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あれから1年半…ガラリと変わったふくなつめ

2021年8月22日のみずがめ座満月にむけて、史上最大の断捨離を遂行中に

たどり着いたこのnote。



2020年の立春以来、なんと1年半ぶりのお久しぶり更新です。


当時は、半年間の学びを終えた心理学講座で、自分との約束を宣言することとなりまして。

三日坊主の私が【100日連続投稿】を宣言したのが、このnoteの始まりでした。(当時『あぁぁぁぁー言っちゃったぁ・・・』と思ったのは、きっと気のせい)


2020年の立春を機に、不定期更新すると言いながら全く更新しておらず。←その理由はこの後!

父のエピソードに関しては尻切れトンボだし←そのうち続きを笑

よくもまぁ、人生で一番大きな決断をするタイミングで、一番苦手なアウトプット+100日チャレンジ宣言したよなー←軽く他人事


2020年の立春直後からは、新型コロナウイルスが出現。

前代未聞の緊急事態宣言で、当たり前の価値観が崩壊しちゃいました。

2020年末からは、惑星にも大変動が起きて、何やら地の時代から風の時代へと移行し始めました。

自由大好き♡風のように生きて行きたいみずがめ座の私的にはちょっとうれしいお知らせ?

これからは集団から個の時代に移り変わるそうです。


新型コロナウイルスの存在は、今までの当たり前や価値観を破壊。

新たな価値観の波に乗る人と、恐れの感情でその場に立ち止まる人との二極化が進んでいます。


そんなことになるなんてちーっとも知らなかった、2020年の立春。

このnoteに一区切りしたと同時に、私は人生をリスタートしました。

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戸籍リニューアル(いわゆる離婚)と引っ越しをしたのです。

今思うと、43歳という年齢、しかもとんでもないタイミングで決断したなと思います笑

なんですが。

あれこれ集約すると、私はこのタイミングで本来歩むべく道にたどり着く運命だったようです。

昔からあらゆる占いで言われてました。

『あなた、自由大好き人間だからお勤めよりも自分で事業やっちゃう人。社長星だし。直感で生きていく人よー』

安定・堅実を重視と仕込まれていた私は、スピリチュアル系も全否定。ずっとその占いの結果を否定して生きてきました。

実はその否定が間違いだったようです。

そりゃそうだ、否定すれば否定した現実が起こるからね。今となっては理解できる本来歩む道とは?


本来歩む道へ 軌道修正された3年間


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過去の記録を読んでもらうとわかりますが、3年半続けたホームセンターの早朝品出しバイトを2019年末に退職し、年末年始恒例のヨメ業務を免除してもらい、年末に実家に帰りました。

相方が海外ゴルフ旅行に行っていたというのもありますが、実はセラピスト活動の新しい拠点探しのためでした。

お互いの思考やベクトルの軌道修正を行う話し合いをしましたが、お互いのために別々の道を進むこととなり、私の引っ越し先が決まり次第、戸籍をリニューアルすることになっていたのです。

年末の高熱は、生まれ変わるための過去の古い細胞の毒出しの意味も。

当時の記事はこちら→https://note.com/29723/n/n60b5b15e058d


しばらく実家でのんびり作戦会議。なんなら実家の一室を使って自宅サロン・・・と思っていました。

のはずが。そうはいかない、帰って3日でここではリームーと諦めました。全くときめかないし、家主の母と意見が合わずケンカばかり。

つうかそもそも駅から遠い時点で無理でした。

それを後押しするかのように、年始には父の弟の他界により父方親族全滅という事態に・・・。

ずっと気になっていたご先祖供養。実は3人くらいの人に『お父さん方の墓参りに行けぇー』と言われていたのです。

立春前に父母方まとめてご先祖供養に行くぞ!ということで、札幌の講習会→福岡(父方)→大阪(母方)という日本縦断という流れに。

これは偶然ではなく必然としか思えませんでした。

しかも父方のお墓なんて住所がわからないのに、あるものを使ってたどり着けたキセキ。

当時の記事→https://note.com/29723/n/n7ee6a84a0f5d


そして、年末からたった半月で大好きな浦和エリアで理想の物件があっちゅーまに見つかるキセキが起こりました。

もうね、変わらざるを得ん状況に自動操縦されていったのです。


【自分の『スキ♡』でワクワクできる場所とは?】

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引っ越し先のヒントとして『自分がスキなことをしてワクワクしたい場所がいいよ』と教えられていた私。

千年ノートに浦和にある公園の噴水の写真を貼り、理想の間取りと環境を書いた効果がてきめん!なんと約半月で見事に引き寄せました、ヒャッハー!

住居用に比べて物件数が恐ろしいほど少ない住居事業用物件。しかも業種を伝えただけで下見前から大家さんNGが出ることがほとんど・・・泣

それなのに!その難関を乗り越えた物件は、ノートに書いた理想そのままの物件でした。

下見で和室に入った時に『あ、ここに呼ばれた』と思いました。和室の出窓をガラガラーと開けたら、目の前には大家さんちのお稲荷さんが。『いらっしゃい♪』とウェルカムしてくれたのです。

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実は2019年の陰極まり陽に転じる冬至の日、私は浦和の調神社にいました。

『このエリアで自宅サロンやりますので、またお世話になります』と予祝祈願。

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そのまま浦和の美容院で禊の断髪。駅前に鎮座する浦和うなこちゃんにも『またよろしくね』とご挨拶した効果もあったようです笑


この浦和界隈エリアは、私にとって第二の故郷みたいなもの。

10代の高校時代は3年間浦和駅から通学。

20代のケーキ屋勤務時代の約5年半、浦和に通勤。

30代前半は結婚と離婚を経て、3年ほど武蔵浦和に住んでいました。

2011年には様々な出来事が起こりました。それを機に、人生を見直し、環境を変えて全てリスタートするため、引っ越しと転職で西川口へ。

その後、自営業のヨメとして再婚、草加経由で足立区民に。

リスタートした34歳から9年後。

43歳になった2020年の私は、自分の生きがいをカタチにする住処探しで再びムサウラに戻ってきました。まさかこんなに縁深い場所になるとはね、だって土地勘あるし便利だし住みやすいんだものー。

とはいえ、2019年夏におきたある出来事が起こるまで、これっぽっちも武蔵浦和に戻るとは思ってなかったのです。

人生何が起こるか本当にわからない・・・半年の間に何があった?


【本当の人生の土台作りとなった3年間】


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2018年から2020年は

人生で一番波乱万丈で、

人生で一番自問自答し、

人生で一番家族と向き合い

人生で一番移動距離が長く

人生で一番自分を大切にして生きていきたい!

そう思えた3年でした。


結論から言います。

遠回りしてたっくさん泣きながらもがいた甲斐があり、やっとやっと本当の自分として人生で一番幸せな日々を送っています。

昔から縁深い自分の大好きな武蔵浦和で、理想ドンピシャの物件に出会い、スキを仕事にする喜びを日々感じながら、自分も周りも幸せにできる仕事がこなせる。

ずいぶん遠回りしましたが、お金では買えない価値観で毎日生きております。


事の発端は、2018年3月にふくなつめを開業したと同時に本格的に発症した父の認知症

これを機に、『自分らしい生き方を再構築しなさい!』というお知らせの出来事が山ほど起こりました。

2019年の父の他界と心理学との出会い。

さらっと経緯がわかる記事→https://note.com/29723/n/ncdc07de8f1ab

私の生き様がわかるアメブロ→https://ameblo.jp/kanpo-keiraku-29723/entry-12680115812.html

そして

人はいつ死ぬかわからないという2度の事故の経験でした。


【死にかけてわかった『死ぬこと以外はかすり傷』】


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ゴールド免許で下道ドライブ大好き♡なワタクシ、2018年~2019年にかけて車の接触事故を起こし、2回ほど死にかけております。

1回目は2018年の12月。疲れの蓄積による居眠り運転。

当時は往復約100キロ4時間弱の道のりを、早朝バイトを終えてから週2回ほど行ってました。

2018年8月に強制入院となった父、罪悪感を感じて介護うつとなった母のダブル介護をしてました。

兄と弟は千葉在住、仕事もあるのであてにならず。相方や義母の理解もあり、比較的融通の利く私が窓口となり、父の病院の対応と母の心療内科の付き添いをしてました。

早朝バイトを週3こなし、出張でセラピスト活動も行い、主婦業もとなると、さすがに疲労が蓄積していたようです。

国道を走行中に一瞬意識を失い、気づいたら中央分離帯に接触。すぐに軌道修正し、幸いホイールがガリガリくんになった程度、幸いケガもありませんでした。

とはいえ、やらかしたのがトラックもガンガン行き交う16号バイパス。中央分離帯がなければ対向車線に突っ込んであの世行きだったこと間違いなし・・・泣

初めての接触事故、しばらくカラダの震えが止まらず、正直あまり記憶がないんです・・・。

物理的にも立場的にも、千葉に住む兄弟よりも東京で子なしで融通の利く私がやるしかないと必死。また、昔から本音を言えず、自己犠牲で生きてきたクセが抜けず、人に甘えることが苦手。結果的に不仲の両親の対応を一人で抱え込んでました。

この事故は【あんた、一人で頑張りすぎ】という神様からのお告げだったんでしょうね。

当時、介護うつ状態だった母には事故のことは伏せました。やらかしたことを言うと母は自分のせいだと罪悪感でパルプンテ(になって余計こじれる)と思ったからです。

大事にしていた車のホイールを、ヨメにガリガリくんにされた相方には本当に申し訳ない・・・。義母にも心配をかけてしまいました。そうだった、私にも家族がいるんです。

兄と弟には事故のことを正直に話し、協力を求めました。とはいっても現実は父が他界するまでほぼほぼ私が対応。そういうお役目なんでしょうねと割り切ってました。


2回目は翌2019年の8月。これが人生の逆転となる決定打でした笑

父が他界し、3か月後ほど経った頃。早朝バイト後、出張施術に向かうために走りなれた草加市内の道を車で走行中。

ある道に入った瞬間、何かに引き寄せられるかのように、すぅーっと歩道の縁石に吸い込まれていました。

その感覚がなんとも不思議な感覚だったのです。まるで私以外の誰かがハンドル操作したような感覚。

誰も信じてくれない、けど本気と書いてマジで。

気づいたら縁石を乗り上げ、すんごい音を上げて車が斜めになり、歩道にスポッとハマった状態になっていたようです、状況を理解するまでに時間がかかりました。

幸い歩道には人もおらず、私も無傷でした。傷を負ったのはすでに2018年12月に私の手でホイールガリガリになっちまったプリウス。

聞いたことがない音が車から聞こえる…で我に返りました。


頭によぎったのは『ヤバイ、相方に殺される』でした苦笑。

えぇなんせ2度目ですから。しかも、1週間前にタイヤを新調したばかりだったのです・・・そのタイヤが2本パンクしていました。

昼休み中の相方にガクブルで連絡を取り、呆れた声で対処法を指南してもらい、近所の修理工場に運んでもらえるようにレッカー車を手配。初めて保険屋さんにも連絡し、真夏の炎天下を荷物を持って最寄りの駅まで30分ほど歩き、電車とバスを乗り継いで帰宅しました。(車の保険でタクシーを使ってOKだったけど捕まらずなくなく)

帰宅後、相方の怒りが大爆発。

大事にしていた車を2度も傷つけられたらそうもなります。事故りたくて事故ったわけではないけど、怒りもごもっとも。下手すれば歩行者を巻き込んだりしていたかもしれない事故でしたから。私もどうなっていたかわかりません。

事故の状況を説明しても理解してもらえず。自分は無傷だったため、帰路の途中に夕飯の食材を買物してきたのも火種になったようです(主婦魂を見せてしまった泣)

しかし、その時に相方から発せられたある言葉をきっかけに、私のココロの中に蓄積していた何かがパチーンとはじけました。

『生きててよかった。この事故は次に進めの合図だ』と直感したのです。

やりたいことが見つかっても、死んだら意味なし。

無傷でいられたのは、きっと父が守ってくれたんでしょうね。そして父が『自分のようになるな!』とお知らせをくれたのかもしれません。いや、もしかすると母の生霊か?笑


【軌道修正してくれたご縁に感謝】

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2018年から怒涛でした。


3月の開業と同時に父の認知症悪化。

8月の強制入院とダブル介護生活。

翌2019年

3月からの心理学講座、

母、ようやく面会解禁!と思いきや、父危篤。

4月末、令和になる直前に起きた父の他界。

四十九日明けで始まった千年ノートの札幌修行。

2回目の事故の数日前には、セラピスト活動を本格軌道させるためのセルフブランディング講座がスタート。


42歳になった自分は、課題を通して自己棚卸しまくりました。

ずっと本音を押し殺してきた過去の自分、そしてこれからの自分との間で、本気でぶつかり稽古せざるを得ない状況になったわけです。

こんな状況で現状維持できる方がどうかしてる笑

人生には必要なタイミングでお知らせがやってくるんだなと実感しました。


そのお知らせをキャッチできるか?できないか?

これだけで、人生は大きく変わるのです。


過去の私は、全く気付かずでした。

そんな私の人生を軌道修正してくれたのが、38歳の時に起きた東洋医学との出会い。もっと言えば、こんな破天荒な私をヨメにしてくれた元相方のおかげだと思っています。

彼と再婚し、足立区に引っ越しがなければ、竹ノ塚駅前のイベントで東洋医学と経絡師匠に出会うこともなかったんだろうなと。

初婚に引き続き、跡取り長男だった相方さん。子供のプレッシャーで悩み、辛い時期もありました。自分を責め続け、相方とケンカばかりで精神的に落ち込んでいた時に、東洋医学と出会いました。根本改善でアレルギーが緩和した経験から猛勉強し、仕事として志しました。

彼と同じ自営業(柔道整復師)として共栄共存できればと思ってましたが、少しずつベクトルにずれが生じるようになり、色んな思いが交錯し、最終的にはお互いの幸せのために別々の道を選択をすることに。

諦めと失望と憎しみの離婚ではなく、明るい未来の自分のための選択でした。

元相方にとっても区切りのタイミングだったようです、長年抱えていたしがらみから解放されたからなのか、離婚後のLINEのやりとりが激変。そして彼も毒出しが必要だったのでしょう、健康が取りえだったのに初の入院(コロナではなく)を経験したようです。

お互いに本当の人生を送るために必要な気づきの存在として出会い、お役目を果たしたんだろうなと思っています。

私は自己否定や子供への執着を手放し、ココロとカラダとマインドを整える施術と中医学メソッドを使った体質改善を通じて、育児や仕事にと毎日頑張る女性をサポートする立場にマインドセットしました。

私のさいたま愛や自愛心が芽生え、東京のエネルギーではなくなった、そんな感覚でした。

駅が複雑で乗り換えが苦手だった北千住駅、東武線・東京メトロ・つくばEXより、やっぱJRがスキかも♡みたいな笑


【ココロとカラダはつながっている】

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東洋医学と出会い、ココロとカラダの学びを深めているうちに『ココロが病気を作る』ということを知りました。


私は高卒で就職し、19歳になった直後に職場異動になったとたん、アトピーが大爆発。そこから暗黒時代となる長い年月をずっと自己否定をし続けていました。ダメだからアトピーになるんだ、もっと頑張らないと→いくら頑張っても治らない、認めてもらえない→頑張りすぎないでと言われて自己否定されている(という思い込み)で、バランスが取れなくなることもしばしば。

そりゃそうだ、自分自身が自分を認めてないのに、そんな私を他人に認めてほしいってどんだけわがままだよ!って話しなんです。


生まれ持った性質もあり、自分らしくいたい楽しい私と冷静沈着でいたい真逆の私がいつも拮抗している状態が続きやすかった当時のワタシ。首喉や気管支系のトラブル、食物アレルギーや花粉症などの症状してカラダからサインが出ていたんだろうな。(言いたいことを言えていない、排毒がうまくできていないというカラダからのサイン)

今ではよく耳にするHSP体質(ハイリー・センシティブ・パーソン:人より繊細な特性)の気質だと思うので、むしろお知らせをキャッチするアンテナが過剰に反応しすぎて常に故障していたんでしょうね。

なんだか生きづらい人生でした、周りのせいにしてましたが、結局は自分で生きづらくしていたんですけどね。

自分の特性と体質を知り、悪化する理由がわかったら、とても生きやすくなったのです。

逆らう必要ななく、流れに身を委ねてどんぶらこーすればいいのです!


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私は父が自ら認知症の道を選んだのでは?と思っています。

昔からお酒飲んでは記憶をなくし、大声あげるというお酒のトラブルが多く、家族と不仲でした。アルコールと硬膜下血腫による脳の萎縮という物理的な要素もありますが、根っこには『仕事を失ったら自分には何も残らない』という(勝手な思い込みの)恐れから、発症したと思っています。

仕事に対しては責任感が強く、クソがつくほど真面目な人でした。複雑な家庭環境で育っていたそうなので、愛情不足だった寂しさもあったんだろうな・・・。認めてもらいたくて勉強頑張って高学歴でプライドが高かったんだったんだろうなと。他人依存する他人の評価ありきの他人軸ではなく、自分がどうなりたいか?の自分軸を持っていればこうならなかったんだろうなと。

大声をあげて威嚇する、モノに当たる時って『わかってほしい』のサイン。目の前でその現象が起きている時って、自分がその現実を引き寄せているのです。夫婦は鏡といいます、きっと父や相方が大声あげてた時、母や私がそのオーラを放ってたんだなーとのちのちわかりました。逆もしかり。

アトピーがひどかった頃、母からは常に『あんたがだらしないから』という言葉が定番で、さらに自己否定が進みました。当時の私にスルースキルがあればもう少しまともだったのかも?スルースキルがなく、いつもまともに出っとボールを受けて、ココロとカラダはパッツパツのガッチガチでした。

そういえば、私も母も、自分にも他人にも厳しい性質、受け継いでしまったかしら?

冷静に対応できればよかったけど、当時はそれがわからず、いつも恐怖で萎縮して自分の意見を押し殺していたわけです。負のスパイラルってやつですね。


心理学の講座でこんな話しを聞きました。

私たちはサインを気づかないまま生きていると、過去の出来事を子孫や来世に受け継がせながら生きていくことになる』と。

あれ?これって両親と同じループにはまりかけてたんじゃないの、わたし?💦

ココロとカラダの気づきのサインを学ぶ道を選んだ私は、きっと家族や世の中のお悩みを抱えた皆様の負の連鎖のストッパーなんだろうな、それが今世のお役目なのかなと思いました。

自由に動けるようにと子を授からなかったのかな?と思ったら長年の悔やみがすぅーっと浄化されていったのです。

ということがわかったのはすでに40を過ぎた頃。

19歳からコンプレックスを抱えはじめ、20年近く遠回りしていました。

しかし、今となってはその遠回り人生が私のオンリーワンの経験となり、仕事に活かせているって、とてもとても幸せなことなんです。


【遠回りした分、痛みが強味となり、飛躍できる】


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コップに水が半分入っている状態を見て、あなたはどちらを想像しますか?

『もう半分しかない』

『まだ半分もある』


捉え方ひとつで感情が大きく変わります。


過去の私は

『遠回りして損した、もっと早く知りたかった』と捉えていたでしょう。

今は

『遠回りしたけど、オンリーワン経験でより理解が深まり、同じ思いをしている人に寄り添うスキルが身に着いた』と捉える自分になれました。


振り子の原理と一緒です。

大きい揺れであるほど、反対側にも大きく振れます。

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大変な思いをして遠回りした分だけ、遠くに飛べるんです。

自分で自分を否定なんてしなくていいんです。

過去を振り返っても、今が幸せと思える人生を送ればいいんです。

もっと自分で自分を認められる人になれたら、どんな辛かった過去だって、プラスに変換できるし、未来だって大きく変わるのです。

過ぎ去った過去よりも、どんな未来を描きたい?にフォーカスすれば、未来も今も過去もぜーんぶハッピーになれちゃうのです。

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2020年春、リニューアルオープンした数日後に緊急事態宣言となり、自粛となったふくなつめ。

収入源がなくなったワタシ。焦らないと言ったらウソになる。これが自営業の宿命。多店舗の品出しバイトの経験者として駅前のホームセンターでバイトしようかしらと思ったら、閉店とか言うしー笑

こりゃもっと土台作りしなさいのお知らせだわーと、バイトをせず貯金を切り崩し、HPやオンラインコンテンツをコツコツ作ってました。

しなくてよかったアルバイト、また同じ道を歩むところだったわよ。


ホットペッパービューティーにもえいやーで掲載をスタートして、少しずつ武蔵浦和でも認知度が広がりました。

私と同じように思考のクセやカラダの体質で苦しんでいる女性がたくさんご来店されるようになり、6月は稼働日全て予約をいただくまでになりました。


ふくなつめさんが武蔵浦和に来てくれて、本当によかった

お客様に何回かこんな嬉しい言われたことがありました。

私も大好きな武蔵浦和で、自分もあなたも一緒に癒せるお志事ができて、本当に嬉しいです、その言葉だけでご飯3杯イケる泣


そんな女性をココロとカラダとマインドを支えるお志事ができて、本当に幸せです。

自分も癒してみんなも癒して、私も周りもみんなハッピーになったら世界平和も夢じゃないー。


今後はココロとカラダとマインドを整えるコンテンツをオンラインでも配信していきます(ただいま準備中)


過剰な恐れの感情は、免疫力を低下させます。

ココロとカラダの免疫力、ダイジ、ゼッタイ!!


史上最大の断捨離をガンガン進めていたら、空いたスペースにこんなワードが降ってきました。

今日は一粒万倍日。いいことあるに決まってる♪

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先日行ってきた三峰神社のタケル(日本武尊)と2ショット♡


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氣血水めぐらせサロン 

ふくなつめ


ゆるふわ脱力美人へ導く健幸セラピスト

ゆるふわ開運体質ナビゲーター

ホソイ ミサオ

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本当の自分と笑顔を引き出す【ココカラゆるまセラピスト】東洋メソッドと心理脳科学を使って、ココロとカラダのバランスを整えるお手伝い。自分との約束を通じて、自然治癒力を高めるつぶやきをゆるーく発信しています。