀝しました。

 スラシック氏は、民主党のアイオワ州党員集会で、ブティジェッジ前サウスベンド市長が事前の予想に反し大きく躍進した要因の一つとして、バイデン前副大統領が穏健派の支持を集めきれず、第二の候補を探していた穏健派の一部の票がブティジェッジ氏に流れたとの投票動向を挙げました。当初、民主党では20人以上が指名争いに名乗りを上げる異例の混戦となっていましたが、多くが選挙戦から離脱し、ニューハンプシャー州予備選(2月11日投票)の結果を受けさらに3人が撤退して、候補者は8人となっています(13日現在)。大票田のカリフォルニアを含む16州などで予備選・党員集会が行われ、全代議員(3979人)の約3分の1が割り振られる3月3日(火曜日)の「スーパーチューズデー」を経て、候補者はさらに絞り込まれるとみられます。スラシックス氏はカリフォルニア州が今回、スーパーチューズデーに組み込まれたことを踏まえ、「ほとんどここで様相が決まってしまう」との見通しを示しました。
写真ポール・スラシック教授 中山俊宏教授
 しかし、予備選・党員集会の段階で、全代議員の過半数(1991人)以上を獲得する候補者が出ず、7月にウィスコンシン州ミルウォーキーで開かれる党大会に、決着がもつれ込む可能性にも言及しました。具体的には「ブローカード・コンベンション」(仲裁集会)です。これは各州における予備選・党員集会の結果に縛られることなく、自由に投票できる決選投票のことで、その過程では、自身が推す候補者の政策を採用することなどを条件に、他候補に投票するという談合的な話し合いが行われます。スラシック氏は「複数の候補が乱立し、ブローカード・コンベンションになるかもしれない。
 
 確率は言えないが、そうなる可能性の方が、ないよりも高いといえる。しかし、民主党の団結にとっては良くない」と指摘。その理由として、「密室での取引」によって支持した他候補が、敗北した場合、推した側には不満が募るとしました。民主党でブローカード・コンベンションが行われることになれば1952年以来、68年ぶりとなります。

 スラシック氏はまた、代議員とは別に党の幹部らで構成され、771人とみられる「スーパーデレゲーツ」(特別代議員)の動向にも着目。
 一例として、仮に特別代議員の多くがマイケル・ブルームバーグ前ニューヨーク市長を支持し、それによってバーニー・サンダース上院議員が指名を獲得できない場合、同氏の支持者は怒り、11月の本選挙では「党の指名候補に投票しないことになる。実際に2016年の大統領選挙では、サンダース氏の一部支持者は(特別代議員の大方の支持を得た)ヒラリー・クリントン氏には投票しなかった。
 今回もその目が残っている」と述べました。2016年の大統領選挙では、党大会で誰に投票してもいい特別代議員のほとんどがクリントン氏を支持し、同氏の指名獲得に大きく影響しました。4年前、特別代議員は1回目の投票から影響力を行使でき、その動向が党大会前からメディアに報じられたことも手伝って、サンダース氏は「不公平だ」と抗議。このため今回は、特別代議員の影響力を弱める形でルールが改正され、1回目は投票できず、1回目の投票で指名候補が決まらない場合に行われる第2回投票に限定されました。

 共和党の候補者選びは事実上、トランプ大統領に〝確定〟しています。スラシック氏は「民主党にとりトランプ大統領を打ち負かすことが至上命令だが、そうした候補者を選ぶのは大変なことだ。
 トランプ大統領は手強い相手であり、民主党がホワイトハウスを奪還するのは並大抵のことではない」と指摘しました。その根拠の一つとして、2016年の大統領選挙で、かつて鉄鋼業などで栄えたオハイオ州を含む中西部の「ラストベルト」(さびついた工業地帯)で、白人労働者階級の強固な支持を獲得。大統領就任後も、北米自由貿易協定(NAFTA)を再交渉するという公約を守り、対中国では関税を引き上げ貿易不均衡の是正に動いたことから、外国からの輸入品の流入などによって雇用が失われた、と考える白人労働者階級の支持を依然、繋ぎとめているとの認識を示しました。

大きな地殻変動 中山俊宏教授
 中山氏は、米国における保守主義とリベラルの変容について体系的に論じました。保守主義に関しては、トランプ大統領が登場する以前は①レーガン的な力で国益を追求②「小さな政府」を重視③伝統的な価値観―の3要素に依拠する「三脚保守」が、保守主義の形であり「右翼的、反動的、人種差別的なものを排除するフィルターがあった」と指摘。しかし、2008年の大統領選挙で、共和党の副大統領候補となったサラ・ペイリン氏(アラスカ州知事)が登場し、保守系草の根運動「ティーパーティー」(茶会)も旋風を起こしたことを「トランプ的なるものの予兆だった」ととらえ、「それまで言説を管理してきたフィルターが効かなくなる兆候だった」との見方を示しました。

  そしてトランプ時代に入り、それまで保守本流を担い支えてきた知識人、言論人、政治家らが①自身が保守主義者ではないと主張②共和党を離党③トランプ大統領に反旗を翻す―などの現象が生じたと指摘しました。

 そのうえで「今、出てきている新しい保守」として、「国民保守」という立場を掲げている人々がおり、彼らは米国が理念にではなく生活に依拠した国であり、抽象的な理念はもはや重要ではなく、生活を守ることが重要だと考えていると解説。「背景には、米国は変わらずにこのままでいい、という非常に強い思いがあり、『保守主義』というよりも『反動』という言葉が適しているとさえ感じる」と語りました。

 一方、民主党とリベラルの変容については、いわゆる「サンダース現象」をとらえ、「リベラル」という言葉を飛び越え「社会主義」という言葉が飛び交っているが、米国の建国の理念には他国では「社会主義」と形容される要素が散見され、歴史を紐解いても、19世紀後半の闘争的な労働運動や、1960年代から70年代前半にかけての新左翼など「社会主義的なるものというのはあった」としました。しかし、それは「マルクス唯物史観に依拠したものではなく、ソーシャル・ジャスティス(社会正義)を志向する、ある種の『社会主義』」であり、若い世代の間では今、ジェンダーや人種、貧富の格差、環境などをめぐる問題を背景に、社会正義への関心が高まり回帰現象が起こっていると説明。「我々が見ているのは右翼的なポピュリズムと、ある種の権威主義体制が結び付くことの危険性で、あるべき社会に思いをはせるときのトリガーとして、『社会主義』という言葉が重要になっているのではないか」と分析しました。

 こうした保守とリベラル双方の変化、トレンドの分析に基づき中山氏は、米国社会では「イデオロギー的な大きな地殻変動が起こりつつある。まったく異なる、あるべきアメリカの姿を思い描き対立しており、物理的な分断国家ではないが、意識のうえでは限りなく分断国家になっている」と総括しました。(シニアアドバイザー 青木伸行)

https://www.spf.org/spfnews/information/20200214.html


地方紙の存在意義について

2011-10-29 samedi  内田樹の研究室
10月29日朝日新聞の朝刊オピニオン欄に、アメリカの地方新聞の消滅とその影響についての記事が出ていた。
たいへん興味深い内容だった。
アメリカでは経営不振から地方紙がつぎつぎと消滅している。
新聞広告収入はこの5年で半減、休刊は212紙にのぼる。記者も労働条件を切り下げられ、解雇され、20年前は全米で6万人いた新聞記者が現在は4万人。
新聞記者が減ったこと、地方紙がなくなったことで何が起きたか。
地方紙をもたないエリアでは、自分の住んでいる街のできごとについての報道がなくなった。「小さな街の役所や議会、学校や地裁に記者が取材に行かなくなった」
「取材空白域」が発生したのである。
カリフォルニアの小さな街ベルでは、地元紙が1998年に休刊になり、地元のできごとを報道するメディアがなくなった。
すると、市の行政官は500万円だった年間給与を十数年かけて段階的に12倍の6400万円まで引き上げた。市議会の了承も得、ほかの公務員もお手盛りで給与を増やしていた。でも住民はそのことを知らなかった。十数年間、市議会にも市議選にも新聞記者がひとりも行かなかったからである。
「地方紙記者の初任給は年間400万円ほど。もし住民が総意でその額を調達し、記者をひとり雇っていれば、十何億円もの税金を失うことはなかった」
もうひとつの影響は地方選挙の報道がなくなったこと。
地元紙が選挙報道をしない地域では、候補者が減り、投票率が低下する。候補者の実績について、政策内容について有権者に情報が与えられないので、選択基準がない。
結果的に現職有利、新人不利の傾向となり、政治システムが停滞する。
都市部でも記者の不足は法廷取材の不備にあらわれている。
法廷取材は公判を傍聴し、裁判資料を請求し精査する記者なしには成立しないが、この手間をかけるだけの人員の余裕が新聞社にはもうない。
もちろんネットはある。けれども、ネットの情報の多くはすでに新聞やテレビが報道したニュースについてのものである。「ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界に広める力は抜群だが、坑内にもぐることはしない。新聞記者がコツコツと採掘する作業を止めたら、ニュースは埋もれたままで終わってしまう」
この全米調査は、連邦通信委員会の発令によるもので、ネット化の進行とコミュニティーの報道需要についてリサーチしたものである。
わかったことは「自治体の動きを監視し、住民に伝える仕事は自費ではできない。ニュース供給を絶やさないためには、地元に記者を置いておくことが欠かせない」ということだとインタビュイーのスティーブン・ワルドマン氏は言う。
彼はビジネスモデルとしての民間新聞はもう保たないだろうと見通した上で、それに代わるものとして住民からの寄付を財源とする「NPOとしての報道専門組織を各地で立ち上げる」ことを提唱している。
「教師や議員、警察官や消防士がどの街にも必要なように、記者も欠かせない」。
アメリカで起きた「地方紙の消滅と自治体の退嬰のあいだのリンケージ」が日本にもそのまま妥当するのかどうか、それはわからない。
アメリカにおける新聞というものの発生はわかりやすい。
開拓者たちはまず最初に街の中心に教会を建て、それから子供たちのために学校を作り、治安維持のために保安官を選び、巡回裁判所を整備し、防災のための消防隊を組織した。たぶんその次くらい(人口が1000人くらいのオーダーに達したとき)新聞ができた。全国紙から配信される記事と地元記者が足で取材した記事で紙面を構成した。それが広告媒体としての有用性を評価されて、しだいにビッグビジネスになり・・・という順番でことは運んだはずである。
その「広告媒体としての有用性」が崩れてきた以上、「縮小均衡」をめざすのであれば、もとの「小商い」に戻ればよい、と私は思う(ワルドマンさんもたぶんそう思っている)。
記者ひとり、購読者千人くらいの規模なら、今でもたぶん「小商い」は成り立つはずである。
けれども、いちど「ビッグビジネス」の味をしめたものは、二度と「小商い」に戻ろうとしない。小商いに戻るくらいなら、さらに冒険的な仕掛けをして、いっそ前のめりにつぶれる方を選ぶ。
それがビジネスマンの「業」なのだからしかたがない。
でも、新聞はもともとは金儲けのために始まった仕事ではない。
そのことを忘れてはいけない。
ワルドマンさんが言うように、発生的には「警察官や消防士」と同じカテゴリーの制度資本だった。
それが「たくさん売れると、どかんと儲かる」ということがわかったので、「警察官や消防士」とは違うカテゴリーに移籍してしまったのである。
ならば、「どかんと儲からなくなった」以上、時計の針を逆に回して、また「警察官や消防士」と同じカテゴリーに戻る、というのはごく適切な判断であると私は思う。
メディアにきわだった知性や批評性を求める人が多いが、私はそれはおかしいと思う。
警察官や消防士にきわだった身体能力や推理能力や防災能力を求めるのがおかしいのと同じである。
地域の治安や防災はもともと、その地域のフルメンバーであれば「誰でもが負担しなければならなかった、町内の仕事」であった。
誰もが均等に負担すべき仕事であったということは、「誰でもできる仕事」でなければならないということである。
組織のつくりかたが適切であれば、そこにかかわる個人の資質にでこぼこがあっても、治安や防災のような「それなしには共同体が成り立たない社会的装置」はきちんと稼働するのでなければならない。
個人にきわだった身体能力や知性がなければ治安や防災の任に堪えないように作ってあるとすれば、それは制度設計そのものが間違っているのである。
新聞記者も同じである。
それは「誰でも基本的な訓練を受け、それなりの手間さえかければできる仕事」であるべきなのだ。
新聞やテレビはこれからそういう方向にゆっくり「縮んでゆく」ことになると思う。
事業規模が縮むということは、言い換えれば、「その気になれば、誰でも始められるレベルの仕事」になるということである。
新潟県村上市には「村上新聞」という地方紙がある。
そこを訪ねてみた話が村上春樹のエッセイにあった。
三人くらいで回している地方紙である。たいへん好意的に紹介されていた。
私はこういうタイプの新聞が日本列島すみずみにまで数百数千と併存している状態が過渡的にはいちばん「まっとう」な姿ではないのかと思う。(2011-10-29 09:40)


中山 俊宏 2022年5月1日 55没

中山 俊宏は、日本の国際政治学者。国際政治学博士。慶應義塾大学総合政策学部教授、防衛省参与、青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科教授、日本国際問題研究所客員研究員などを務めた。専門は、アメリカ政治外交、アメリカ政治思想。 青山学院大学では、永井陽之助・押村高らに師事。
生年月日: 1967年2月14日
出生地: 東京都
死亡日: 2022年5月1日 55歳
ウィキペディア

「ファッションとは隠れること」 慶大・中山俊宏教授
リーダーが語る 仕事の装い 慶応義塾大学教授 中山俊宏氏(上)
#Men 's Fashion 2021.11.29 
「人からもし、おしゃれですね、なんて言われたらどう答えていいのかわからず困ってしまう。自分の装いにはある種のシステムがあり、毎朝、きょうは何を合わせようなどと楽しんだりしません。そういう意味でも私はおしゃれではない」と話す慶応義塾大学教授の中山俊宏さん(東京・大手町で)

国際政治学者、慶応義塾大学総合政策学部教授の中山俊宏さんが好むのは、「際立たない」装いだ。周囲にすっと溶け込む、ダークスーツと無地のネクタイ。ディテールやカットが個性的なテーラー仕立てのスーツを、実にさりげなく着こなす。
アンダーステートメント(控えめな表現)な装いに徹し、「ダンディー」「おしゃれ」などと言われることは嫌い――。「こだわらないことが、こだわり」と語る中山さんの服装に対する考え方の原点は、1980年代半ば、青山学院高等部時代にあった。

金髪のテーラーとの出会い スーツの高揚感に目覚める
――出演されているテレビなどでは、スーツスタイルが多いですよね。ダンディーでスタイリッシュな先生というイメージを抱いている人は多いのではないでしょうか。

「(笑って)普段はジャージーですよ」

――意外です。

「総合政策学部がある湘南藤沢キャンパス(SFC)は郊外にあり、自宅から2時間近くかけて行きますから楽なジャージーや軽装が一番です。
かばんは軽いナイロン仕様のバッグ。SFCでは、学生も都心を離れるという感覚ですから気張らない服装です。だから、今着ているこのスーツで授業をやったらコメディーになってしまいます。でも、服装で一貫して好きなのはスーツ。気分が高揚するのもスーツです」

――スリムフィットできれいなライン。オーダースーツですか。

「この10年はデザイナー、有田一成さんの『テーラー&カッター』でスーツやジャケットを作っています。昔は既製服のスーツを着ていましたが、スーツを着る高揚感みたいなものを感じることはまったくありませんでした。30代後半からメードトゥメジャー(パターンオーダー)を試すようになり、有田さんと出会いました」

「通っていたバーのマスターが、『がんこなテーラーさんがいる』と教えて下さったんです。イメージが湧かない場合は作ってくれないこともある、と聞いて面白そうだなと思いお店に飛び込んだら、イギリスで腕を磨いた金髪のテーラー、有田さんが迎えてくれました。ものづくりの発想も技術も、すごいなと。1発目は裏地がピンクの派手なスーツを作り、どんな服よりも着る楽しさと高揚感があることが分かりました。それからは有田さんにスーツを10着くらい、ジャケットやシャツも作っていただいています」
テーラー&カッターのスーツは細部に個性が光る。ベルのように広がった袖口、上着のボタンとそこから広がるラインはディナージャケットのようだ
――落ち着いたダークスーツかと思えば、袖口の形がフレアになっていたり、1つボタンがディナージャケット風になっていたりと美意識が感じられます。
「色はダークグレー。肩が立っていますし、袖口の形は(広がっている)フレア。有田さんの服はそもそもカッティングが派手なんです。それをいかに地味に着るかが私のテーマ。合わせるネクタイはソリッド(無地)がほとんどで、黒だけで10本くらい持っています。上着の着丈は長めで、タイトな方が好きです。

最近体を鍛えて筋肉がついたので、座っていると少々きつく感じることもありますが、有田さんによれば体を服に合わせるようにしないといけない。スーツは肩がなんとなく引っ張られる感じで、ギプスみたいで、姿勢がよくなりますね」

大きな地殻変動 中山俊宏教授 


ガーファの原資


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