『断髪の掟』

 私の名前は霧島希美、大学4年生。時は就職超氷河期。もう何十社受けただろう。就職浪人もちらついてきた3月、ようやく内定が出た。

 ダメ元で何も飾らずに受けたのが、意外と人事に良い印象を与えたらしい。やっと私も社会人の仲間入りだ。
 
 そこはまだ出来て10年の会社だったが急成長を遂げていた。創業者である社長を中心にしていた。

 勤務時間はまちまちだったが、待遇と福利厚生は申し分なかった。むしろ給与は普通の会社よりも良いぐらいだった。それに実績を上げるとその都度臨時ボーナスが支給された。こんないい会社に就職出来て本当に良かったと、あの日までは喜んでいた。

 この会社には厳しい掟が存在しているのを知ったのは、就職してから半年が経ったある日だった。その日は夕方会議室に呼ばれた。ほとんどの社員が揃っている中、男女1人ずつが椅子に座り、美容院で使うケープがかけられていた。

 何が始まるのだろうと思っていると、課長は話し始めた。
「この2人は営業成績がダントツに悪い。そればかりか、こともあろうに夜に休憩室でいかがわしい行為に及んでいたことが発覚した。今からこの会社の懲罰規定に則って、断髪式を執り行う。」
 
 断髪式…?そんなルールがあったのは知らなかった。
「まずはお前からだ。」
 そう言って男性社員の前に立ち、課長はバリカンを構えた。バリカン!?まさか…すると次の瞬間、唸りを上げたバリカンは彼の前髪を刈り取った。

 彼は唇を噛みしめて堪えている。次々にバリカンで刈られていき、5分足らずで青々とした丸刈りになった。

 初めて人が坊主にされるところを見た。厳しい…いくら懲罰とは言え、坊主にすることはないんじゃないか。これじゃあ運動部と同じだ。

 次に課長は青ざめている女性社員の後ろに立った。彼女、どれぐらい切られちゃうんだろう…まさか坊主はないよね…そう思っていると、ポニーテールをむんずと掴み、ハサミをザクザクと入れ始めた。

 目を丸くする彼女。あんなところで切ったらすごく短くなっちゃうよ…。その後もどんどんハサミで切っていく。早く終わりにしてあげて…そう願っていると、課長はハサミを置いた。

 無残に切られたポニーテールを床に投げ捨てる。これで終わりかとホッとしたのもつかの間、課長は先ほど彼を坊主にしたバリカンを手にした。まさか坊主にするわけじゃ…と思ったら、前髪にバリカンを入れ始めた。
「イヤーッ!!」
 会議室に彼女の絶叫が響き渡る。それに構うことなく課長は頭を抑えてバリカンを進める。バリバリと勢いよく髪が刈られ、どんどん地肌が露になっていく。前髪を刈り終わると耳の横、そして後ろの髪にもバリカンを入れる。程なくして彼女は丸坊主になった-。

 あまりのことに気を失いそうになったが、隣にいた先輩に言われた。
「ここはこういう会社よ。あなたもああなりたくなかったら、ミスをしないように頑張りなさい。」
「は、はい。でもなんでこんなこと…。」
「それは分からない。同期の女の子も一人坊主にされて辞めたわ。でもここ以上に待遇の良い会社はそうないし、再就職も大変だから、私はここで頑張ることに決めたわ。」

 怖くなった。私もいつああなるか分からない。あまり短くしたことがないこの髪を坊主にされるかもしれない。家に帰ってから、ずっと今日起きたことを考えていた。

 ポニーテールが似合っていた彼女が、こともあろうに丸坊主にされた。目を瞑ると一部始終が脳裏に蘇ってきた。バリカンで坊主にされるのはもちろん初めて見たし、ましてや女性が…。私は髪を切られないように頑張らないといけないな…。

 それから私は必死に仕事に打ち込んだ。月の売り上げは上位に食い込むようになった。それもこれも全ては髪を切られないためであった。

 そんなある日、恐れていたことが起きた。昼休みに何げなく開いたメールがウイルス感染していた。会社のアンチウィルスソフトでは防ぎ切れず、全てのPCがダウンする事態へと発展した。復旧までに3日かかり、その損害は甚大だった。

 私は1週間の謹慎を言い渡された。その間、生きた心地がしなかった。私も髪を切られるのだろうか…。丸刈りにされた彼女の顔が浮かんできた。綺麗な黒髪がバリカンで刈られていくあの場面を何度も思い出していた。

 謹慎明けの日。時間ギリギリまで鏡の前で髪を触った。ポニーテールや久しぶりに三つ編みにもしてみた。

 重い足取りで電車に乗る。こんなに辛い気持ちで通勤するのは初めてのことだ。会社に着きたくない。しかし体は勝手に会社に向かっている。多分坊主にされるんだろうな…そうなったらどうしよう。辞めようかな。でも1年目で辞めたら次は難しいし…。

 出勤すると、早速部長がやってきて会議室に行くように言われた。やはりと思ったが、部長が直々にとなっては抗えない。

 会議室に入ると社員が集合しており、前には椅子とケープが置いてあった。やっぱり髪を切られるんだ…。逃げ出したかったが、社員が両隣にいて私を囲んでいた。

 有無を言わさず座らされ、ケープをかけられる。
「先日のPCダウンの件は、全て彼女がメールを開いたことに起因する。損害は甚大である。よって今から断髪式を執り行う。」

 辛そうに目を背ける者、無表情の者、ニヤニヤ笑う者など様々だ。ここまで来たらもう逃れられない…。

 椅子に座らされ、手早く散髪ケープをかけられる。女性課長がハサミを持ち、私の後ろに立つ。
「丸坊主に…されるんですか…?」
「そうよ。可哀そうだけど懲罰だからね。」言葉とは裏腹にどこか楽しそうだ。悔しいが涙は堪えた。
 
 ハサミが髪の結び目に入った。思わず首をすくめた。ジョキジョキと鈍い音を立てている。そして髪束ごと切られた。泣くもんか。耐えるんだ!

 次に乱雑に髪を切り始めた。どうせ坊主にするんだからと言わんばかりに、適当に切っていく。早く終わらないかな…。

 課長はハサミを置き、代わりにバリカンを手にした。
「これで今から丸坊主にするわね。悔しかったらもう二度とあんなミスはしないことね。」

 ブーンと鈍い音がする。怖くて目を閉じた。だがバリカンの音が止んだ。課長はバリカンをいじっている。故障…?このままバリカンが動かなければ助かるかもしれない。

 すると課長は「あれ持ってきて!」と部下に指示した。何を?と思っていると、準備されたのは銀色の器具だった。
「これは手バリカンと言ってね。手動で刈るバリカンなのよ。電気バリカンが故障したから、これでやらせてもらうわね。」

 助かったと思ったのに…涙が滲んできた。課長は私の後ろに立ち、頭を下げさせる。カチカチと鳴る不気味な音を立てて、襟足に手バリカンが侵入してきた。

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