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明日入院

 2月の検査入院は、予定通り。検査結果は電話で伝えるだけ。というか手術が必要である事の確認だけだった。
 手術のための入院予定日の前日の夜、夜!8時、20時。もちろん入院のための荷造りを終え、お風呂に念入りに入り、それでも眠たい様子のない娘に気を揉んでいたとき。
 大学病院からの電話が掛かってきた。会ったこともない、声を聞いたこともないKと名乗る医師が、言いにくそうな言い方で、手術を譲ってくれないか、もっと状態の悪い子が居るので・・・
 まさか同じように病気の子を持つ親として、断ることなどできない。断っても良いのだろうけど、最近はそれでモンスターペイシェントと言われかねない。
 また1ヶ月も緊張状態が続くのかと辟易したが、今度は別の医師から電話が掛かってくる。手術日程を替えたいが、どう?今度の医師は、ハキハキと言いにくそうでは無い。温厚で有名な(うそつけ!)私も流石に、ハイハイと受け流すことは出来なかった。
 1995年の三男の入院手術、1997年の次男、そして1999年以降は長女の何度も何度も入院を経験してきた。大学病院、循環器専門病院、県立や市立病院、大阪、東京、函館、札幌。色んな場所で入院というか、子どもの入院の付き添いを経験してきた。今回の大学病院は、異常にインフォームドコンセントがない。病状や治療計画について、医療者側のカンファレンスが行われていることは聞いているが、親への説明がほとんど無い。「カンファレンスでこう決まったので、手術します」だけ。
 ここ20年くらいでインフォームドコンセントと言う言葉が一般化し、そのための場所なども設定されている病院が多くなってきている。世田谷にある成育医療センターのインフォームドコンセントのためのスペースは、アメリカのドラマに出てくるような世界だった。プライバシーが守られ、時間と資料を用意されて十分に説明された。移転直前のためボロボロだった循環器専門病院でさえ、おそらく宿直室で有ろう部屋にカーテンを引いた「ムンテラ室」が存在した。
 令和に入院するこの大学病院には、そんな部屋はなさそうだ。多分、インフォームドコンセントという認識もあまりないようだ。
 元気に過ごしている娘に、何故手術が必要なのか。いい加減な親であまり揉めたくない、嫌な患者だと思われたくない私は、黙っていたよ、ごめんね娘。でもさでもさ・・・
「手術の日程を変更していいですか?と聞かれますが、私は何故手術が必要なのかまだ説明を受けていません。日程を変更したらどんなリスクがあるか分かりませんし知りません」
そう言うと「電話越しですが、説明していいですか」と医師は宣った。
「お願いします」

 娘が24年前に受けた手術は、今死なないようにするものだった。その時代はそうするのが良かったし、そうしなくて亡くなる人も多かった。肺動脈に血を送る右心房については手を付けておらず、逆流も多くなってきた。それでもゆっくり症状が進んでいるだろうが、ゆっくりなので自覚症状はあまりない。今後、しんどい等の症状が出たときには、手術をするのが難しくなるから、今行う。
 そうだったのか。もっと私がそれを聞き出すようにしなくてはいけなかったのは大反省。24年前の手術直前、SPO2(血中酸素飽和度)が60だった。健康な人が突然60になったら、いや90になったとしても死んじゃうレベルだそうで、だんだんそうなったので生きているのだと説明を受けたことがある。コロナ禍でSPO2が話題になることが多かったが、94で騒いでいるニュースも見たことがある。娘は手術をして、100になった。
 手術をする意味が分かった。
 手術日の変更で、本州に住む長男(娘の兄)が見舞いに来るための飛行機代が無駄になった。

 全く関係が無いことだけど、私はボランティアで患者会の会報制作を手伝っている。というかほぼ一人で編集している。患者会なんだから、私が娘の用事で手伝えないと言うことは、簡単に理解してくれるものだと思っていた。実際は違った。
 ダウン症のある人というのは、多くが元気で合併症があっても手術したり命の心配をするような事は無い。25歳であっても小児科で親が付き添わないといけない、そしてただ見守るだけではなく食事も排泄も全部介助しないといけなくて、親は休まる間がないことを知られていない。
 前回の検査入院の時には、lineに用事をメールしてきた。今明日から入院と言うときもまたなんだか言ってきている。忙しいのに、先日までは会報をほぼ完成させ印刷やにデータを送ったわけで、これでいいだろう。
 また、いつもとは違う対応をすることについて、娘が入院する、病気だと全道の会員に言いふらそうとしていたのは閉口した。娘の参加するサークルでも役員的なことをしていて、特定の人にだけ事情を説明したら、話していない人から「ここだけの話しって聞いたけど」と言われた。患者会の人だからと言って、子どもの入院をさせる親の気持ちを分かってくれるわけじゃない。むしろ、無神経に弄られることがあるように感じた。

 荷物は随分前に準備できているし、足りないものは院内のコンビニや差し入れでどうにかなる。
 最初の付き添い入院は、東京在住なのに大阪で入院、オムツは東京から持って行かなくてはいけない、病院内にコンビニはなく携帯電話は持ってなかった。未就学だった上の子達を三重県の実家に預けていた。その後の何回かの入院でも、上の子を預ける場所に苦労してきた。
 一度施設に預けたことがあったが。私の無知のせいで面倒な事になってしまった。子どもを預かってくれる施設というのは、多くの場合虐待や離婚に伴うもので有り、場所を内緒にしていた。毎夕、お菓子を買って子どもたちを迎えに行っていたが、それを見る他のお子さん達は面白くなく、長男はけがをさせられるほどいじめられた。翌日から乳児の部屋で長男も次男も三男も預かって貰っていたが、これ以上は無理と預けるのを止めた。
 
 今回、上の子はアラサー。近所にはコンビニやスーパーがあふれ、不在中の食事を心配することもない。夫は定年退職してバイトだけ、上の子達も差し入れや準備を手伝ってくれる。上の子達を預ける心配が全くないだけで、私の負担はとても小さい。

 反面、入院の大きな負担になってきたのが、私の加齢である。前回は血を見て倒れるという醜態をさらしてしまった。小児科で25歳ではあっても小学生くらいの体格の娘は目立たないが、アラ還の私が目立っている。何より体力面が一番心配だ。
 
 不安もたくさんあるけど、後は「あみださんのいうとおり」にしかならないだろうし、手と気を抜かれないように、言葉のない娘の代わりに少しは煙たがれるくらいに、声を出していこうとは思っている。
 明日、入院します。

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