『義母の好意』

 我が家は3人家族。夫は海外に単身赴任中で、中学一年生の千里と2人で暮らしている。

 毎年夏には福島にある夫の実家に行っている。義父母との関係は良く、娘も楽しみにしている。今年も一週間ほど滞在することにした。

 義父母に歓迎され、のんびりとした時間を過ごしていたある日。義母が「芳江さん、髪を切ってあげましょうか?私も少しは心得があるのよ。」と言ってきた。
 そう言えば普段から仕事と家事に追われ、なかなか美容院にも行けていないため、髪は伸び放題だった。いつもはショートカットだが、伸びてきてまとまらなくなっていた。義母の腕前は未知数だったが、好意で言ってくれているのが伝わってきた。満足に美容院にも行けない今、切ってもらうのもありかもしれない。
 千里が「私も切って!」と言ってきた。娘も入学時は肩口までのボブだったが、やはり伸びてきていた。そこで親子でやってもらうことにした。

 始めは娘。注文は入学時と同じボブ。変にされないか不安だったが、義母は丁寧にブロッキングしハサミを入れた。5㎝ぐらいの髪束を切っていく。案外上手だ。「昔美容師の見習いをやっていたのよ」と義母。しばらくすると、綺麗なボブになった。仕上げにバリカンで襟足を剃ると、娘はくすぐったがっていた。

 これならば私の髪を任せても大丈夫だろう。「芳江さんはどうするの?」と聞かれ、「そうですね。少し短めでお願いします。バリカンがあるから、ちょっとだけ刈り上げて下さい。」と答えた。
 刈り上げは時々やっている。私は襟足が浮いてしまうタイプなので、刈り上げた方が都合が良いし、バリカンにも抵抗はない。

 義母は伸び切った私の髪に、遠慮なくハサミを入れていく。切られていくのが気持ち良い。後ろの髪を切り、耳を出し、前髪も切った。思ったよりも短くされたが、まあいいかと思った。
 そして義母はバリカンを手にした。「じゃあ芳江さん、刈り上げていくわね。」「はい、お願いします。」
 そしてバリカンが襟足に入った瞬間、突如3歳の孫娘が義母にぶつかってきた。あっ!と言って、義母が態勢を崩した。同時に何だか変な感触が後頭部を襲った。

 義母は今度は声にならない声をあげた。
「どうしたんですか?」
「か、髪が…。」
「え、髪がどうしたんですか?」そう言って襟足に触ると、髪がごっそりなかった…。
「え、なに?ちょっと鏡を見せて下さい!」
 義母が恐る恐る差し出した鏡を見てみると、見事に後頭部の一部分が坊主になっていた。これはもはや刈り上げではない。
「キャー!!どうして!!なんで!?」
「よ、芳江さん、ごめんなさい…孫が急にぶつかってきたから…。」
 言葉にならなかった。不可抗力であるが、こんなにバッサリ刈られてしまうなんて…。涙がポロポロ零れてきた。
「と、とりあえず整えるわね。後ろの髪に揃えるから…。」
 揃えるって?どうやって?そう思っていると、再びバリカンのスイッチが入れられた。下を向かされて、バリカンが入る。さっき刈られた部分に合わせると言うのか。「やめて!」と言いたかったが、やめたところで一部分だけ坊主になったままだ。仕方なく受け入れることにした。
 刈り上げの時とは違い、バリカンが地肌に食いついてくる。ゾリゾリと髪が刈られていく。娘の手前、気丈にふるまうしかない。

 なんとか整えてもらった髪型は、ショートカットに後ろの髪だけ剃られたような、不格好極まりない髪型だった。義母はあくまでも好意で切ってくれた。それは分かってはいるが、やはりアクシデントとは言えこんな髪型にされてしまうとは、ショックが大きい。その後は義母とぎくしゃくしたまま、家に戻った。
 
 すぐに美容院に向かった。カット椅子に座り帽子を取ると、美容師は開口一番「どうしましたか?」と聞いてきた。
「ちょっとハプニングがありまして…どうにかなりませんか?」
「ここまで短くなっていると…スポーツ刈りぐらいしか出来ませんが…あとは全部刈ってしまうとか…。」
「全部刈るってどういうことですか?」
「つまりその、丸坊主です…。」
「丸坊主…。」

 もちろん知り合いの女性で坊主の人はいない。学生時代、運動部の子でベリーショートや刈り上げの子はいたが、さすがに坊主はいなかった。「考えてきます」と言って、帽子を目深に被り、そのまま美容院を出た。
 
 家に帰ってあらためて合わせ鏡で後頭部を見てみた。無残に刈られた後頭部が悲しい。どうしよう。丸坊主やスポーツ刈りなんて嫌だし、さりとてこのまま伸びるのを待つのも辛い。どうにかしないといけない…。

 その晩、娘に相談した。
「千里、どうしよう。お母さん今日美容院で、スポーツ刈りか丸刈りにしないと整えられないって言われちゃった。」
「ええっ!?そんなに短く?」
「うん…そんなのしたことがないし、困ったわ。」
「…でも今のままじゃ格好悪いよ。」
 しばらく沈黙した。
「そうよね。仕方無いのかな…もうこうなったらウイッグを買ってきて丸坊主にしちゃおうかな…。」
「スポーツ刈りじゃなくて?」
「一度丸坊主にしてもいいかなって考えたことがあってね。でもお父さんに言ったら反対されたことがあるのよ。今はお父さんがいないしチャンスかもしれないわね。」
「私には理解できないけど、お母さんがそれでいいなら…。」
 
 いつまでもクヨクヨ悩んでいても仕方がない。こうなった以上、スポーツ刈りも丸刈りも同じだ。中途半端に髪が残っているよりも、むしろ丸坊主にした方がスッキリするのではないか。
「お母さん、丸坊主でも似合うと思う?」
「お母さんは美人だから、丸坊主でもきっと似合うわよ。」
 嬉しかった。この言葉で決心した。丸坊主にしよう。そしてすぐにネットでウイッグを見つけて注文した。
 
 数日後、ウイッグが届いた。試しに装着してみたら良い感じだった。そして床屋に行くことにした。美容院だと断られるかもしれないし、丸刈りに慣れていなくて虎刈りにされたら困る。
「千里、お母さんこれから丸坊主にするんだけど、床屋さんに付いてきてくれる?」
「え?なんで?」
「だって床屋なんて一人だと恥ずかしいし心細いし、千里にお母さんが丸坊主になるのを見届けてほしいから…。」
「分かったわ。いいわよ。付いて行ってあげる。」
 駅前にある、お洒落な感じの床屋に着いた。なかなか入れなかったが、千里に背中を押されて入ることが出来た。

 順番を待っている間、否が応でもバリカンが目に入った。美容院で見るそれとは違って大きいし音も違う。あと少ししたら、あのバリカンで丸坊主にされるんだ…決めてきたこととはいえ、怖くなった。やっぱり止めておこうかしら…。
 娘は特に関心はないらしく、少年漫画を読みふけっていた。気楽でいいよね。そう思ったが、付いてきてくれたことに感謝した。

 私の名前が呼ばれた。「お母さん、頑張ってきてね。」娘に言われた。作り笑顔をして椅子に向かう。この椅子に座ればもう後戻りは出来ない。少し躊躇ってから椅子に座った。美容院の物より大きく、体全体が掴まれているような気がする。
「今日はどうしますか?」
「あの、いろいろ事情があって、丸刈りにしてほしいのですが…。」帽子を取って言った。
「丸刈りですか?」理容師は驚いて大きな声を出した。一斉に注目を浴びる。個室のあるお店にしておけば良かった…。
「ええ。丸刈りでお願いします。」
「本当にいいんですか?」
(早くやってよ。決心が鈍るじゃない!)
「はい。いいんです。後で文句を言ったりしませんから。バッサリやって下さい。」
「…分かりました。長さはどうしますか?」
「長さ…分からないので、短めでお願いします。」
「分かりました。短いのですと1ミリになりますが、構いませんか?」
「はい。それでいいです。」どうせ坊主になるんだから、この際長さなんてどうでもいいと思った。
 ケープをかけ、首に薄い紙を巻かれた。ケープから手が出ない。捕らわれた気分だ。そしてさっき見た大きなバリカンが準備された。
「では1ミリで刈っていきますね。」
 カタカタと音を立ててバリカンが作動する。理容師は正面に立ち、バリカンを額に近づける。思わず目をつぶる。バリバリ…と前髪にバリカンが入る…!

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