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ひとすじの光

母がいなくなって1年と少し、経つのに
亡くなった当時のことは、いまだ思い返すことができないでいる。
記憶がとても曖昧だ。

火葬場で骨になってしまった母を見ても
感情の凹凸はなく、涙は出るのに、
泣き叫ぶこともなかった。
生きてきた中で、最悪の出来事だったと言うのに。

蓋をするってそういうことなんだ、振り返って思う。

凍った気持ちは、いまだ溶けない。

ただ、話すことで、離し
言うことで、少しずつ、癒えている。

お世話になったのは、
自死遺族の会の皆さんと、
相談ダイアルの相談員の方。

母の亡くなり方を家族以外には伝えていないので
話せるのは家族だけ。

お母さんはあれが好きだったよね
あんな風に話していたね
こんな一面があったんだね
悲しいね
寂しいね

家族でうなずき合えれば
それだけで癒えるような気がしたけれど、
ネガティブな反応に、話すのを、やめた。

家族でもそれぞれ思うところが違うんだ。

というわけで、
遺族会の皆さんの話を聞き、話を聞いてもらうことが
海底まで届く、ひとすじの光だった。

そこには何年経とうが、何十年経とうが
愛しい人を突然亡くした当時の悲しみに涙している人がいる。
会いたいのに会えない、やりきれない気持ち。
どこにも救いがないと思っていたのに、
共感してもらえただけで、ほっと息がつけた。

自死遺族というのは声を上げづらい。
存在すら、以前のわたしは気がつかなかった。

OLで電車通勤をしていた頃は
駅の電光掲示板に流れる人身事故の文字を見ても
ほぼ毎日見るその文字に麻痺して
感情が動くことはなかったけれど、

当事者になってみると、人ごとではなく
またどこかで
愛しい人を突然亡くして、この苦しみを味わっている人がいる。
そう、痛みに寄り添わずにはいられない。

初七日、四十九日、一周忌、
それらは亡くなった人のためのご供養。
しかし、地を這うような悲しみを抱える自死遺族に対するケアは少ない。